行徳(東京メトロ最寄りなら妙典駅)に、こんなに由緒のある、立派なお寺があるとは知らなかった。 「徳」願寺と、徳川時代に名乗っているのはよほどの「格」のある寺院のみである。やはり幕府から朱印状の出ている寺であった。 山門がまず豪壮。市川市指定文化財である。門内で睨みをきかせる仁王像も、大黒様も、帝釈様も迫力のある出来。境内の経蔵も、除夜の鐘では賑わうという鐘楼もお金がかかっている。 本堂の中は見られなかったが、円山応挙の幽霊絵や、宮本武蔵の書画も所蔵しているとのこと。 庭の手入れも行き届いており、うまく写真に撮ると、京都のどこぞの有名寺院だと言われてもみな信じるだろう。 駅から十分散歩できる距離なので、また折に触れて参拝したい。
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Read more御府内四十四カ所の閻魔様の参拝でお伺いしました。 海巌山普光院徳願寺といい浄土宗のお寺になります、御本尊は阿弥陀如来になります。 慶長五年(1600)に創建された普光庵と呼ばれた草庵で、埼玉県鴻巣にある勝願寺の末寺であったが、徳川家康公の帰依により慶長十五年(1610年)に徳川の「徳」と勝願寺の「願」の二文字をとって「徳願寺」と寺名が付けられた。 開基は徳川家康で、開山に圓誉不残上人を迎えて創建したといいます。 徳川幕府第二代将軍徳川秀忠公の夫人「崇源院」が亡き後、北条政子(源頼朝の妻)が仏師運慶に命じて彫らせたと伝わる阿弥陀如来像を、当寺第二世忠残上人がこの像を下賜され供養料として慶安元年(1648年)十石の御朱印状を拝領したといいます。 朱色の山門は二階建で仁王像が安置されています、仁王像の裏側には毘沙門天と大黒天が安置されています、山門前の右側に「南無阿弥陀佛」と彫られた石柱がある。 閻魔大王像は観心堂に祀られている、大きな「やっとこ」を右手に持っていて仏師運慶の作と伝わります。 観心堂にはその他に釈迦如来像と身代わり観世...
Read more徳願寺 案内板によれば ・由来・いわれ 埼玉県鴻巣にある勝願寺の末寺であったが、徳川家康の帰依により、慶長15年(1610年)に、徳川の「徳」と勝願寺の「願」の二文字をとって徳願寺と名が付けられた。 明治6年(1873年)には、行徳小学校が当寺を仮校舎として開校している、 ・歳時・みどころ 本尊阿弥陀如来像は、源頼朝の妻北条政子が仏師、運慶に命じて彫らせたものといわれている。 宮本武蔵の落款のある書と八方にらみの達磨(だるま)の絵、円山応挙の幽霊の絵などの寺宝は、毎年11月16日のお十夜の日に一般公開される。 境内には、市川市指定文化財の山門、鐘楼、経蔵の他に身代観音堂、宮本武蔵の供養塔などがある。 四季折々の草木を楽しむことができ、お十夜、大晦日(除夜の鐘)には大勢の人々で賑わう。 行徳浦安三十三...
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