太田茶臼山古墳(おおだちゃうすやまこふん=宮内庁比定「継體天皇(けいたいてんのう)三嶋藍野陵(みしまのあいのみささぎ)」) 1.「御陵さん」 ここは地元の者から「御陵(ごりょう)さん」と呼ばれて親しまれてきました。約60年前は、田んぼと松やススキの生える繁み(陪塚=ばいちょう)とがあるだけで、横の「藍野病院」も「小じんまり」としていて、お墓らしく周囲は寂しいところでした。今のような「住宅地」になるとは、とても思えませんでした。幼い私が竹垣のすき間から覗くと濠に小舟が浮かべてあったのを覚えています。 また、その頃は幽霊の出る「心霊スポット」でした。深夜、帰宅を急ぐ人が、タクシーの運転手さんに「御陵さんまで行って」と告げると、運転手に「イヤな顔をされた」とその人から聞きました。そのうえ「火の玉を見た」という騒動もありましたね。 2.「藍野(あいの)」の開発 この古墳の300mほど北東には、茨木市安威(あい)を流れる安威川の井堰(いせき=小型のダム)「五社井堰(ごしゃいせき)」から、取水した古代の国家事業の用水路「三島大溝(みしまのおおみぞ)=五社井路(ごしゃせいろ)」が流れています。「摂津国三島郡(つのくにのみしまごおり)」を分けた際の「島上郡【しまかみぐん=三嶋上郡(みしまかみぐん)=高槻市・島本町】」と「島下郡【しましもぐん=三嶋下郡(みしましもぐん=茨木市、摂津市)】」の境になっています。この用水路によって荒れ野が拓かれました。 ※1.〇〇野(の) 「〇〇野」という地名は「緩やかな斜面」という意味です。 扇状地(せんじょうち)として土砂が積もって生まれた傾斜地が、海面が下がって河川が再び掘削するようになり、水の便が悪くなってしまった土地ということです。そのために水田に適さない「荒野(あれの、こうや)」という意味の言葉です。 ※2.「藍野(あいの)」と「阿武野(あぶの)」 「阿武野」は、明治になってから、霊仙寺(りょうぜんじ)、奈佐原(なさはら)、塚原(つかはら)、土室(はむろ)、氷室(ひむろ)、宮田(みやた)、赤大路(あかおおじ)岡本、宿名(すくな)の集落をまとめて「阿武野村」にした時に作った地名です。 相撲部屋に「阿武松(おうのまつ)部屋」があります。「阿武(おう)」は古語の「あふ」ですから、「あい」と発音が似ていて、元は同じだったのです。 ※3「五社井路」 「藍野」は、用水路の「五社井路」が開削されるまで、紅(くれない=呉藍)や青の染料が採れる草の「藍(あい)」が生える荒野だったという伝説があります。「五社井路」のおかげで「太田(おおだ)村」の東にも水田(すいでん)ができたというのです。北東の高田(たかだ)は、用水路を見下ろす土地で、近年まで「野」のままでした。 「五社」というのは、用水路によって潤され管理した島上郡の宮田、赤大路。島下郡の太田、総持寺、中城の五村を言います。 3.継体天皇 「継体天皇」と聞いて、ピンとこない人のために説明しますと。古代の有名人「聖徳太子(しょうとくたいし=厩戸王)の曽祖父(そうそふ=ひいおじいさん)です。 4.古墳の被葬者は? 平安時代の法令集「延喜式(えんぎしき)」によると、継体天皇の陵墓は「島上郡藍野陵」とあり、ここの「島下郡藍野大字太田(おおだ)字吉志部(きしべ)」ではありません。 今城塚(いましろづか)のある「島上郡阿武野(しまかみぐんあぶの)」は、三島郡が二つに分けられる前は「三島郡藍野」を一緒に構成していたと考えられます。従って「継体天皇島上郡藍野陵」は今城塚古墳ということになります。 私はこの古墳の被葬者(葬られた人物)は、ヤマト政権と結んで国家事業として「三島大溝(五社井路)」を開削させた「応神天皇」に近い有力豪族だったと考えます。 候補としては「三嶋溝咋氏」をあげておきます。安威川中流の茨木市五十鈴町に「溝咋(みぞくい)神社」があります。御祭神の三柱のうちの一柱は「三嶋溝咋耳命(ミシマノミゾクイミミノミコト)であり、三島の淀川沿いの低湿地の開発を行った首長(耳)です。「五社井路」の下流にあたる「玉川」の開削に関係しています。この神の娘の女神「玉櫛媛命(たまくしひめのみこと)」と出雲の「事代主命(ことしろぬしのみこと)」の間の娘の女神「姫踏鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)」は、神武天皇の后になったと「日本書紀」にあり、ヤマト政権と深い関わりのある神です。 私は、その何代か後の豪族「溝咋氏(みぞくいうじ)」の首長の墓であると考えています。「五社井路」は、「溝咋氏」の勢力範囲に流れ込むためです。 ※4.「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん=鍵穴型の古墳)」の形 近年、前方後円墳の研究が進み、赤外線レーザー測量によって形状の比較が行われています。 