他にも勝幡城跡の石碑がある場所がありますが、いつからあるか表示がされたかわからないけど、その近くの地面に勝幡城跡290mと矢印が表示してあるのに気づいて行ってみたら、日光川沿いにもう1つ勝幡城跡の石碑がある場所があるのを知って、ここを訪れました。元々知っていた場所は、信長が勝幡城で生まれたことを広めようしている会(団体)が管理ですが、こちらは稲沢市教育委員会が管理で、以前からありながらも、上りも立っていても木陰の中ということで、あまり目立たず、自分も気付かなかったですが、最近勝幡城が信長生誕の城と話題になってきたことで、稲沢市も力を入れるようになったようで、ここだけでなく両方の石碑に、信長=勝幡城ということで、多くの人に来てほしいですねー!ただ、こちらは木に囲まれている場所なので、蚊がかなり多い...
Read more勝幡城は 稲沢市と愛西市にまたがる城で、 信長の父 、織田信秀 が 勢力を拡大するための重要拠点として 使った 。 後に「 尾張の大うつけ」 呼ばれる事になる、 かの有名な「 織田信長」も ここで生まれたと言われている。 信長の祖父、 信定は、 当時、交易 の 拠点であった 津島から 3 km ほど 離れ ていて、 三宅川 、領内川、 日光川 の三つの川が 合流する地点に この 勝幡城を 築城したと 言われています。 現在、 勝幡城 が あったと 伝えられている 場所は、 森 があり、「 勝幡城址」 と書かれた看板と 石碑が 立っている だけとなってしまいました。また、 この場所は、 稲沢市の 指定文化財に 登録されてい る という 非常に...
Read more永正年中(1504~1521)に、織田信定によって築かれた。その子信秀は、勝幡城で生まれ、尾張守斯波氏の三奉行として清州城に出仕した。信秀の子、織田信長も勝幡城で生まれたという説が有力(他に那古野城、古渡城の3説あり)。母である土田御前と信秀に抱かれた吉法師(信長の幼名)像が勝幡駅前にできた。 城の中心は平和町城西(現在の城之内)付近と推定され、碑のあるあたりは城跡の南端部分と考えられているとのこと。信秀の勢力が尾張拡大する前の大切な拠点であり、もっと取り上げて...
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