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Iwabitsu Castle Ruins — Attraction in Higashiagatsuma

Name
Iwabitsu Castle Ruins
Description
Iwabitsu Castle is a "yamashiro"-style castle located on Mount Iwabitsu in Higashiagatsuma, Gunma Prefecture, Japan. The ruins have been protected by the central government as a National Historic Site since 2019.
Nearby attractions
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Otsuki Shokudo
1562 Haramachi, Higashiagatsuma, Agatsuma District, Gunma 377-0801, Japan
Nearby hotels
Forest Resort Conifer Iwabitsu
Japan, 〒377-0801 Gunma, Agatsuma District, 吾妻郡 東吾妻町原町4399
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Iwabitsu Castle Ruins
JapanGunma PrefectureHigashiagatsumaIwabitsu Castle Ruins

Basic Info

Iwabitsu Castle Ruins

1965-2 Haramachi, Higashiagatsuma, Agatsuma District, Gunma 377-0801, Japan
4.1(215)
Open until 12:00 AM
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spot

Ratings & Description

Info

Iwabitsu Castle is a "yamashiro"-style castle located on Mount Iwabitsu in Higashiagatsuma, Gunma Prefecture, Japan. The ruins have been protected by the central government as a National Historic Site since 2019.

Cultural
Outdoor
Adventure
Scenic
Off the beaten path
attractions: , restaurants: Otsuki Shokudo
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Phone
+81 279-68-2111
Website
iwabitsu-sanadamaru.com
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Reviews

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4.1

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Reviews of Iwabitsu Castle Ruins

4.1
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城のある岩櫃山は遠方から見ても、風化した巨大な岩壁がそそりたつ異形の山で、古代から神の宿る場所として信仰の対象となってきました。今見てもタダモノではない神々しい姿をしています(笑)。これだけでも見に来る価値はあると思いますよ。

真田氏の重要拠点の一つであり、武田方の武将として上州沼田へ進攻するための策源地となっていました。本拠地のある上田盆地から上州方面に出るには、千曲川ルートと吾妻川ルートの2つがあり、そのうちの吾妻川の水運と街道を抑える要地に岩櫃城は位置しています。

通常、山城というものは山頂部分を削平して本丸を設けるものなのですが、岩櫃山の場合は岩地であり、まとまった平地が造れないので例外的に一段下がった山の中腹に本丸があります。その構造上、敵が本丸よりも高地にある山頂方面に回り込まないように、大規模な竪堀が穿ってあるのが城の特徴となっています。

この城が歴史の舞台としてクローズアップされるのは、武田氏を滅亡させた織田徳川北条連合軍による甲州征伐の時です。 圧倒的な連合軍の攻勢の前に新府城と甲府の武田氏館を放棄した武田勝頼に、二人の重臣が逃亡先の提供を申し出ました。大月の岩殿城主である小山田信茂と岩櫃城主の真田昌幸です。昌幸は言葉だけではなく、実際に岩櫃山の麓に勝頼を迎えるための館の建築までしています。

勝頼はどちらに行くか迷いますが、信玄の時代に武田家に仕えた独立した土豪である真田氏よりも、武田氏の親族である小山田氏の方が安心感があったのでしょうか。最終的に信茂の「新参者より私を信用して下さい。」の一言で岩殿城ゆきを決めたとされています。

しかし信茂はその後心変わりして、織田方への投降を決め、岩殿城にやって来た勝頼一行を無情にも追い返してしまうのです。その後の勝頼の悲惨な運命は皆様のご存知の通りです。

勝頼の猜疑心や心の狭さを責めるムキもあるようですが、大月と違って甲府から岩櫃までは、あまりにも逃亡先として遠すぎるんですよ。現実的なオプションではなかった事は確かです。 実際問題、小山田氏の裏切り後に、勝頼は近場で先祖の墓のある天目山の栖雲寺で自決しようとしたのですが、賞金首狙いの土豪に襲われて、そこににすらたどり着けなかったのですから。

ところで昌幸は本当に勝頼がココに来てしまった場合、どうオチをつけるつもりだったのでしょうか(笑)。真田氏は生き残る為なら手段を選ばず、何でもやってきた集団であり「忠誠」のために城を枕に討死する気などカケラも無かったことは明らかです。

きっと謀将昌幸ならではの、起死回生のとんでもない秘策があったに違いありません。そっちのほうが私は興味あります(笑)。謙信亡き後の上杉氏と連携しつつ得意の山岳戦を駆使して、ゼロから新生武田帝国をココ...

