近鉄奈良線石切駅で下車し石切さんの参道を下りていくこと約500メートル、進行方向左手に案内板。千手寺は1574年に役行者によって開創され平安初期に焼失したのを在原業平によって復興されたと伝わる。役行者が笠置山の千手窟で修行していたとき、不思議な光(神光)が出現、光に導かれるように生駒山の麓へ。するとそこに神々を従えた千手観音が現れ、役行者はその姿を刻んで堂宇を建立し千手観音を祀った。この由縁から、その堂を「光堂」と称し、その里の名前を「神並村(こうなみむら)」と称したと伝えられています。その後、光堂は惟喬親王の乱で焼失。千手観音像はみずから深野池(ふこうのいけ)「現在のJR鴻池新田」に自ら飛び去って難を逃れたとか。その時に近辺に来訪していた在原業平が光輝く池を見つけ調べて見ると千手観音像が池に沈んでいた。そこで業平は光堂を建立。業平の没後は本堂の右側に廟が築かれたと伝承。今の護摩堂がその場所にあたります。現在、境内には、業平の供養塔と伝えられる南北朝時代の五輪塔が、ひっそりとたたずんでいます。現在の千手寺の本尊は、正平十二年(1357)に奈良興福寺の大仏師康成(こうせい)が造立したもので、その丈190センチにも達する大きなものです。また、護摩堂の本尊不動明王は、生駒山宝山寺の湛海律師が元禄十五年(1702)に刻んだものと言われ、いずれも大阪府指...
Read more恵日山と号する真言宗の寺院です。 役行者が笠置山で修行中、不思議な光の導きで来訪し、神々が出現する機会に恵まれ、寺を建立したことで始まり空海が中興したといわれています。 平安時代の惟喬親王の乱で千手寺は戦火にあい焼失、本尊の千手観音像は、深野池に飛び込み池より光を放っているのを在原業平がこれを発見して、寺を中興し、上ノ坊を始めとした5つの坊社を建てたと伝えられています。 今の千手寺は、この上ノ坊の旧跡をつぐ寺で、別名を『光堂』と呼ばれています。度々の不思議な光により名づけられているといわれます。千手観音や阿弥陀如来を安置して、極楽往生を願うお堂であり、西に沈む夕陽に浄土への思いをかける...
Read more真言宗の寺院、河内西国霊場第10番札所、山号は恵日山、寺格は大本山、御本尊は千手観音菩薩、創建年は白鳳時代、開基は伝、役行者、中興は伝、在原業平、別称は光堂、文化財は木造不動明王坐像(府指定文化財)木造不動明王立像、木造千手観音立像他(市指定文化財)寺伝によれば笠置山の千手窟で修行していた役行者が神炎の導きにより此の地で千手観音の出現に出会い堂宇を創建、平安時代初期弘法大師が此の寺に泊まった際善女竜王が夢に現れ補陀落山の香木を与えた大師は此の木で千手...
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