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Shōmogu Shrine — Attraction in Iki

Name
Shōmogu Shrine
Description
Nearby attractions
Katsumoto Castle Ruins
Katsumotocho Sakamotofure, Iki, Nagasaki 811-5531, Japan
Nearby restaurants
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LAMP Iki
253 Katsumotocho Katsumotoura, Iki, Nagasaki 811-5501, Japan
壱岐勝本 民泊いるかの宿
154-1 Katsumotocho Katsumotoura, Iki, Nagasaki 811-5501, Japan
Kushiyama Camping Ground
Japan, 〒811-5512 Nagasaki, Iki, Katsumotocho Higashifure, 串山2625-6
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Shōmogu Shrine
JapanNagasaki PrefectureIkiShōmogu Shrine

Basic Info

Shōmogu Shrine

554-2 Katsumotocho Katsumotoura, Iki, Nagasaki 811-5501, Japan
4.3(93)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Family friendly
Accessibility
attractions: Katsumoto Castle Ruins, restaurants:
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Phone
+81 920-42-0914
Website
ikikankou.com

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Reviews

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Katsumoto Castle Ruins

Katsumoto Castle Ruins

Katsumoto Castle Ruins

3.9

(60)

Open until 12:00 AM
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Reviews of Shōmogu Shrine

4.3
(93)
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5.0
10y

村社 聖母(しょうもう)神社。聖母宮(しょうもうぐう)とお言われます。神功(じんぐう)皇后を祭った聖母宮は、勝本の総鎮守でもあります。奈良時代初期に創建されたと言われています。門は文禄の役の時に加藤清正が寄進したもので、のどかな表情の牛の石像は名工山内利兵衛の作です。 神社所蔵の茶壺は「天正20年」(1592)銘の古唐津焼きで、口は欠けていますが学術研究上大変貴重なものです。秋には例祭カザモト祭が行われます。 聖母宮は、古くは「香椎宮(かしいぐう)」と称し、古来より筑前(福岡市)の香椎宮との繋がりが深く、筑前香椎宮の編年記には「詔テ神鏡ヲ附シ玉フ。東ハ鴨山、西ハ壱岐、南ハ住吉、北ハ尾呂。コレヲ四限トセリ。」と、香椎廟の四至のことが記されているそうです。壱岐七社の一つ。また、壱岐国式内社二十四座のひとつ中津神社の論社ともされています。 鳥居は江戸期石造肥前型鳥居です。

『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年神功皇后は肥前唐津の神集島で三韓出兵の勝利を祈願し、土器崎より壱岐に向けて三、二七〇艘の軍船を出発させた。この時、船が進むのにつごうの良い東風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ東風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。  壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝い勝本を改められたという。 皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放置されてしまった。しかし毎夜海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので里人は鏡を御殿に納めて神功皇后を神としてしまつったのがこの神社であると伝う。 また、一説には異敵の首一〇一、五〇〇を持ち帰った皇后は、風本の浜に穴に掘って埋められ、九町八反の築地を一夜で築きその上に宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとある。  文化財 昭和四十七年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺が有名 壺の銅部に『進入、日本いきしま、風本宮、聖母大菩薩、御神物ちやいれ、是ヲ心サス、喜斉、百良内村生、宗靏沙門(花押)天正廿年 敬白』の銘がある。 その他に数多くの文化財が伝えられているが神社の西門と南門は豊臣秀吉の朝鮮出兵の折りに、加藤清正と鍋島直茂によって造営寄進されたと伝えている。 この西門(正門)の前方には、神功皇后の御乗馬の足跡がのこるという馬蹄石がある。 (境内案内板より)

祭 神:息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)【神功皇后】、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)【仲哀天皇】、誉田別尊(ほむだわけのみこと)【応神天皇】、上筒男命、仲筒男命、底筒男命 配祀:天照皇大神(神明神社合祀により)、玉垂神(たまたれのかみ) 【高良玉垂神】、烏賊津連(いかつのむらじ) 【伊香津臣命】、真根子連 (まねこのむらじ) 【壱岐眞根子臣】

祭典日 :旧暦1月17日 祈漁祭 大神楽、10月13日 宵祭 大神楽、10月14日 例大祭...

