北海道北斗市矢不来(やふらい)にある安東氏の館跡。道南十二館の一つ。1443年(嘉吉3)、津軽十三湊(とさみなと)城主の安東盛季が南部氏に敗れて北海道に渡ってきたときに築造され、安東政季が1454年(享徳3)から1456年(康正2)まで居住し、その後は政季の弟と推定されている下国安東家政が箱館の河野政通の援助によって守護した館と伝えられている。1457年(長禄1)にアイヌの蜂起軍のリーダー・コシャマインが攻めてきて、志苔館(しのりたて)、箱館など道南の主だった館が次々と陥落したが、上之国花沢館とこの茂別館だけが残ったという記録がある。その後、下国(安東)氏は福山(松前)藩に属し、茂別付近を領有して重鎮となった。茂別館は、茂辺地(もへじ)川左岸にある丘の南端にあり、南の大館と北の小館で構成されている。西は茂辺地川岸の崖地、南北は自然の沢で仕切られ、大館と小館の東はそれぞれ堀と自然の沢となっていた。また、大館、小館とも北、東、南の三方に土塁をめぐらしていた。現在も土塁と空堀が残っている。1982年(昭和57)、道南十二館の志苔館跡、大館跡、上之国勝山館跡および上之国花沢館跡を追って、国の史跡として指定された。JR江差線茂...
Read more2025年5月24日に訪れました。 嘉吉3年1443年に十三湊を治めていた安東太郎盛季(もりすえ)は、南部義政の侵攻を受け、蝦夷地に逃れました。そして、この地に茂別館を築いたとされています。その後、道南12館が和人の館として造られました。長禄元年1457年のコシャマインの戦いでは、ここ茂別館と上ノ国花沢館の2館のみ、持ちこたえました。この2館と志苔館、大館、上ノ国勝山館の5件が、国の史跡に指定されています。 茂辺地川東岸に位置し、北側が小館、南側が大館となっています。現在は、矢不来天満...
Read more道南十二館の一つ茂別館(もべつだて)跡は、茂辺地集落を流れる茂辺地川左岸の台地上にあり、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いでの攻撃にも上之国花沢館とここ茂別館は陥落しませんでした。館は北側の小館と南側の大館に分かれており、大館のあった場所には矢不...
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