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Shōbōji — Attraction in Higashimatsuyama

Name
Shōbōji
Description
Nearby attractions
Monomiyama Park
241-17 Iwadono, Higashimatsuyama, Saitama 355-0065, Japan
Peace Museum of Saitama
241-113 Iwadono, Higashimatsuyama, Saitama 355-0065, Japan
Penguin Hills
554 Iwadono, Higashimatsuyama, Saitama 355-0065, Japan
Red Panda House
Iwadono, Higashimatsuyama, Saitama 355-0065, Japan
Small Animals House
Iwadono, Higashimatsuyama, Saitama 355-0065, Japan
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Keywords
Shōbōji tourism.Shōbōji hotels.Shōbōji bed and breakfast. flights to Shōbōji.Shōbōji attractions.Shōbōji restaurants.Shōbōji travel.Shōbōji travel guide.Shōbōji travel blog.Shōbōji pictures.Shōbōji photos.Shōbōji travel tips.Shōbōji maps.Shōbōji things to do.
Shōbōji things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Shōbōji
JapanSaitama PrefectureHigashimatsuyamaShōbōji

Basic Info

Shōbōji

1229 Iwadono, Higashimatsuyama, Saitama 355-0065, Japan
4.4(325)
Open 24 hours
Save
spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Family friendly
Accessibility
attractions: Monomiyama Park, Peace Museum of Saitama, Penguin Hills, Red Panda House, Small Animals House, restaurants:
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Phone
+81 493-34-4156
Website
iwadonosan-shoboji.org

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Reviews

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Monomiyama Park

Peace Museum of Saitama

Penguin Hills

Red Panda House

Small Animals House

Monomiyama Park

Monomiyama Park

4.0

(137)

Open until 12:00 AM
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Peace Museum of Saitama

Peace Museum of Saitama

4.1

(321)

Open 24 hours
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Penguin Hills

Penguin Hills

4.3

(173)

Open 24 hours
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Red Panda House

Red Panda House

4.0

(18)

Closed
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Things to do nearby

Candlelight: クリスマス定番ソング
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Thu, Dec 11 • 7:00 PM
さいたま市中央区上峰3-15-1 彩の国さいたま芸術劇場内 音楽ホール, 338-0014
View details
Make a pair of samurai sandals using traditional Japanese techniques
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Thu, Dec 11 • 2:00 PM
350-0056, Saitama, Kawagoe, Japan
View details
Bonsai Tour & Experience at the Sacred Bonsai City
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Mon, Dec 8 • 10:00 AM
331-0804, Saitama, Saitama
View details
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Reviews of Shōbōji

4.4
(325)
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5.0
7y

坂東観音霊場10番札所巌殿山正法寺(いわどのさん しょうぼうじ)にお詣りします。坂東札所の地図を見ると、9番から11番までは距離が近いのですが、電車とバスと徒歩で回るつもりですし、何よりスタンプラリーやクロスカントリーではないのですからお詣りは一日2寺までとしました。平安・鎌倉の時代から連綿として続いて来た観音霊場の信仰に触れ、札所の雰囲気に十分浸り、ゆっくり歩くことを大切にする旅にしたいと思いました。また札所の納経時間(朝は8時から、夕方は札所により16 時~17 時に終わる)を考慮するとともに、心を落ち着かせてお詣りすることが大切だと思います。今日は9番慈光寺に続いて、10番正法寺に向かいます。9番札所からせせらぎバスセンターに戻り、ここからときがわバスで東武東上線の武蔵嵐山駅に向かいます。武蔵嵐山駅から池袋方面の列車に乗り高坂駅で下車、駅西口から川越観光バスの鳩山ニュータウン行きに乗ります。休日だったため子ども動物自然公園や物見山公園に向かう家族連れが何組も乗りました。大東文化大学で下車、比企丘陵のゆったりと広い自然の中の広大なキャンパスを眺めながら数分間自動車道路(県道212号線)を進むと「巖殿観音↓」の看板があり、階段を降りると地下トンネルの通路を通って正法寺の裏手に降りられました。本来の参道は観音堂よりさらに下った所にあり、運慶作と言われる力強い仁王さまの像が祀ってありました。お肌がつややかなので、ウルシを塗り直したようです。(平成四年の解体修理の際に棟札が出て、運慶作のものは江戸時代に焼失し現在の仁王像は文化年間に再建されたものと判明したとのこと。)仁王門からはるか北東に向かってまっすぐ伸びる表参道が見晴らせ、周囲の岩殿集落の緑が目にしみます。観音堂に戻りお詣りします。お堂の柱や梁は時代を経た何百枚もの千社札で埋め尽くされ、また風雨に晒されて読めなくなった奉納額が何枚も掲げられ、この札所を訪れた多くの巡礼の祈りや願いが聞こえて来るような気がします。階段の下でお線香とローソク...

