文明4年(1474)、関東管領上杉顕定の開基で、曹洞宗の修行道場として最盛期は多くの修行僧が集ったようですが、天保13年(1842)の山火事で焼失してしまいました。
骨波田の藤と称される藤の花で有名なお寺です。
宝暦3年(1753)、仏国哲眼が長泉寺に向かう途中、荷物の紐が切れてしまいました。
そこで辺りにあった古いフジの蔓を紐の代わりとしました。
到着すると蔓を庭に捨てましたが、それが根付いたのが「骨波田の藤」となりました。
また、仏国哲眼は第19世住職となりました。
さらに大昔、この地域一帯は大沼が広がり、その裏山に大蛇が住みつき村人を悩ませていたといいます。
坂上田村麻呂が蝦夷討伐の途中にこの地に立ち寄り、大蛇を退治しました。
多くの兵士が傷つき倒れたため、田村麻呂は裏山の麓に祠を建てて亡くなった兵士の霊を慰めました。
この後、この地域は天災や疾病が絶えず、村人は大蛇の祟りだと怯えていました。
そこへ高僧が訪れ祈禱を捧げたところ、沼の水面に沈んでいた大蛇の骨が次々浮かび上がり大きな波が立ちました。
僧が村人にその骨を集めさせ、裏山の祠に手厚く埋葬すると、安寧が訪れたといいます。
これが骨波田(こつはた)の地名の由来だといいます。
当寺開基の上杉顕定(うえすぎあきさだ)...
Read more藤そのものの美しさもさることながら、長泉寺の堂宇と一体を成すここにしかない景観が見事です。とりわけ藤棚を眼下に望む楼門からの眺めは素晴らしく、普段は下から見上げるばかりの藤の花が、眼下に絨毯のごとく広がる様は圧巻です。樹齢六五〇年ともなれば樹勢に衰えが見えてもおかしくないものの、花房は密度も長さも十二分です。国の天然記念物に指定されている藤は全国に七件あって、対する「骨波田の藤」は埼玉県の天然記念物でしかないのの、それらと比べても優るとも劣らずの見ごたえです。関東の藤の名所のうちでは比較的遅めに、他が四月下旬ならこちらは五月上旬に見頃となるため、どちらかを選ばずともどちらも楽しめるのも魅力です。 公共交通機関でのアクセスは便利ではありません。最寄はJR八高線の児玉駅らはは四キロ歩くかタクシーの二択となります。タクシーが常駐しているような駅ではないので、歩くのも待つのも億劫ならタクシーを予約しておくのが良いでしょう。長泉寺周辺には立ち寄るような名所はないものの、児玉駅の周辺には塙保己一記念館、近代化産業遺産の競進社模範蚕室、雉岡城址があります。雉岡城址は主要部分の三分の二ほどは中学校と高校の敷地になっていますが、残る三分の一ほどは曲輪と堀・土塁が良好な状態で保存されています。八高線で寄居まで移動すれば、関東屈指の堅城であった鉢形城が徒歩圏内にあります。高崎まで出れば見るところも食べるところもよりどりみどりとなります。インバウンド客の押し寄せる著名な観光地からは外れていても、少しの下調べで...
Read moreR6.5.6参詣 少し前なら藤の花も最盛期であったでしょう。一番の目的は御朱印を貰うことです。 此処は周りが山に囲まれた奥に在りました。でもゴールデンウィークの最終日ということで、それなりに賑わいもあり、芋洗い状態ではありませんでした。山門脇には受付があり、藤の花の為この時期は入山料が500円です。仁王門の上には延命殿、主尊は結跏趺坐の地蔵菩薩で金箔押しの仏様です。向かって右は小さな文殊菩薩像、左は観世音菩薩、どちらも艶のない漆黒のような色をしており主尊のように目にとまる色ではありませんね。曹洞宗開祖の道元禅師や不老観音のブロンズ像は見られて良かっです。道元禅師の像は何処の曹洞宗寺院で見られる訳でもなく珍しいと思いますし、不老観音の手印はこれまた見たことの無い印を結んでいます。 右手は施無畏印を左手は上品中生の印の組合せは始めて観ました。(如来に近づいた菩薩のお姿?また正法明如来に戻るのでしょうか??) 石像の観音様は未開敷蓮華を左手に持つか水瓶を持つ像が多いのですけれども...どなたか詳しい方居りましたらお教えしてくださいね🙇🙏 東国花の寺埼玉...
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