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4.0
19w

聖母宮(しょうもぐう)。長崎県壱岐市勝本町勝本浦。

式内社(名神大)中津神社の論社、旧郷社。

主祭神:息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと。神功皇后)。 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと。仲哀天皇)。 住吉大神(上筒男尊、仲筒男尊、底筒男尊の住吉三神) 神功皇后の三韓征伐に因む神社で、征伐に勝利したことから勝負の神として知られる。また、皇后は三韓征伐の際に応神天皇を身籠り、凱旋の後に無事に出産したとの伝えから安産の神としても知られる。 とあります。

資料によると、 仲哀天皇9年(AD364年)10月、神功皇后が三韓征伐の折、壱岐で風待ちをした時に行宮を建てたのが起源とされる。この時神功皇后は北へ向かうのに良い風が吹いたことから、この地を風本(かざもと)と名付けた。同年12月三韓から凱旋時に勝利を記念して、風本を勝本に改めた。その時に敵の首101500をこの地に埋めたという伝承が残る。その後行宮は放置されたが、海より光るものが上がってくる事件が起き、その際に鏡を奉納し神功皇后を祀ったとされる。

養老元年(717年)、国家鎮護が祈願されて社殿が建てられる。聖母宮ではこれをもって神社の創建としている。古来より国主の崇敬厚く壱岐七社の一つとして、また壱岐国二の宮とされた。古来より福岡市の香椎宮との繋がりが深く、香椎宮(香椎大明神)を名乗っていた時期もあり、さらに地元が香椎村を名乗っていた時期もあった。しかし当社が香椎宮の分社というわけではない。

現在の中津神社を式内中津神社とすることには否定的な意見が多く、『式内社調査報告』では聖母宮が式内中津神社であり、現在の中津神社はその分祀であろうと記している。

当社の神域内に、三韓征伐の際の神功皇后の馬の蹄の跡が残っているとされる馬蹄石がある。ここは元寇の文永の役の元軍上陸地でもある。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正から正門の奉納したものであり、神社周囲の石垣も当時風待ち時に配下に積ませたものであり、朝鮮半島と風に縁のある神...

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5.0
6y

銘板によると―。 聖母宮

旧号 香椎大明神 聖母大菩薩、 鎮座地 壱岐郡勝本町勝本浦正村 祭神 息長足姫命(神功皇后) 足伸彦命(仲哀天皇) 誉田別命(応神天皇) 配祀 天照大神 由緒 『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年神功皇后は、肥前唐津の海集島で三韓出兵の勝利を祈願を祈願し、土器崎より壱岐 に向けて三、二七〇〇艘の軍船を出発させた。 この時、船が進むのにつごうの良い風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。 壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝い勝本と改められたという。 皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放棄されてしまった。 しかし、も伊予海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので里人は鑑を御殿に納めて、神功皇后を神としてまつったのがこの神社であるという。一説には異敵の首一〇一、一五〇〇を持ぢ帰つた皇后は風本の浜に穴を掘って埋められ、聖母の社を建てられたとある。 文化財 昭和四十七年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺がが有名。壺の銅部に「進入 日本いきしま風本宮 聖母大菩薩 御神物ぢゃいれ、是ヲ心サス 喜斉 百良内村生、宗?沙門(花押)...