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4.0
1y

直書きの御朱印いただきました。

寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康から寺領二十五石の朱印地を与えられる。

岩殿丘陵の最東端に位置し、物見山のすぐ隣にあるため、寺は急傾斜地を切り崩したような場所にあり、東方面にだけ開けている。また、多くの樹木に囲まれているので山寺の雰囲気を持つ。

観音堂 養老年間の創建と伝える。寛永、天明、明治と3回再建され、現在の建物は明治11年(1871年)の火災により観音堂が焼失した為、翌年高麗村白子(現飯能市)の長念寺から移築されたものである。本尊の千手観音は、室町時代の作と伝えられる。 仁王門 表参道から石段を少し登った所にある「巌殿山」の額を掲げた門。左右には仁王像がある。右手に本堂がある。観音堂は、この仁王門から長い階段を登ったところにある。 銅鐘(梵鐘) 元亨2年(1322年)に鋳造されたもので、外面に無数の傷が付いており、これは天正18年(1590年)に豊臣秀吉による関東征伐の際に、山中を引き回した時の傷だと伝えられる。 鐘楼 元禄15年(1702年)に比企郡野本村(現在の東松山市野本)の山田茂兵衛の寄進で建立されたと伝えられる草葺き屋根の建物で東松山市内では最も古い建造物として、東松山市有形文化財に指定されている。 六面幢 天正10年(1582年)に、正法寺の僧、道照が建立したもので、埼玉県史跡に指定されている。 判官塚 比企能員の孫である員茂が1218年頃、能員の菩提を弔うために岩殿観音の南東の地である南新井に塚を築いたもの。大東文化大学東松山キャンパス拡張工事に伴い、現在地...

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5.0
6y

巖殿山修善院正法寺。埼玉県東松山市岩殿。真言宗智山派に属し、本尊は阿弥陀如来。観音堂に祀られる千手観音は巖殿観音と呼ばれ、坂東三十三観音霊場十番札所になる。この千手観音は、北条政子の守り本尊といわれる。鎌倉殿の十三人の一人比企能員(大河ドラマでは佐藤二朗さん演じる)が復興した。征夷大将軍坂上田村麻呂の悪竜退治の伝説が残る。吉見観音安楽寺・都幾山慈光寺と共に比企三山と呼ばれる。

物見山の麓というか中腹に観音堂はあります。春先から夏には木々の緑が綺麗である。秋は紅葉です。鳥のさえずりが心地よく、森林浴になります。

観音堂の賽銭箱の隣には護摩木(100円)があり、願い事を書いて納めることが出来ます。また、納経所にて御朱印、御守、御札を頂けます。

御朱印(4種類、各500円)、があります。由緒書は無料です。

祈願済の御札に関して、納経所の玄関には紙札が4種類(家内安全・厄除開運・商売繁昌・身体健全)が掲示されていますが、代表的な4種類を掲示しているだけで他にも「無病息災・病気平癒・方位安全・受験合格・安産守護」等があると思われます。御札のお布施は1,000円になります。

御祈願に関しては事前にお寺...

