2022年9月に参拝しました。 藩祖津軽為信公が、母親の菩提を弔うために慶長元年1596年、大光寺村に建立したのが始まりとされています。元和元年1615年、弘前城築城にともない、2代藩主津軽信枚(のぶひら)公が、現在地へ移転させました。 ここの山門は、江戸時代中期の作と考えられてきました。下層の蟇股などに室町期の手法が見られるため、定かではありません。大光寺城に関連する門だったのではと推測される方もおられます。懸魚に鶴や亀をあしらった珍しい形をしているため、鶴亀門と呼ばれています。 弘前城の縄張りを行った沼田面松斎のお墓も、この寺にあります。 大浦城本丸石垣の取り壊し作業中に発見された応安4年1371年の板碑や、古い石像の観音様があることでも有名です。 ちなみに、津軽為信公の母は、九戸政実の妹だったという噂があります。九戸政実の乱の時は、蒲生氏郷や南部信直と一緒に九戸城攻めに津軽為信は、加わっていました。母親の兄...
Read more津軽氏史跡。 2020年10月18日来訪。
誓願寺は、1596年に、津軽為信が母の菩提を弔うために創建された浄土宗の寺院。 ここを訪ねた目的は、沼田面松斎祐光の墓参です。 沼田祐光は、津軽為信の軍師として活躍したとされる人物で、有名な事績としては、堀越城から城を移転する地を弘前に定めた事が挙げられます。この人がいなかったら、今の弘前市は無かったかもしれません。 Wikiによると、沼田祐光については、津軽氏に仕える以前の経歴は不明な点が多く、陰陽道、易学、天文学に通じており、これらを駆使した伝承が伝わっているとの事。また中央政界とのパイプ役を務めた等とも。 出自が上野の沼田氏の一族という説もあるそうで、もしそうなら下野の足利学校で、易学や陰陽道等を学んだりして軍師としての素養を身に着けたのかも。想像が膨らみます。謎が多い軍師って、ロマンがありますね。 1612年12月病没。藩主にしか許されない院殿大居士号...
Read more今回は宵宮の日に訪れました。たくさんのお子様たちが出店に行ってましたよ。浴衣で夏らしいですね。年に一度のお祭り。ただ、道路を通行止めにしているので、いつも通っている通勤の人たちは困惑しておりました。けど、文句言うような人はいませんでした。子どもたちはおこずかいを握りしめてそれぞれお店で売ってるたこ焼き、花火、チョコバナナなど思い思いに買って楽しんでます。 普段はしーんと静まりかえった場所です。山門の造形がとても美しいお寺です。ここまでの山門はなかなかありません。近くに専求院という寺社もあり、古きよき弘前市を楽しめます。落ち着いた雰囲気の地域で、弘前城から歩いてすぐの場所なので、城下町の佇まいです。観光で来たら、...
Read more