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2y

真田氏のお城であり、続100名城にも選出されている岩櫃城に行ってきました。 こちらはなんといっても、武田勝頼が織田・徳川連合に破れたとき、真田氏が岩櫃城に一旦退き再起を図ろうと提案したお城です。 結局勝頼はその提案には乗らず、小山田氏の居城であった岩殿城に向かい、小山田氏に裏切られて最後を迎えるわけですが、真田氏は提案が通らなかったとこで袂を分かち岩櫃城に行ったため、その後栄えることになります。 ここで表裏比興の者と呼ばれた真田昌幸は多くの策を練っていったのでしょう。

こちらはものすごい山城なのですが、まずは群馬原町駅にある東吾妻町観光協会にいって御城印を購入します。 いろいろな種類の御城印が置かれていて、かなり迷いましたが、金立市出土記念版と岩櫃真田忍者ミュージアム記念版の2枚セットのものをあわせて3枚購入しました。 そこから山に入ります。 本来なら麓から徒歩で登っていきたいところですが、本日はバイクで楽々登りました。 途中の坂はかなり傾斜がありきつそうです。

登ると広い駐車場があるので、そちらにバイクを駐めて更に少しのぼると平沢登山口観光案内所があります。 こちらで、続100名城スタンプを押印します。 ついでにこちらにも御城印など売られていました。 ざわざわ駅前で買わなくても良かったようです。 最近はスタンプの場所と御城印を売っている場所が違うところも多く、分かりづらいですよね。 こちらの案内所ではシールなども頂けました。

そこから、いよいよ城址に入っていきます。 案内板が入口にありますので読んでから入るとよいでしょう。 すぐに二手に分かれるので、左側を行くことにしました。 クマ出没注意の看板が怖いですね。 きれいに整備された山道を上っていきます。 それほど急な傾斜ではないので、スニーカーで十分でした。 本丸跡に向かう小道を上っていくと、すごい土塁と堀に囲まれた場所に出ます。ものすごいウネウネとなっている場所で、本丸への道を惑わしている感じがします。 今はちゃんと階段が設置されていて、そちらには入らずにすんなり登ることができます。

登ったら本丸跡です。 麓からだとかなりの高低差があり、ここまで来るのは非常に大変だと思います。 大規模な山城恐るべしですね。

帰りは少し先まで歩いて、廻って戻りました。 山城は面白いのですが、一人で歩くと少し怖い感じもします。 暫く歩くと最初の二手に分かれた反対側から出てきて、観光案内所に到着しました。 真田氏...

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4y

【忍びの伝説!】驚異の奇岩城。群馬県、山あいの里にそびえる標高800mの岩櫃山。山頂に、そそり立つ高さ200mの岩の壁。 火山の噴火によって生まれた山が浸食され、この奇岩を作り出した。山の中腹に築かれたのが、戦国時代に活躍した真田一族の城。斜面を利用して造られた城は、なんと東京ドーム30個分の広さ。 断崖絶壁に急勾配の斜面は、まさに天然の要塞。山城の魅力が満載です。 城の中心まで、およそ30分。山道を登っていく。森を抜けると、突然現れたのは、結構深い溝…!!!。 実は、これ堀なんです。岩櫃城には、このように[空堀]と言って、水のない堀が沢山掘られています。切り込まれた堀の深さは10m。 3階建てのビルに相当する高低差。攻め込む敵を、上から狙い打つ鉄壁の守り。城の斜面には、至る所に空堀が掘られています。 その数、60以上……!!!!!。 いくつもの堀を越えると平坦な敷地。ここが城の中心部です。 けっこう広々しています。 ここは昔、何百人もの兵士が駐屯できたと言われています。 背後に空高くそびえるのが、あの岩壁。険しい山が、自然の城壁となって、城の中心部を固めています。 山の東斜面に造られた[岩櫃城]。西を守るのが、この岩の壁。 北もまた、山々が連なり、南側には川が流れる深い谷。 これら3方向から敵に攻められる恐れはない。 唯一の弱点は、平地の続く東側。 《さて ...