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Masa TanaMasa Tana
坂東観音霊場10番札所巌殿山正法寺(いわどのさん しょうぼうじ)にお詣りします。坂東札所の地図を見ると、9番から11番までは距離が近いのですが、電車とバスと徒歩で回るつもりですし、何よりスタンプラリーやクロスカントリーではないのですからお詣りは一日2寺までとしました。平安・鎌倉の時代から連綿として続いて来た観音霊場の信仰に触れ、札所の雰囲気に十分浸り、ゆっくり歩くことを大切にする旅にしたいと思いました。また札所の納経時間(朝は8時から、夕方は札所により16 時~17 時に終わる)を考慮するとともに、心を落ち着かせてお詣りすることが大切だと思います。今日は9番慈光寺に続いて、10番正法寺に向かいます。9番札所からせせらぎバスセンターに戻り、ここからときがわバスで東武東上線の武蔵嵐山駅に向かいます。武蔵嵐山駅から池袋方面の列車に乗り高坂駅で下車、駅西口から川越観光バスの鳩山ニュータウン行きに乗ります。休日だったため子ども動物自然公園や物見山公園に向かう家族連れが何組も乗りました。大東文化大学で下車、比企丘陵のゆったりと広い自然の中の広大なキャンパスを眺めながら数分間自動車道路(県道212号線)を進むと「巖殿観音↓」の看板があり、階段を降りると地下トンネルの通路を通って正法寺の裏手に降りられました。本来の参道は観音堂よりさらに下った所にあり、運慶作と言われる力強い仁王さまの像が祀ってありました。お肌がつややかなので、ウルシを塗り直したようです。(平成四年の解体修理の際に棟札が出て、運慶作のものは江戸時代に焼失し現在の仁王像は文化年間に再建されたものと判明したとのこと。)仁王門からはるか北東に向かってまっすぐ伸びる表参道が見晴らせ、周囲の岩殿集落の緑が目にしみます。観音堂に戻りお詣りします。お堂の柱や梁は時代を経た何百枚もの千社札で埋め尽くされ、また風雨に晒されて読めなくなった奉納額が何枚も掲げられ、この札所を訪れた多くの巡礼の祈りや願いが聞こえて来るような気がします。階段の下でお線香とローソク をあげ、階段を登りお賽銭をあげて般若心経と十句観音経をゆっくりと唱えます。ご本尊さまは鎌倉時代初期の造立とされる銅鋳の相好端正な千手観音坐像とされますが秘仏であり厨子の扉は閉ざされています。御開帳は午年とのことですので次は2026年です。普段は脇に控えた写本尊さまを拝むことが出来ます。ふと横を見ると赤い頭巾を冠り歳へてお顔に深いヒビを刻まれたおびんずるさまがいました。何万人もの人々の病気平癒の願いを受け止め人々に心の安らぎを与え続けてじっと座っていらっしゃるのでしょう。観音堂の横手には岩壁があって、数多くの小さな石仏が並んでおり、これは、坂東三十三ヶ所、西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、四国八十八ヶ所の写し本尊だそうです。いつの日にかそれらの札所も巡りたいものと思い、観音さまにお願いしました。観音堂から下って納経所に向かい納経印を頂きました。古い時代の納経帳を拝見しますと、昔は宝印の押印のみで墨書はしなかったようですが、現在では墨書押印してくれます。納経帳の墨書は札所ごとに特色があります。先程お詣りした9番慈光寺のご住職さまは闊達な文字で「千手大悲閣」と記してくれました。この札所ではどのような墨書をしてくださるか楽しみです。当山のご住職さまは千手観音さまを表す梵字の「キリーク」の下にどっしりとした文字で「大悲閣」と書いてくださいました。(大悲とは衆生の苦しみを救おうとする仏さま殊に観世音菩薩さまの広大な慈悲の心を現し、「大悲閣」は観世音菩薩像を安置した仏堂(観音堂)を現わします。)納経を済ませ境内を拝見します。桜・銀杏・楓などに彩られた境内はきれいに掃除されゴミ一つ落ちていません。巡錫姿の弘法大師像やお地蔵さまを参拝します。お手洗いも気持ちよく清掃されていました。本堂右手にある鎌倉時代末期の銘のある古い梵鐘を拜見します。この鐘は戦国時代末期の北条氏の家臣で剛の者として知られた大道寺入道政繁の「ひきずり鐘」として有名な鐘で県指定有形文化財です。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による関東征伐の際に大道寺入道政繁がこの鐘を引きずりまわして打ち鳴らし、軍勢の士気を鼓舞したと伝えられます。その時についたスリ傷が残る戦国時代の証人と言える歴史ある梵鐘です。政繁は武州川越の地方豪族ですが戦上手なだけでなくその領民を良く治め領内の治水や商業振興にも意を尽くしたと伝えられます。このように文武両道に長けた武将でしたが、時は味方せず、太閤の小田原征伐に遭遇し善戦するも衆寡敵せず破れ、その後は秀吉の小田原攻めに協力して功績を挙げますが結局秀吉に切腹を命ぜられてしまいます。この戦乱の傷跡を残すやや小ぶりの梵鐘を眺めながら人間の運命を考えてしまいました。