楠葉の自宅から1時ほど掛けてウォーキングで到着。駐車場は史跡公園東側に縦列駐車でとめるタイプの駐車場がありました。整備途中なのか東側の築地塀が綺麗に整備されていました。創建時は3層の東塔、西塔が建っていたそうです。簡単ながら透明ガラスに当時を想像した東塔、西塔、金堂の絵と復元された基礎を重ね合わせて撮影可能なスポットあり。重ね合わせで撮影できるアイデアは悪くないが、ベストショットのアングルと距離感がなかなかつかめずに、膝を曲げてのピント合わせに苦労しました。撮影用に椅子があればまだ便利かなと思うところ。周りの風景は南門跡から南側は住宅や病院なのか大きな建物で風景が閉ざされ、せっかくの高台からの風景は想像するしかありません。北方面は遠くに天王山や男山、国会議事堂のような大阪工業大学の建物が確認できました。まだ中世のころは、おそらくは百済寺から百済王氏の邸宅群、さらに北には天皇家の狩場である禁野の森や摂関家の牧場、楠葉方面では土器の産地であったとのことですので煙りが立ち上った風景が広がっていたのかもしれません。反対の北側は既述のとおり今は建物にふさがれいますが、枚方丘陵地、遠くは淀川の風景などがみえるのでしょうか。枚方市内を広く見渡せる絶好の場所であることは間違いないようです。百済王氏は河内守に就任を契機にこの場所に移ってきたそうです。河内でも北の位置する枚方の丘陵地に移ってきた理由は私自身はわかっていないですが、歴史ロマンを感じさせてくれる場所です。本格的にやるならVRやドローンで撮影した南側の風景を観れる仕組みがあるとより楽しめると思いました。ちなみに百済神社の方にいくと枚方公園方面がみえるスポットがあります。枚方公園方面の丘陵地は室町から安土桃山時代には浄土真宗の寺内町が展開していたそうです。江戸期には京街道沿いに街が移ったそうなので、百済神社からはみえませんが、百済寺が創建された奈良時代から平安、安土桃山までの枚方の移り変わりを想像するのに百済寺、神社...
Read more気温が2019.5.4...
Read more飛鳥時代に建立された古代寺院である百済寺の跡。6世紀末から7世紀初頭にかけて創建されたとされます。当時、朝鮮半島の百済からの渡来人がこの地域に定住し、日本の文化や技術の発展に貢献しました。その際に百済の文化や仏教を伝える拠点として建立されたのが百済寺とされています。百済は仏教伝来の国として日本に大きな影響を与えました。この寺院も、百済王族やその子孫、百済からの渡来人たちによって維持され、地域の仏教文化の発展に寄与したと考えられています。現在は寺院の礎石や基壇跡などが残っており、当時の寺院の広さや配置を伺い知ることができる興味深い場所ですが、地元キッズ達の遊び場になっている...
Read more