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ヤマ田太郎ヤマ田太郎
城のある岩櫃山は遠方から見ても、風化した巨大な岩壁がそそりたつ異形の山で、古代から神の宿る場所として信仰の対象となってきました。今見てもタダモノではない神々しい姿をしています(笑)。これだけでも見に来る価値はあると思いますよ。 真田氏の重要拠点の一つであり、武田方の武将として上州沼田へ進攻するための策源地となっていました。本拠地のある上田盆地から上州方面に出るには、千曲川ルートと吾妻川ルートの2つがあり、そのうちの吾妻川の水運と街道を抑える要地に岩櫃城は位置しています。 通常、山城というものは山頂部分を削平して本丸を設けるものなのですが、岩櫃山の場合は岩地であり、まとまった平地が造れないので例外的に一段下がった山の中腹に本丸があります。その構造上、敵が本丸よりも高地にある山頂方面に回り込まないように、大規模な竪堀が穿ってあるのが城の特徴となっています。 この城が歴史の舞台としてクローズアップされるのは、武田氏を滅亡させた織田徳川北条連合軍による甲州征伐の時です。 圧倒的な連合軍の攻勢の前に新府城と甲府の武田氏館を放棄した武田勝頼に、二人の重臣が逃亡先の提供を申し出ました。大月の岩殿城主である小山田信茂と岩櫃城主の真田昌幸です。昌幸は言葉だけではなく、実際に岩櫃山の麓に勝頼を迎えるための館の建築までしています。 勝頼はどちらに行くか迷いますが、信玄の時代に武田家に仕えた独立した土豪である真田氏よりも、武田氏の親族である小山田氏の方が安心感があったのでしょうか。最終的に信茂の「新参者より私を信用して下さい。」の一言で岩殿城ゆきを決めたとされています。 しかし信茂はその後心変わりして、織田方への投降を決め、岩殿城にやって来た勝頼一行を無情にも追い返してしまうのです。その後の勝頼の悲惨な運命は皆様のご存知の通りです。 勝頼の猜疑心や心の狭さを責めるムキもあるようですが、大月と違って甲府から岩櫃までは、あまりにも逃亡先として遠すぎるんですよ。現実的なオプションではなかった事は確かです。 実際問題、小山田氏の裏切り後に、勝頼は近場で先祖の墓のある天目山の栖雲寺で自決しようとしたのですが、賞金首狙いの土豪に襲われて、そこににすらたどり着けなかったのですから。 ところで昌幸は本当に勝頼がココに来てしまった場合、どうオチをつけるつもりだったのでしょうか(笑)。真田氏は生き残る為なら手段を選ばず、何でもやってきた集団であり「忠誠」のために城を枕に討死する気などカケラも無かったことは明らかです。 きっと謀将昌幸ならではの、起死回生のとんでもない秘策があったに違いありません。そっちのほうが私は興味あります(笑)。謙信亡き後の上杉氏と連携しつつ得意の山岳戦を駆使して、ゼロから新生武田帝国をココに起こす気だったのかな?
ご機嫌おやじご機嫌おやじ
真田氏のお城であり、続100名城にも選出されている岩櫃城に行ってきました。 こちらはなんといっても、武田勝頼が織田・徳川連合に破れたとき、真田氏が岩櫃城に一旦退き再起を図ろうと提案したお城です。 結局勝頼はその提案には乗らず、小山田氏の居城であった岩殿城に向かい、小山田氏に裏切られて最後を迎えるわけですが、真田氏は提案が通らなかったとこで袂を分かち岩櫃城に行ったため、その後栄えることになります。 ここで表裏比興の者と呼ばれた真田昌幸は多くの策を練っていったのでしょう。 こちらはものすごい山城なのですが、まずは群馬原町駅にある東吾妻町観光協会にいって御城印を購入します。 いろいろな種類の御城印が置かれていて、かなり迷いましたが、金立市出土記念版と岩櫃真田忍者ミュージアム記念版の2枚セットのものをあわせて3枚購入しました。 そこから山に入ります。 