正法寺の公式ブログによればこの寺の創立は養老2年(718年)沙門逸海が物見山の岩窟に千手観音を祀り庵を結んだ時に始まる長い歴史のある寺です。そして鎌倉時代には、北条政子の守り本尊として源頼朝の庇護のもと比企能員が復興、一山六十余坊を擁し坂東三十三観音霊場の第十番札所となります。比企能員の栄達に危機感を抱いた北条時政・政子親子のために能員が謀殺されると、その嫡子時員は追手を逃れて出家しこの寺を守ったとされます。鎌倉の日蓮宗霊跡本山妙本寺同様この寺も比企氏ゆかりのお寺だったのですね。さらに伝説の世界に入りますが延暦年間、坂上田村麿の奥州征伐の際比企の山に住む悪龍を岩殿観音の霊威により退治したとの言い伝えがあります。また夜な夜な額から抜け出た絵馬の馬が麦を喰いに行ったとか都幾川まで水を飲みに行ったとか言う「抜け絵馬」や近在の奉納相撲でこの村の人がいつも負けていたのが、ある年、金剛兵衞と力士兵衞と名乗る若者が優勝しその若者に何処の出身かと尋ねると比企郡岩殿観音から来たと言ったと言う「仁王の相撲」などの話が伝えられており、長い歴史を持つ地元の人々に親しまれたお寺であることが分かります。
ライダーヒグマライダーヒグマ
直書きの御朱印いただきました。 寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康から寺領二十五石の朱印地を与えられる。 岩殿丘陵の最東端に位置し、物見山のすぐ隣にあるため、寺は急傾斜地を切り崩したような場所にあり、東方面にだけ開けている。また、多くの樹木に囲まれているので山寺の雰囲気を持つ。 観音堂 養老年間の創建と伝える。寛永、天明、明治と3回再建され、現在の建物は明治11年(1871年)の火災により観音堂が焼失した為、翌年高麗村白子(現飯能市)の長念寺から移築されたものである。本尊の千手観音は、室町時代の作と伝えられる。 仁王門 表参道から石段を少し登った所にある「巌殿山」の額を掲げた門。左右には仁王像がある。右手に本堂がある。観音堂は、この仁王門から長い階段を登ったところにある。 銅鐘(梵鐘) 元亨2年(1322年)に鋳造されたもので、外面に無数の傷が付いており、これは天正18年(1590年)に豊臣秀吉による関東征伐の際に、山中を引き回した時の傷だと伝えられる。 鐘楼 元禄15年(1702年)に比企郡野本村(現在の東松山市野本)の山田茂兵衛の寄進で建立されたと伝えられる草葺き屋根の建物で東松山市内では最も古い建造物として、東松山市有形文化財に指定されている。 六面幢 天正10年(1582年)に、正法寺の僧、道照が建立したもので、埼玉県史跡に指定されている。 判官塚 比企能員の孫である員茂が1218年頃、能員の菩提を弔うために岩殿観音の南東の地である南新井に塚を築いたもの。大東文化大学東松山キャンパス拡張工事に伴い、現在地に移転したとのことです。
まほろばまほろば
巖殿山修善院正法寺。埼玉県東松山市岩殿。真言宗智山派に属し、本尊は阿弥陀如来。観音堂に祀られる千手観音は巖殿観音と呼ばれ、坂東三十三観音霊場十番札所になる。この千手観音は、北条政子の守り本尊といわれる。鎌倉殿の十三人の一人比企能員(大河ドラマでは佐藤二朗さん演じる)が復興した。征夷大将軍坂上田村麻呂の悪竜退治の伝説が残る。吉見観音安楽寺・都幾山慈光寺と共に比企三山と呼ばれる。 物見山の麓というか中腹に観音堂はあります。春先から夏には木々の緑が綺麗である。秋は紅葉です。鳥のさえずりが心地よく、森林浴になります。 観音堂の賽銭箱の隣には護摩木(100円)があり、願い事を書いて納めることが出来ます。また、納経所にて御朱印、御守、御札を頂けます。 御朱印(4種類、各500円)、があります。由緒書は無料です。 祈願済の御札に関して、納経所の玄関には紙札が4種類(家内安全・厄除開運・商売繁昌・身体健全)が掲示されていますが、代表的な4種類を掲示しているだけで他にも「無病息災・病気平癒・方位安全・受験合格・安産守護」等があると思われます。御札のお布施は1,000円になります。 御祈願に関しては事前にお寺にお問い合わせください。
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坂東観音霊場10番札所巌殿山正法寺(いわどのさん しょうぼうじ)にお詣りします。坂東札所の地図を見ると、9番から11番までは距離が近いのですが、電車とバスと徒歩で回るつもりですし、何よりスタンプラリーやクロスカントリーではないのですからお詣りは一日2寺までとしました。平安・鎌倉の時代から連綿として続いて来た観音霊場の信仰に触れ、札所の雰囲気に十分浸り、ゆっくり歩くことを大切にする旅にしたいと思いました。また札所の納経時間(朝は8時から、夕方は札所により16 時~17 時に終わる)を考慮するとともに、心を落ち着かせてお詣りすることが大切だと思います。今日は9番慈光寺に続いて、10番正法寺に向かいます。9番札所からせせらぎバスセンターに戻り、ここからときがわバスで東武東上線の武蔵嵐山駅に向かいます。武蔵嵐山駅から池袋方面の列車に乗り高坂駅で下車、駅西口から川越観光バスの鳩山ニュータウン行きに乗ります。