谷戸城跡は国の史跡に指定されている。 谷戸城は平山城で、近くのふるさと歴史館に車を駐車することができる。そこから城址はすぐである。
谷戸城の構造はシンプルで郭は四つほどである。石垣は使用されておらず土塁で囲まれている。最大の特徴はニ郭三郭の土塁及びその内側に一周掘られた深い横堀である。通常土塁下の横堀は外側に掘られるものだが谷戸城はなぜか内側に掘られている。当然土塁も外側よりも内側からの方が高低差が出る。これだと内部に侵入しやすく外に出るのが難しい。一郭も土塁で囲まれているがこちらに横堀は掘られていない。この構造の理由は不明であるが、まるで弥生時代の環濠集落のようである。
谷戸城は綺麗に整備された城址なのだが、訪問した8月は郭内に夏草が繁茂していた。草を刈ってくれていればと残念に感じた。
谷戸城は平安末期に甲斐源氏の祖である源(逸見)清光によって築かれたと伝わる。戦国時代には武田氏方の城であった。武田氏滅亡後の天正壬午の乱では北条氏の城と...
Read more逸見(へみ)神社から車で5分位で着く。途中立派な石垣で囲われた段々畑が目に付いた。 谷戸(やと)城跡は静寂の中にあった。駐車場は大きな駐車場が二つと北杜市考古資料館の駐車場が使える。周りは路駐もできそうな場所であるが…。私は城跡に一番近い資料館の駐車場を利用した。ここに「谷戸城跡」の碑がある。 谷戸城(別名茶臼山城)は古くは古城山城と云われ、義清・清光が修築する前から存在していたようである。縄張りは円郭式のようであるが、土塁や堀に城砦としての防御力は期待できない。戦国時代の城を“男城”と例えれば“女城”と言えるような、なだらかで優しそうな城であった。尚、現地の案内看板には「平安末から鎌倉時代初頭の要害城...
Read more治承4年(1180)、平家追討に立ち上がった源頼朝の使者北条時政は逸見山で武田信義(清光の嫡男)らと会い、甲斐源氏一党に頼朝への加勢を求めます。この逸見山が谷戸城と考えられており、石和で再度加勢の要請を受けた信義らは都に向けて進撃を開始し、甲斐源氏が歴史の表舞台に登場します。...
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