本来なら麓から徒歩で登っていきたいところですが、本日はバイクで楽々登りました。 途中の坂はかなり傾斜がありきつそうです。 登ると広い駐車場があるので、そちらにバイクを駐めて更に少しのぼると平沢登山口観光案内所があります。 こちらで、続100名城スタンプを押印します。 ついでにこちらにも御城印など売られていました。 ざわざわ駅前で買わなくても良かったようです。 最近はスタンプの場所と御城印を売っている場所が違うところも多く、分かりづらいですよね。 こちらの案内所ではシールなども頂けました。 そこから、いよいよ城址に入っていきます。 案内板が入口にありますので読んでから入るとよいでしょう。 すぐに二手に分かれるので、左側を行くことにしました。 クマ出没注意の看板が怖いですね。 きれいに整備された山道を上っていきます。 それほど急な傾斜ではないので、スニーカーで十分でした。 本丸跡に向かう小道を上っていくと、すごい土塁と堀に囲まれた場所に出ます。ものすごいウネウネとなっている場所で、本丸への道を惑わしている感じがします。 今はちゃんと階段が設置されていて、そちらには入らずにすんなり登ることができます。 登ったら本丸跡です。 麓からだとかなりの高低差があり、ここまで来るのは非常に大変だと思います。 大規模な山城恐るべしですね。 帰りは少し先まで歩いて、廻って戻りました。 山城は面白いのですが、一人で歩くと少し怖い感じもします。 暫く歩くと最初の二手に分かれた反対側から出てきて、観光案内所に到着しました。 真田氏を堪能できるお城でした。
七面鳥放浪記七面鳥放浪記
鎌倉時代に吾妻氏が城を築き、戦国時代には吾妻氏の子孫を称する斎藤氏と、信州から上州に進出した真田氏が城主の座を争い、勝利した真田昌幸がいまに遺る状態に城を整備しました。 岩櫃城は岩櫃山の東西に連なる尾根の、東の麓から中腹までに築かれています。南を流れる吾妻川を天然の堀として、南北は急峻な斜面、西はそびえ立つ岩山、そして東に向けては築城術の粋を尽くした鉄壁の防御です。北側を通る谷間の道への入口には出城の天狗丸を築き、敵の侵入を阻むという念の入れようです。難攻不落と称するに相応しい堅城です。 織田信長と徳川家康の連合軍による甲州征伐に際して昌幸は、岩櫃城に武田勝頼を迎え入れての籠城戦を企図します。城下には勝頼のための屋敷まで用意されていましたが、神算鬼謀をもって知られる信幸が、いかに天険の要害とはいえ城一つで信長に対抗するつもりだったとは到底考えられません。まずは上州を拠点に武田氏家臣団の糾合をはかりつつ、織田・徳川の連合軍を真田氏の本拠となる信州に引きずり込んで損耗を強いる作戦だったと推測しています。勝頼が天目山で自害したためすべては計画倒れとなりますが、その後の天正壬午の乱、上田合戦、関ヶ原の合戦での昌幸の活躍を知るだけに、ついあれこれと妄想してしまいます。 最寄はJR吾妻線の群馬原口駅です。郷原駅からでもアクセス可能なものの、前者から平澤登山口経由であれば巧みな縄張りを堪能しつつ本丸を目指せます。そこから山頂方面に向かい、潜龍院跡(昌幸が勝頼のために用意した屋敷跡)を目指せば、郷原駅側の密岩登山口ないしは古岩登山口に出て、史跡としての岩櫃城の魅力を余すところなく堪能できるだけでなく、観光案内などでよく岩櫃山の特徴的な山容を目の当たりにできます。なお、岩櫃山九合目から山頂まではえげつない鎖場が続くので、登山用の装備が必要です。 公共交通機関+徒歩のほうが経路の自由度は増すものの、運行本数の少ない吾妻線なので、時刻表は頭に入れておかないと、何もない駅で長時間待ちぼうけとなりかねないので、その点はご注意ください。
