津軽氏史跡。 2020年10月18日来訪。
津軽為信公が1598年に藤崎に開基した曹洞宗のお寺。本堂の屋根は入母屋造りの茅葺屋根で、屋根の梁に津軽氏の杏葉牡丹の家門がある。 このお寺には、為信公の立派な霊屋があります。為信公が死去した翌年の1608年に建立された記録があるそうで、京都で亡くなった為信公の遺骨を信牧公が持参し、格翁禅師を導師として葬儀を行い、革秀寺を廟所としたそうです。
霊屋は、柵と土塀で囲まれていて、基壇上に建てられており、中には入れないし非公開です。霊屋自体高低差と距離があるので正直拝観しにくいが、霊屋なので仕方ないですね。 寺の周囲は堀みたいな池や土塁があり、まるで小さな城館のよう。江戸時代には境内への立入を厳しく制限されていたそうです。 為信公の墓といえば、為信公が側室にしようとして拒絶され、攻め滅ぼされた藤代御前の逸話がありますね。現在の為信公の霊屋は、為信公の遺言で、藤代御前の呪いを封じるために、藤代御前の墓の上に造ったという。藤代御前のお墓が、この霊屋の下に本当にあるので...
Read more2022年9月に参拝しました。 最初、慶長3年1598年に藤崎に造営されたそうです。 藩祖津軽為信公は、慶長12年1607年に京都で亡くなられました。2代藩主津軽信枚(のぶひら)公が、藤崎からこの地に移転させたそうです。移転直後に火災で焼失し、慶長15年1610年に再建されました。本堂は、茅葺きで、その当時の古い様式を残しています。為信公の御霊屋は、創建当初、質素な造りであったそうですが、文化年間1804〜1817年に大修理が行なわれ、現在のような絢爛豪華なものとなりました。この御霊屋の場所には、藤代御前の伝説が残されています。側室になることを拒絶して果てた藤代御前の祟りを恐れて、藤代御前のお墓の上に、為信公は、御霊屋が被さるように建るようにと遺言したという伝説です。津軽美人は、じょっぱりだったのでしょうか。 門前に蓮...
Read moreJR弘前駅からバスでアクセスする場合は、6番乗り場から「駒越線(藤代線)」に乗車します。「向駒越」バス停にて下車、バスの進行方向に向かって1~2分歩くと、左手に蓮池が見えてきます。
7月に訪れましたが、蓮池のハスの葉が勢い良く伸びて花もちらほら咲いていて、葉と花の良い香りが漂っていました。
夏ということと、郊外にあるので仕方がないとは思いますが、境内は、山門などに強めのクモの巣がかかっていたりして歩くのに注意が必要でした。ですが、茅葺き屋根の本堂の佇まいは素朴ながら迫力があって、一見...
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