諫早神社です。
駐車場🅿有り トイレ🚻有り 車椅子♿大丈夫です
主祭神は天照大御神、大己貴命、少彦名 大国主をお祀りされてますね。 四面宮と言われ イザナギイザナミが国産みで九州を造ったときに、4つの国土神を産みました。
筑紫嶋の四面(九州の4人の神様)
白日別:筑紫国 豊日別:豊国 建日向日豊久士比泥別:肥国 建日別:熊襲国
筑紫国は太宰府ら周辺(福岡) 豊日国は英彦山から別府周辺(大分) 肥国はでかいです(長崎佐賀熊本) 熊襲国は熊本南部から鹿児島(鹿児島) なんですが建日向日豊久士比泥別に 日向の字があるので(長崎佐賀熊本宮崎) 宮崎まで網羅していたおそれがあります。
この4人の神様の比定は難しいですね🐈 ただ、九州には秦氏が来る以前からたくさんの氏族がはいってきていますのでおそらくその氏族代表者だとおもいます。 多氏、昔氏、白氏、姫氏、杵氏、隠氏、越智氏 まだあると思いますが。 この四面とはもっとも影響力があったと考えます。漢字から読み解くことは危険がありますが、どれも日の字から太陽神です。 見たら伯王や豊玉彦といった神様が見え隠れしますが、この先神社を回ることで見えて来るかもしれませんね🐈
諫早神社は大己貴命、後の大国主を祀ってありますので大国主の祖神はなんと上にあげた氏の混血でほとんど血が入ってますので 日本の王ではなく大王ということです。 大国主の子に建御名方がいます。 熊襲国の建日別の字とも読み取れますが 建御名方はもっとあとなので当てはるかといえば微妙なところです🐈 しかし建御名方が世襲制であれば当てはまるかもしれませんが、さてさて(笑)
そして気になったのは境内に三本柱があったことですかね。 これは三位一体を表し天之御中主神(アメノミナカヌシ)高御産巣日神(タカミムスビ)神産巣日神(カミムスビ) のことです。この思想は神道とはまたべつの思想でいわゆる原始キリスト教(北イスラエル国)です。 諫早神社さんもこの神様達を祀っていると考えられますね🐈神道のルーツは原始キリスト教という方が居られますが逆なんですよ 神道がキリスト教、ユダヤ教、仏教、これらを信仰する人らが迫害を受け日本へ その人達を受け入れ融合していくのが神道で 日本人の寛大さなんです🐈 醜い争いはあったでしょうが基本は受け入れ融合です。それで日ユ同祖が残るんですね なので日本人は雑種です(笑)
建日向日豊久士比泥別はいろんな神様を想像できますがまだまだ旅は続きそうですね
諫早神社にまさか大国主が祀られているということに驚き、四面様が残っている数少ない神社です。四面宮はいまは温泉神社(うんぜんじんじゃ)に変えられています。 雲仙、島原半島には四面宮が名を変えられた温泉神社がたくさんあります。
諫早神社はきれいで。アメニティもたくさんで可愛らしいものばかりでした。 是非行かれてください🐈 ...
Read more初めて訪れた時は、 私の御先祖の血が繋がる 川路家当主のおじさんの案内でした。
台風が直撃コースにあった2022年9月5日。
神社に着いた時は小雨が降り始め、 雨の令を受け取り零を示すため、境内に入り、 社務所に惹かれるように足速に入ると。
季節毎の御朱印や、 四季によって変化を楽しめる 木札の産すひ品など、、
商いの上手さを感じる社です。
現役の諫早市長も兼任で勤められている 神社の元宮司の奥様に説明を受け、
8種類のカラー御朱印、 2種類の朱印帳を授かりました。
すると、、、
更にこの神社のサプライズさが 形を成して現れました。
それが、神社と長崎県の特産品である 生姜をもじって、ジンジャーとした 神社エール・神社アイスでした。
更には、、 御朱印を受けると神饌を頂けます。
神社おこし、神社飴、神社カステラ アマビエ飴と🍬4種類もあり、、
特急のかもめと 新幹線に乗る前だったので、 旅のお供を沢山授かれた氣がしました。
私の心の声 【おみやげいっぱーい!!】
そして、、、 御朱印を待っている間に
なんと猛烈な雷雨が通り過ぎていき 神社を浄めて頂けた後で、、 御朱印が終わり社務所を出た時には 晴れ間が広がりました。
私が拝殿から祝詞詞を奏上し、 台風の無事を祈念すると、
またポツリ、ポツリと小雨が降り始めたので、 おじさんの紹介でお会いした元宮司さんに 祝詞詞の声音をお褒め頂き、 諫早駅に急ぎました。
この社は、古事記にある 【九州は身1つにして面4つあり】の 言霊をコネクトしてくれます。
私もまた、身1つにして、ビジネスネームを 4種類産すひ出し、4種類のワークを走らせて いこうと思いました。
パラレルワークをしようとされる 全ての人々を応援してくれるような そんなエネルギーが満ち溢れた社でした。
九州総守護の名は伊達ではないようです。 はるか昔には、西郷家も守護を祈念に 来られていたとありましたよ。
上がり藤の社紋だったので、藤原氏族に 関した...
Read more今では温泉(うんぜん)神社になってしまった雲仙岳を崇める社は、元は四面宮といい、これを本山として麓の千々石・吾妻・有家・伊佐早の四ヶ所に各々、四面宮を勧請したという。 その一社の成れの果てが即ち諫早神社で、つまりこれは四面宮であった。諫早神社の社碑にちゃっかり「四面宮」と併記してあるのは、だから歴史的背景を持つ訳である。四面宮を名乗る神社は、どうやら今では此処だけのようだ。
四面宮の名は、古事記に記す四面の神に由来する。伊邪那岐命・伊邪那美命、國生みの段に
次生筑紫嶋、此嶋亦、身一而有面四、毎面有名、故、筑紫國謂白日別、豐國謂豐日別、肥國謂建日向日豐久士比泥別自久至泥、以音、熊曾國謂建日別。
とあり、筑紫嶋(九州)を一体四面として、白日別・豐日別・建日向日豐クシヒネ別・建日別と四柱の神が顕れている。このうち豐日別は、英彦山の高住神社に祀る彦山豊前坊。白日別が筑紫神社の神かもしれないという程度で、以下は所在不明。 ところが四面宮は、これをワンセットに祀るので、筑紫國魂社ともいった。となると、四面宮としての由来がどれほど古いのか想像もつかない。
当社は今なお「お四面さん」と呼ばれ、その記憶を残しているようだ。だが、御祭神に四面の神の名は見当たらない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 配祀:猿田彦大神・八幡大神・天満宮・御霊宮・稲荷社・太子堂
祭神交替は珍しくない。特に開化期、明治政府の方針の下、神仏分離と修験道廃止、神社の統廃合を進めた時期には。歴史的には神仏混淆が長く続いたので、四面神も「四面大菩薩」と拝まれて居り、四面観音か何かと混同したかもしれない。 少々悩んでホームページを見たら、続きがあった。
九州総守護の神々(四柱) 白日別命:筑紫国 、豊日別命:豊国 、豊久土比泥別命:肥国...
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