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城のある岩櫃山は遠方から見ても、風化した巨大な岩壁がそそりたつ異形の山で、古代から神の宿る場所として信仰の対象となってきました。今見てもタダモノではない神々しい姿をしています(笑)。これだけでも見に来る価値はあると思いますよ。 真田氏の重要拠点の一つであり、武田方の武将として上州沼田へ進攻するための策源地となっていました。本拠地のある上田盆地から上州方面に出るには、千曲川ルートと吾妻川ルートの2つがあり、そのうちの吾妻川の水運と街道を抑える要地に岩櫃城は位置しています。 通常、山城というものは山頂部分を削平して本丸を設けるものなのですが、岩櫃山の場合は岩地であり、まとまった平地が造れないので例外的に一段下がった山の中腹に本丸があります。その構造上、敵が本丸よりも高地にある山頂方面に回り込まないように、大規模な竪堀が穿ってあるのが城の特徴となっています。 この城が歴史の舞台としてクローズアップされるのは、武田氏を滅亡させた織田徳川北条連合軍による甲州征伐の時です。 圧倒的な連合軍の攻勢の前に新府城と甲府の武田氏館を放棄した武田勝頼に、二人の重臣が逃亡先の提供を申し出ました。大月の岩殿城主である小山田信茂と岩櫃城主の真田昌幸です。昌幸は言葉だけではなく、実際に岩櫃山の麓に勝頼を迎えるための館の建築までしています。 勝頼はどちらに行くか迷いますが、信玄の時代に武田家に仕えた独立した土豪である真田氏よりも、武田氏の親族である小山田氏の方が安心感があったのでしょうか。最終的に信茂の「新参者より私を信用して下さい。」の一言で岩殿城ゆきを決めたとされています。 しかし信茂はその後心変わりして、織田方への投降を決め、岩殿城にやって来た勝頼一行を無情にも追い返してしまうのです。その後の勝頼の悲惨な運命は皆様のご存知の通りです。 勝頼の猜疑心や心の狭さを責めるムキもあるようですが、大月と違って甲府から岩櫃までは、あまりにも逃亡先として遠すぎるんですよ。現実的なオプションではなかった事は確かです。 実際問題、小山田氏の裏切り後に、勝頼は近場で先祖の墓のある天目山の栖雲寺で自決しようとしたのですが、賞金首狙いの土豪に襲われて、そこににすらたどり着けなかったのですから。 ところで昌幸は本当に勝頼がココに来てしまった場合、どうオチをつけるつもりだったのでしょうか(笑)。真田氏は生き残る為なら手段を選ばず、何でもやってきた集団であり「忠誠」のために城を枕に討死する気などカケラも無かったことは明らかです。 きっと謀将昌幸ならではの、起死回生のとんでもない秘策があったに違いありません。そっちのほうが私は興味あります(笑)。謙信亡き後の上杉氏と連携しつつ得意の山岳戦を駆使して、ゼロから新生武田帝国をココに起こす気だったのかな?
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真田氏のお城であり、続100名城にも選出されている岩櫃城に行ってきました。 こちらはなんといっても、武田勝頼が織田・徳川連合に破れたとき、真田氏が岩櫃城に一旦退き再起を図ろうと提案したお城です。 結局勝頼はその提案には乗らず、小山田氏の居城であった岩殿城に向かい、小山田氏に裏切られて最後を迎えるわけですが、真田氏は提案が通らなかったとこで袂を分かち岩櫃城に行ったため、その後栄えることになります。 ここで表裏比興の者と呼ばれた真田昌幸は多くの策を練っていったのでしょう。 こちらはものすごい山城なのですが、まずは群馬原町駅にある東吾妻町観光協会にいって御城印を購入します。 いろいろな種類の御城印が置かれていて、かなり迷いましたが、金立市出土記念版と岩櫃真田忍者ミュージアム記念版の2枚セットのものをあわせて3枚購入しました。 そこから山に入ります。 本来なら麓から徒歩で登っていきたいところですが、本日はバイクで楽々登りました。 