亀山公園(きざんこうえん:日隈公園)は、JR日田駅の南西1kmほどの日田市中ノ島町の三隈川(筑後川上流)沿いの日田温泉(隈地区)の隣にある丘陵に整備された公園です。
元治元年(1864年)に後漢時代の「銅梁作細線式獣帯鏡」が出土した古墳跡(日隈1号墳)です。 文禄3年(1594年)大友義統は朝鮮出兵の際の敵前逃亡の罪で豊臣秀吉から豊後一国を没収されました。このため大友家臣として日田を治めていた郡老をはじめその他の諸氏も一時離散する憂き目に遭いました。 日田は豊臣氏の蔵入地(直轄地)となり代官、宮木長次郎が来郡しました。 日隈山寺にあった真光禅寺を現在の隈界隈(現寺町)に移し寺跡を城地として日隈城を築き、同時に田島村の大原神社前の町並みを日隈城下に移して隈町と名づけました。 慶長5年(1600年)毛利高政が宮木に代わって城主となって日隈城に入りました。高政は城を補強して、五層の天守閣と三層の櫓を築きました。 慶長5年(1600年)関が原の戦いの際に、中津の黒田如水は栗山備前守を大将として兵3000を率いて日田大原に陣を構え、隈の城主に和談を計り毛利高政は日隈城を引き渡し、栗山備前守 が日田郡を支配しました。 慶長6年(1601年)日田は幕府直轄地となり再び毛利高政が守代に任ぜられましたが、高政が佐伯に転封されると小川壱岐守が入郡して守代になりました。 小川壱岐守は、月隈山に築城して丸山城と名付け日隈城を廃城としました。 宝永3年(1706年)祇園社を隈・寺町に遷座しました。 大正13年(1926年)初代日田県知事の松方正義(薩摩藩出身・元老)が総理大臣に就くと、その業績を讃えて日田郡住民達が日隈神社の境内横手に経済の神、養育の神、家内繁盛、子宝の神として生祠の松方神社を創建しました。 大正14年(1925年)に建てられた日田郡馬原村庄屋の穴井六郎右衛門が行った幕府への直訴を称えた記念碑が建立されています。 昭和11年(1936年)に始められた「日田川開き観光祭」の発祥地です。 昭和20年(1945年)戦後GHQの命令によって松方神社が撤去され、建物などは撤去移築されました。
平成18年(2006年)公園の拡張工事を行い、児童公園として整備され、春には桜の名所となります。 公園内には、イチイガシ、ムク、エノキ等の大木が生い茂り、鵜飼いと屋形船の三隈川に隣接する「水郷日田」を代表する公園であり、市民や観光客の散策の場として親しまれています。
三隈三丘(日隈・月隈・星隈)に数えられるものの一つで侵食によって形成された残丘にあります。 日隈山は、三隈川を分流させていて、ここに立てば、川の流れの真ん中に立つ心地がします。また、南は三隈堰と島内堰により、水は満々とたたえられており、東端のみどり橋が架かる水辺は、せせらぎをなして流れ、日田市を代表する水辺景観の地であり、歴史的な歌にも詠まれた景勝の地でもあります。
公園の名称の由来は、亀のような形をした山なので「亀山(きざん)」と呼び、近世に日隈城が築かれる以前は曹洞宗 龜翁山 真光寺があった丘で、その名龜翁山(きおうざん)を縮め、読みを“キザン”と呼ぶようになったといいます。 元は「日ノ隈山・日隈山(ひのくまさん)」といい、月隈山が「豆田の城山」とも呼ばれることに対して日隈山は「隈の城山」ともいいます。
現在、山頂には「日隈神社」が鎮座しています。 明治3年(1870年)日田県知事として在任した松方正義は政府の神仏分離の方針に従い、光岡の松陽山岳林寺に祀られていた後醍醐天皇・楠正成・春日大明神を分離して、遷座奉祀して山頂に日隈神社を創建しました。 拝殿には、大久保利通(薩摩藩出身・明治維新の元勲)が書いた「龜翁山」、西郷隆盛(薩摩藩出身・陸軍大将)の書いた「日隈神社」の扁額が奉納されていますが、当時の日田県から多額の納税が中央政府に納められた事による感謝の印だったと思われます。 南九州における「楠公奉祀七社」のうちの最高の社格を誇ります。 春日大明神は、天正元年(1573年)以前より鎮座していましたが、慶長6年(1612年)毛利高政の城代...
Read moreVery clean and calm place. Good to take a walk around with beautiful water sound. Not too far from Hita station. Especially in summer season(May-Oct.) you can enjoy dinner on the boat and Ukai, Japanese traditional fishing with a bird performance. Necessarily to make a reservation at hotels next...
Read more諺に [亀山に行かずして日田に行ったと言うなかれ]と。 “水郷日田 風光明媚な盆地日本一の観光地¹ 底霧と温泉 遊船” S時代は小京都として新婚旅行や観光客が押し寄せ、亀山公園や川端の遊歩道は宿泊客が履く杉サンダルの音が夜通しカランコロンと。最近懐かしいと再び公園を訪れる人も。 一時九州一と言われスナックやバーの密集エリア。夜は今でも遅くまで居酒屋やカラオケと飲み歩く姿が見受けられます。/ 亀山公園について 【亀山五石】kizan =日隈山には5個あるそうでいくつ知ってる? 鵜立場と蛙石と...? 【亀山公園の岩】数百万年前の火山活動で3つの丘として隆起 日ノ隈・月隈・星隈に。 (TVブラタモリで亀山公園での散策で話題にもせず残念! ) 【日ノ隈城址】亀山のテッペンには隈城跡の神社があり、西郷隆盛や大久保利通直筆の神額、天井枡の美しい日本画は必見。 【大手門】水門のそばの大手門を入ると虎口、枡形の石垣があり日ノ隈城を偲ばせる。 【桜の馬場】 城の侍が通勤の馬を繋いだ広場で桜の名所。遊具もあり子供も楽しめます。 余談ですが大分県は始め日田県と呼ばれ、天領で水運盛んな江戸時代は九州のハブ(車輪の中心) 都市として大いに栄え偉人も多く渋沢栄一の記文碑があることからも伺えます。/
※¹ 昭和10年 国が景勝観光地として盆地(平原)として堂々と“日田盆地”が挙げられています。同時に発表された上高地は外国人により広く海外にまで知られていますが、日田は英国陶芸家 Bernard...
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