村社 聖母(しょうもう)神社。聖母宮(しょうもうぐう)とお言われます。神功(じんぐう)皇后を祭った聖母宮は、勝本の総鎮守でもあります。奈良時代初期に創建されたと言われています。門は文禄の役の時に加藤清正が寄進したもので、のどかな表情の牛の石像は名工山内利兵衛の作です。 神社所蔵の茶壺は「天正20年」(1592)銘の古唐津焼きで、口は欠けていますが学術研究上大変貴重なものです。秋には例祭カザモト祭が行われます。 聖母宮は、古くは「香椎宮(かしいぐう)」と称し、古来より筑前(福岡市)の香椎宮との繋がりが深く、筑前香椎宮の編年記には「詔テ神鏡ヲ附シ玉フ。東ハ鴨山、西ハ壱岐、南ハ住吉、北ハ尾呂。コレヲ四限トセリ。」と、香椎廟の四至のことが記されているそうです。壱岐七社の一つ。また、壱岐国式内社二十四座のひとつ中津神社の論社ともされています。 鳥居は江戸期石造肥前型鳥居です。
『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年神功皇后は肥前唐津の神集島で三韓出兵の勝利を祈願し、土器崎より壱岐に向けて三、二七〇艘の軍船を出発させた。この時、船が進むのにつごうの良い東風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ東風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。 壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝い勝本を改められたという。 皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放置されてしまった。しかし毎夜海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので里人は鏡を御殿に納めて神功皇后を神としてしまつったのがこの神社であると伝う。 また、一説には異敵の首一〇一、五〇〇を持ち帰った皇后は、風本の浜に穴に掘って埋められ、九町八反の築地を一夜で築きその上に宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとある。 文化財 昭和四十七年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺が有名 壺の銅部に『進入、日本いきしま、風本宮、聖母大菩薩、御神物ちやいれ、是ヲ心サス、喜斉、百良内村生、宗靏沙門(花押)天正廿年 敬白』の銘がある。 その他に数多くの文化財が伝えられているが神社の西門と南門は豊臣秀吉の朝鮮出兵の折りに、加藤清正と鍋島直茂によって造営寄進されたと伝えている。 この西門(正門)の前方には、神功皇后の御乗馬の足跡がのこるという馬蹄石がある。 (境内案内板より)
祭 神:息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)【神功皇后】、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)【仲哀天皇】、誉田別尊(ほむだわけのみこと)【応神天皇】、上筒男命、仲筒男命、底筒男命 配祀:天照皇大神(神明神社合祀により)、玉垂神(たまたれのかみ) 【高良玉垂神】、烏賊津連(いかつのむらじ) 【伊香津臣命】、真根子連 (まねこのむらじ) 【壱岐眞根子臣】
祭典日 :旧暦1月17日 祈漁祭 大神楽、10月13日 宵祭 大神楽、10月14日 例大祭...
Read more聖母宮(しょうもぐう)。長崎県壱岐市勝本町勝本浦。
式内社(名神大)中津神社の論社、旧郷社。
主祭神:息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと。神功皇后)。 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと。仲哀天皇)。 住吉大神(上筒男尊、仲筒男尊、底筒男尊の住吉三神) 神功皇后の三韓征伐に因む神社で、征伐に勝利したことから勝負の神として知られる。また、皇后は三韓征伐の際に応神天皇を身籠り、凱旋の後に無事に出産したとの伝えから安産の神としても知られる。 とあります。
資料によると、 仲哀天皇9年(AD364年)10月、神功皇后が三韓征伐の折、壱岐で風待ちをした時に行宮を建てたのが起源とされる。この時神功皇后は北へ向かうのに良い風が吹いたことから、この地を風本(かざもと)と名付けた。同年12月三韓から凱旋時に勝利を記念して、風本を勝本に改めた。その時に敵の首101500をこの地に埋めたという伝承が残る。その後行宮は放置されたが、海より光るものが上がってくる事件が起き、その際に鏡を奉納し神功皇后を祀ったとされる。
養老元年(717年)、国家鎮護が祈願されて社殿が建てられる。聖母宮ではこれをもって神社の創建としている。古来より国主の崇敬厚く壱岐七社の一つとして、また壱岐国二の宮とされた。古来より福岡市の香椎宮との繋がりが深く、香椎宮(香椎大明神)を名乗っていた時期もあり、さらに地元が香椎村を名乗っていた時期もあった。しかし当社が香椎宮の分社というわけではない。
現在の中津神社を式内中津神社とすることには否定的な意見が多く、『式内社調査報告』では聖母宮が式内中津神社であり、現在の中津神社はその分祀であろうと記している。
当社の神域内に、三韓征伐の際の神功皇后の馬の蹄の跡が残っているとされる馬蹄石がある。ここは元寇の文永の役の元軍上陸地でもある。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正から正門の奉納したものであり、神社周囲の石垣も当時風待ち時に配下に積ませたものであり、朝鮮半島と風に縁のある神...
Read more銘板によると―。 聖母宮
旧号 香椎大明神 聖母大菩薩、 鎮座地 壱岐郡勝本町勝本浦正村 祭神 息長足姫命(神功皇后) 足伸彦命(仲哀天皇) 誉田別命(応神天皇) 配祀 天照大神 由緒 『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年神功皇后は、肥前唐津の海集島で三韓出兵の勝利を祈願を祈願し、土器崎より壱岐 に向けて三、二七〇〇艘の軍船を出発させた。 この時、船が進むのにつごうの良い風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。 壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝い勝本と改められたという。 皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放棄されてしまった。 しかし、も伊予海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので里人は鑑を御殿に納めて、神功皇后を神としてまつったのがこの神社であるという。一説には異敵の首一〇一、一五〇〇を持ぢ帰つた皇后は風本の浜に穴を掘って埋められ、聖母の社を建てられたとある。 文化財 昭和四十七年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺がが有名。壺の銅部に「進入 日本いきしま風本宮 聖母大菩薩 御神物ぢゃいれ、是ヲ心サス 喜斉 百良内村生、宗?沙門(花押)...
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