休日だったため子ども動物自然公園や物見山公園に向かう家族連れが何組も乗りました。大東文化大学で下車、比企丘陵のゆったりと広い自然の中の広大なキャンパスを眺めながら数分間自動車道路(県道212号線)を進むと「巖殿観音↓」の看板があり、階段を降りると地下トンネルの通路を通って正法寺の裏手に降りられました。本来の参道は観音堂よりさらに下った所にあり、運慶作と言われる力強い仁王さまの像が祀ってありました。お肌がつややかなので、ウルシを塗り直したようです。(平成四年の解体修理の際に棟札が出て、運慶作のものは江戸時代に焼失し現在の仁王像は文化年間に再建されたものと判明したとのこと。)仁王門からはるか北東に向かってまっすぐ伸びる表参道が見晴らせ、周囲の岩殿集落の緑が目にしみます。観音堂に戻りお詣りします。お堂の柱や梁は時代を経た何百枚もの千社札で埋め尽くされ、また風雨に晒されて読めなくなった奉納額が何枚も掲げられ、この札所を訪れた多くの巡礼の祈りや願いが聞こえて来るような気がします。階段の下でお線香とローソク をあげ、階段を登りお賽銭をあげて般若心経と十句観音経をゆっくりと唱えます。ご本尊さまは鎌倉時代初期の造立とされる銅鋳の相好端正な千手観音坐像とされますが秘仏であり厨子の扉は閉ざされています。御開帳は午年とのことですので次は2026年です。普段は脇に控えた写本尊さまを拝むことが出来ます。ふと横を見ると赤い頭巾を冠り歳へてお顔に深いヒビを刻まれたおびんずるさまがいました。何万人もの人々の病気平癒の願いを受け止め人々に心の安らぎを与え続けてじっと座っていらっしゃるのでしょう。観音堂の横手には岩壁があって、数多くの小さな石仏が並んでおり、これは、坂東三十三ヶ所、西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、四国八十八ヶ所の写し本尊だそうです。いつの日にかそれらの札所も巡りたいものと思い、観音さまにお願いしました。観音堂から下って納経所に向かい納経印を頂きました。古い時代の納経帳を拝見しますと、昔は宝印の押印のみで墨書はしなかったようですが、現在では墨書押印してくれます。納経帳の墨書は札所ごとに特色があります。先程お詣りした9番慈光寺のご住職さまは闊達な文字で「千手大悲閣」と記してくれました。この札所ではどのような墨書をしてくださるか楽しみです。当山のご住職さまは千手観音さまを表す梵字の「キリーク」の下にどっしりとした文字で「大悲閣」と書いてくださいました。(大悲とは衆生の苦しみを救おうとする仏さま殊に観世音菩薩さまの広大な慈悲の心を現し、「大悲閣」は観世音菩薩像を安置した仏堂(観音堂)を現わします。)納経を済ませ境内を拝見します。桜・銀杏・楓などに彩られた境内はきれいに掃除されゴミ一つ落ちていません。巡錫姿の弘法大師像やお地蔵さまを参拝します。お手洗いも気持ちよく清掃されていました。本堂右手にある鎌倉時代末期の銘のある古い梵鐘を拜見します。この鐘は戦国時代末期の北条氏の家臣で剛の者として知られた大道寺入道政繁の「ひきずり鐘」として有名な鐘で県指定有形文化財です。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による関東征伐の際に大道寺入道政繁がこの鐘を引きずりまわして打ち鳴らし、軍勢の士気を鼓舞したと伝えられます。その時についたスリ傷が残る戦国時代の証人と言える歴史ある梵鐘です。政繁は武州川越の地方豪族ですが戦上手なだけでなくその領民を良く治め領内の治水や商業振興にも意を尽くしたと伝えられます。このように文武両道に長けた武将でしたが、時は味方せず、太閤の小田原征伐に遭遇し善戦するも衆寡敵せず破れ、その後は秀吉の小田原攻めに協力して功績を挙げますが結局秀吉に切腹を命ぜられてしまいます。この戦乱の傷跡を残すやや小ぶりの梵鐘を眺めながら人間の運命を考えてしまいました。正法寺の公式ブログによればこの寺の創立は養老2年(718年)沙門逸海が物見山の岩窟に千手観音を祀り庵を結んだ時に始まる長い歴史のある寺です。そして鎌倉時代には、北条政子の守り本尊として源頼朝の庇護のもと比企能員が復興、一山六十余坊を擁し坂東三十三観音霊場の第十番札所となります。比企能員の栄達に危機感を抱いた北条時政・政子親子のために能員が謀殺されると、その嫡子時員は追手を逃れて出家しこの寺を守ったとされます。鎌倉の日蓮宗霊跡本山妙本寺同様この寺も比企氏ゆかりのお寺だったのですね。さらに伝説の世界に入りますが延暦年間、坂上田村麿の奥州征伐の際比企の山に住む悪龍を岩殿観音の霊威により退治したとの言い伝えがあります。また夜な夜な額から抜け出た絵馬の馬が麦を喰いに行ったとか都幾川まで水を飲みに行ったとか言う「抜け絵馬」や近在の奉納相撲でこの村の人がいつも負けていたのが、ある年、金剛兵衞と力士兵衞と名乗る若者が優勝しその若者に何処の出身かと尋ねると比企郡岩殿観音から来たと言ったと言う「仁王の相撲」などの話が伝えられており、長い歴史を持つ地元の人々に親しまれたお寺であることが分かります。
Masa Tana