白石太一郎氏(大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長)の説によると、この古墳は、日本で二番目に大きい誉田御廟山古墳【こんだごびょうやまこふん=応神天皇陵(おうじんてんのうりょう)】の相似形で、これを原型として作られた2分の1の規格のものだそうです(それでも、淀川右岸最大の墳丘です。)。 同じ年代の古墳の中で「最大」でなければならないはずの「大王(=天皇)」の古墳(墓)が、同年代の他の古墳より小さいということは考えらえません。 (だから、「継体天皇陵」ではありません) ※5.ハニワの結びつき 5世紀前期の誉田御廟山古墳は、高温が得られる穴窯(あながま)で焼かれた埴輪を使用した最初の古墳であるとされています。このことは、太田茶臼山古墳の北東方向に埴輪工房跡(新池遺跡=ハニワ工場公園)があることと合致します。この古墳の被葬者は、八幡宮(はちまんぐう)の御祭神「応神天皇【誉田別命(ホンダワケノミコト)】=八幡神(はちまんしん)」との交流がある親しい関係の人物で、そのために生きているうちに(寿陵として)ヤマト政権から工人(技術者)が派遣されて造られたということになります。 また、古墳を取り巻く周濠(しゅうごう=濠(ほり))の周辺から発掘された「埴輪片(はにわへん)」の科学的分析では、5世紀前期のものとのデータも出ています。 (その点でも6世紀前半の「継体天皇陵」ではないことになります。) ※6.「茶臼山(ちゃうすやま)」 茶臼山とは、古くから広く前方後円墳を指す言葉として用いられてきたものです。前方後円墳は、木々がこんもりとして丸い山のように見えます。しかし、小さいものなら二段、この古墳のように大きなものでは、三段のテラスを持っています。昔の人は、それを抹茶を挽く石臼(いしうす=ミル)の臼石(うすいし)を積んだ形に見立てたのです。大きな山の上に小振りな山が乗っかった山で「茶臼山」ということです。 ※7.「氏(うじ)」 今の日本語で使われている「氏(し)」は、「さん(英語で”Mister”)」の代わりに使われています。しかし、「氏(うじ)」は、「氏族(しぞく=”Clan in...
Read moreとてつもないパワーを感じる場所でした。
継体天皇は、日本の第26代の天皇。応神天皇の五世の孫であり、第25代の武烈天皇が若くして亡くなり、後継者がいなかったため、北陸地方から大和に入り、皇位を継いだと言われています。日本の歴史において重要な転換期を創った天皇です。
継体天皇廟の前方後円墳
継体天皇は、大和政権の支配が日本列島全域に及んだ古墳時代後期、雄略天皇の皇孫として即位したとされる天皇です。その陵墓とされる前方後円墳は、日本の歴史と文化を語る上で重要な存在であり、多くの謎と魅力を秘めています。
Emperor Keitai is the 26th emperor of Japan. It is said that the 25th Emperor Buretsu, the fifth grandson of Emperor Ojin, died young and had no successor, so he entered Yamato from the Hokuriku region and succeeded to the imperial throne. He is an emperor who created an important turning point in Japanese history. Keitai Emperor Mausoleum and Keyhole-shaped Tumulus: Approaching the History and Mysteries Emperor Keitai is said to have ascended the throne as the grandson of Emperor Yuryaku during the late Kofun period, when the Yamato government ruled over the entire Japanese archipelago. The keyhole-shaped tumulus that is said to be the mausoleum is an important presence in talking about Japanese history and culture, and holds many...
Read more2021年3月14日(日)に行きました。 敷地内に入る事は出来ませんので、外から見るだけになります。
東側からは藍野病院前から見れますがフェンス越しになります。 北側からは見る場所は有りません。墓地内から見れるようですが部外者は進入禁止です。 西側(南西)からは太田3丁目の住宅道路から少しだけ見れます。 南側からだと太田公民館前と、継体天皇 三嶋藍野陵拝礼所から見れます。 一番のお勧めポイントは継体天皇...
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