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壱岐国の二宮で、延喜式にも名神大社として記載される神社のようです。祭神は、息長足姫尊、足仲彦尊、住吉の大神です。息長足姫尊とは漢風諡号でいう神功皇后のことで、三韓征伐に出生する前に勝本の湾で風待ちをしたそうです。そこで朝鮮に渡る良い風が吹いたことから風早という地名なり、その風の基点となったから風本となり、三韓征伐の勝利し凱旋した際に勝本という名になったとのことでした。この聖母宮は風待ちをした際に建てられた行宮の跡に建てられた神社です。 足仲彦尊とは仲哀天皇ですが、神の意向であった三韓征伐に疑いをかけたため、死を迎えます。ですので、勝本に逗留したのは、息長足姫尊とその重臣武内宿禰(住吉大神と同一の説もある)の2柱で、仲哀天皇は壱岐には来ていません。 八幡系の神社だと、誉田別尊(応神天皇)を祀ることが多いので、聖母宮は珍しいと思います。 この神社には加藤清正や鍋島直茂が石垣や門を寄進しており、史跡としてもすごい場所ということが言えます。 神職の方がとても丁寧に由来を説明してくださったり本殿を見せてくださったりしてとても勉強になりました。ありがたいことです。 再訪 ここから三韓征伐に出かけ、この近くに刀伊や元の来冦があったことを考えると、この土地の歴史的な重要性がよく分かりました。
七面鳥放浪記七面鳥放浪記
壱岐北部にある神社です。 潮風の強く吹き付ける壱岐の神社は本殿を覆屋で守っている例が多く、こちらの聖母宮も同様なのですが、社務所にてお願いすれば極彩色の本殿を解説付でじっくりと拝観できます。 日本と大陸の狭間にあって、三韓征伐、元寇、朝鮮征伐といった日本史上の大事件ともかかわりが深く、神社仏閣好きにも歴史好きにもお勧めの神社です。神功皇后乗馬の馬蹄石の近くには元寇の上陸地を示す石碑があり、朝鮮征伐の折には多くの武将が祈願に訪れ、表門は加藤清正公、裏門は鍋島直茂公の寄進によるものです。境内周辺の石垣は清正公が築いたとされています。 ここに参拝するために遠路はるばる壱岐を訪れるのは酔狂に過ぎますが、壱岐随一の観光スポットである猿岩からはそうも離れていないので、あわせての参拝であれば十分にお勧めできる神社です。
なやなや
壱岐の七社のうちの一社。 聖母とは神功皇后のことだそうです。 宮司様が本当に素敵な方でした。 御朱印を待っている間神社を案内してくださり、神殿の中を見学させていただいたり貴重な神具を触らせていただいたり(お能の面を臆面もなく被った)、本当に貴重な体験をさせていただきました。一生ものの思い出になりました。ありがとうございました。 ご説明いただく機会がなかったら、手水舎がパラオ共和国から贈られた本物のアコヤ貝で出来ていることも、表門が加藤清正寄進なことも、聖母宮の揮毫が江戸時代の7歳の子供が書いたことも知らないままでした。 そして、最奥の長崎県で一番古い木製で麒麟や龍がたくさんいる色鮮やかな神殿は圧巻過ぎて…
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壱岐国の二宮で、延喜式にも名神大社として記載される神社のようです。祭神は、息長足姫尊、足仲彦尊、住吉の大神です。息長足姫尊とは漢風諡号でいう神功皇后のことで、三韓征伐に出生する前に勝本の湾で風待ちをしたそうです。そこで朝鮮に渡る良い風が吹いたことから風早という地名なり、その風の基点となったから風本となり、三韓征伐の勝利し凱旋した際に勝本という名になったとのことでした。この聖母宮は風待ちをした際に建てられた行宮の跡に建てられた神社です。 足仲彦尊とは仲哀天皇ですが、神の意向であった三韓征伐に疑いをかけたため、死を迎えます。ですので、勝本に逗留したのは、息長足姫尊とその重臣武内宿禰(住吉大神と同一の説もある)の2柱で、仲哀天皇は壱岐には来ていません。 八幡系の神社だと、誉田別尊(応神天皇)を祀ることが多いので、聖母宮は珍しいと思います。 この神社には加藤清正や鍋島直茂が石垣や門を寄進しており、史跡としてもすごい場所ということが言えます。 神職の方がとても丁寧に由来を説明してくださったり本殿を見せてくださったりしてとても勉強になりました。ありがたいことです。 再訪 ここから三韓征伐に出かけ、この近くに刀伊や元の来冦があったことを考えると、この土地の歴史的な重要性がよく分かりました。
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壱岐北部にある神社です。 潮風の強く吹き付ける壱岐の神社は本殿を覆屋で守っている例が多く、こちらの聖母宮も同様なのですが、社務所にてお願いすれば極彩色の本殿を解説付でじっくりと拝観できます。 日本と大陸の狭間にあって、三韓征伐、元寇、朝鮮征伐といった日本史上の大事件ともかかわりが深く、神社仏閣好きにも歴史好きにもお勧めの神社です。神功皇后乗馬の馬蹄石の近くには元寇の上陸地を示す石碑があり、朝鮮征伐の折には多くの武将が祈願に訪れ、表門は加藤清正公、裏門は鍋島直茂公の寄進によるものです。境内周辺の石垣は清正公が築いたとされています。 ここに参拝するために遠路はるばる壱岐を訪れるのは酔狂に過ぎますが、壱岐随一の観光スポットである猿岩からはそうも離れていないので、あわせての参拝であれば十分にお勧めできる神社です。
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壱岐の七社のうちの一社。 聖母とは神功皇后のことだそうです。 宮司様が本当に素敵な方でした。 御朱印を待っている間神社を案内してくださり、神殿の中を見学させていただいたり貴重な神具を触らせていただいたり(お能の面を臆面もなく被った)、本当に貴重な体験をさせていただきました。一生ものの思い出になりました。ありがとうございました。 ご説明いただく機会がなかったら、手水舎がパラオ共和国から贈られた本物のアコヤ貝で出来ていることも、表門が加藤清正寄進なことも、聖母宮の揮毫が江戸時代の7歳の子供が書いたことも知らないままでした。 そして、最奥の長崎県で一番古い木製で麒麟や龍がたくさんいる色鮮やかな神殿は圧巻過ぎて…
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