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直書きの御朱印いただきました。 寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康から寺領二十五石の朱印地を与えられる。 岩殿丘陵の最東端に位置し、物見山のすぐ隣にあるため、寺は急傾斜地を切り崩したような場所にあり、東方面にだけ開けている。また、多くの樹木に囲まれているので山寺の雰囲気を持つ。 観音堂 養老年間の創建と伝える。寛永、天明、明治と3回再建され、現在の建物は明治11年(1871年)の火災により観音堂が焼失した為、翌年高麗村白子(現飯能市)の長念寺から移築されたものである。本尊の千手観音は、室町時代の作と伝えられる。 仁王門 表参道から石段を少し登った所にある「巌殿山」の額を掲げた門。左右には仁王像がある。右手に本堂がある。観音堂は、この仁王門から長い階段を登ったところにある。 銅鐘(梵鐘) 元亨2年(1322年)に鋳造されたもので、外面に無数の傷が付いており、これは天正18年(1590年)に豊臣秀吉による関東征伐の際に、山中を引き回した時の傷だと伝えられる。 鐘楼 元禄15年(1702年)に比企郡野本村(現在の東松山市野本)の山田茂兵衛の寄進で建立されたと伝えられる草葺き屋根の建物で東松山市内では最も古い建造物として、東松山市有形文化財に指定されている。 六面幢 天正10年(1582年)に、正法寺の僧、道照が建立したもので、埼玉県史跡に指定されている。 判官塚 比企能員の孫である員茂が1218年頃、能員の菩提を弔うために岩殿観音の南東の地である南新井に塚を築いたもの。大東文化大学東松山キャンパス拡張工事に伴い、現在地に移転したとのことです。
ライダーヒグマ