途中の坂はかなり傾斜がありきつそうです。 登ると広い駐車場があるので、そちらにバイクを駐めて更に少しのぼると平沢登山口観光案内所があります。 こちらで、続100名城スタンプを押印します。 ついでにこちらにも御城印など売られていました。 ざわざわ駅前で買わなくても良かったようです。 最近はスタンプの場所と御城印を売っている場所が違うところも多く、分かりづらいですよね。 こちらの案内所ではシールなども頂けました。 そこから、いよいよ城址に入っていきます。 案内板が入口にありますので読んでから入るとよいでしょう。 すぐに二手に分かれるので、左側を行くことにしました。 クマ出没注意の看板が怖いですね。 きれいに整備された山道を上っていきます。 それほど急な傾斜ではないので、スニーカーで十分でした。 本丸跡に向かう小道を上っていくと、すごい土塁と堀に囲まれた場所に出ます。ものすごいウネウネとなっている場所で、本丸への道を惑わしている感じがします。 今はちゃんと階段が設置されていて、そちらには入らずにすんなり登ることができます。 登ったら本丸跡です。 麓からだとかなりの高低差があり、ここまで来るのは非常に大変だと思います。 大規模な山城恐るべしですね。 帰りは少し先まで歩いて、廻って戻りました。 山城は面白いのですが、一人で歩くと少し怖い感じもします。 暫く歩くと最初の二手に分かれた反対側から出てきて、観光案内所に到着しました。 真田氏を堪能できるお城でした。
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鎌倉時代に吾妻氏が城を築き、戦国時代には吾妻氏の子孫を称する斎藤氏と、信州から上州に進出した真田氏が城主の座を争い、勝利した真田昌幸がいまに遺る状態に城を整備しました。 岩櫃城は岩櫃山の東西に連なる尾根の、東の麓から中腹までに築かれています。南を流れる吾妻川を天然の堀として、南北は急峻な斜面、西はそびえ立つ岩山、そして東に向けては築城術の粋を尽くした鉄壁の防御です。北側を通る谷間の道への入口には出城の天狗丸を築き、敵の侵入を阻むという念の入れようです。難攻不落と称するに相応しい堅城です。 織田信長と徳川家康の連合軍による甲州征伐に際して昌幸は、岩櫃城に武田勝頼を迎え入れての籠城戦を企図します。城下には勝頼のための屋敷まで用意されていましたが、神算鬼謀をもって知られる信幸が、いかに天険の要害とはいえ城一つで信長に対抗するつもりだったとは到底考えられません。まずは上州を拠点に武田氏家臣団の糾合をはかりつつ、織田・徳川の連合軍を真田氏の本拠となる信州に引きずり込んで損耗を強いる作戦だったと推測しています。勝頼が天目山で自害したためすべては計画倒れとなりますが、その後の天正壬午の乱、上田合戦、関ヶ原の合戦での昌幸の活躍を知るだけに、ついあれこれと妄想してしまいます。 最寄はJR吾妻線の群馬原口駅です。郷原駅からでもアクセス可能なものの、前者から平澤登山口経由であれば巧みな縄張りを堪能しつつ本丸を目指せます。そこから山頂方面に向かい、潜龍院跡(昌幸が勝頼のために用意した屋敷跡)を目指せば、郷原駅側の密岩登山口ないしは古岩登山口に出て、史跡としての岩櫃城の魅力を余すところなく堪能できるだけでなく、観光案内などでよく岩櫃山の特徴的な山容を目の当たりにできます。なお、岩櫃山九合目から山頂まではえげつない鎖場が続くので、登山用の装備が必要です。 公共交通機関+徒歩のほうが経路の自由度は増すものの、運行本数の少ない吾妻線なので、時刻表は頭に入れておかないと、何もない駅で長時間待ちぼうけとなりかねないので、その点はご注意ください。
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