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巖殿山修善院正法寺。埼玉県東松山市岩殿。真言宗智山派に属し、本尊は阿弥陀如来。観音堂に祀られる千手観音は巖殿観音と呼ばれ、坂東三十三観音霊場十番札所になる。この千手観音は、北条政子の守り本尊といわれる。鎌倉殿の十三人の一人比企能員(大河ドラマでは佐藤二朗さん演じる)が復興した。征夷大将軍坂上田村麻呂の悪竜退治の伝説が残る。吉見観音安楽寺・都幾山慈光寺と共に比企三山と呼ばれる。 物見山の麓というか中腹に観音堂はあります。春先から夏には木々の緑が綺麗である。秋は紅葉です。鳥のさえずりが心地よく、森林浴になります。 観音堂の賽銭箱の隣には護摩木(100円)があり、願い事を書いて納めることが出来ます。また、納経所にて御朱印、御守、御札を頂けます。 御朱印(4種類、各500円)、があります。由緒書は無料です。 祈願済の御札に関して、納経所の玄関には紙札が4種類(家内安全・厄除開運・商売繁昌・身体健全)が掲示されていますが、代表的な4種類を掲示しているだけで他にも「無病息災・病気平癒・方位安全・受験合格・安産守護」等があると思われます。御札のお布施は1,000円になります。 御祈願に関しては事前にお寺にお問い合わせください。
まほろば

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