927年(延長5年)延喜式 にこの神社が名前が載る古い古社である。遠い京都までこの神社の名が知られていたことになる。 昔は “大住大明神” といい、糟谷の庄127ヶ村の総鎮守であった。とある。 太田道灌の主家であり、道灌を誅した上杉定正の名も見える。 _______________
❷【参考 神奈川県神社誌 1981年】
高部屋神社
創立年月は不詳である。延喜式神明牒に相模13座の1として記載されている。 昔は “大住大明神” といい、糟谷の庄127ヶ村の総鎮守であった、といわれている。
源頼朝の臣 糟屋有季(かすやありすえ)が社殿を造営。1486年(文明18年)上杉定正 大般若経函修理等 1386年(至徳3年)の在銘の鴻鐘が現存する。県の重要文化財に指定されている。 1873年(明治6年) 村社に列する。 1917年(大正6年) 郷社に列する。
[鎮座地] 伊勢原市下糟屋2202 [祭神] 神倭伊波礼彦命(かむやまといわれひこのみこと) 誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇) [境内神社] 八坂神社 金比羅神社 末社6社 [例祭日] 9月15日 [境内地面積] 1150坪 [神事] 塩汲みの儀(例祭日前日) 雨ごいの儀(不定) ________________
延喜式に載る神社。900年代の頃に古都、京都で知られた神社であった。優に1000年以上の歴史がある神社である。
❶【参考 新編相模風土記稿 1830年】
八幡神社 江戸の頃のこの神社の紹介文
鎮守である。
社前に応永28年の石灯篭がある。(現在は無いようである) 鐘楼 鐘に至徳3年の銘がある。
【延喜式】に載っている、当国13座の内の高部屋神社である。 華表に、其の神号の額を掛ける。神祇伯(じんぎはく) 資延王(白川伯王家で1770年 -...
Read more2017/12/08に神社前を通ったら銀杏が見事に黄色に輝いていました。
2017/09/09(土)に平安時代から伝わる特殊神事「汐汲み神事」が大磯町の照ヶ崎海岸で執り行われました。この神事は明治始め頃途絶えていたもので、正式に執り行うのは150年ぶりになります。
2016/05/19参拝。 延喜式内 高部屋神社は伊勢原市下糟屋2202にある神社です。 今般、平成28年2月25日付で「国登録有形文化財」として「本殿、拝殿及び幣殿」が登録になりました。 高部屋神社の創建年代は不詳ですが、「延喜式神名帳」に記載されている相模国13座の1座に比定されており、一説には紀元前655年の創建とも伝えられています。 由緒には、糟屋住吉の大神として、又の名を「大住大明神」と呼ばれ、武門・武士を始め万民の崇敬せられたる古社である。江戸中期頃までは、別名「糟屋八幡宮」と呼ばれ名社の名を謳われた。 当地は、千鳥ヶ城と呼ばれていた要害であったことから武家との関わりも深く地頭等による禁制などが残されている他、天正19年(1591)には徳川家康から社領10石の御朱印状も拝領していました。明治6年には村社に、大正6年郷社に列格されていました。 ご祭神は「神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと)」=神武天皇 相殿は、三箇男命(住吉大神)、誉田別命、大鷦鷯命、息気長足姫命、磐姫之命 境内社は、八坂神社・金毘羅神社・水神社・稲荷神社 この神社に伝わっている銅鐘は書かれている銘から至徳三年(一三八六)十二月に河内守国宗によって造られ、平秀憲によって奉納されたことがわかります。竜頭は鼻の上に鋭い目と眉、紐をくわえた口と全体に引き締まっています。笠形については上面のほとんどが平らに近いふくらみをもち下端に一隆線をめぐらせています。上帶は各縦帶の上に一個ずつ陽鋳(浮き出た)の遊離飛雲文が見られます。乳は四段四列の太い茸形でしっかりとしています。池の間には、上下に鋳型の繋ぎ目が見られ、銘文が陰刻(彫り刻まれた)されています。下帶は各縦帶の下に陽鋳の遊離訪唐草文が見られ、撞座には花弁の短い八弁の蓮華文が見られます。 鐘の全体としてはよく整った優れた作品であり、上帶下帶に見られる文様や作者である河内守姓などから鎌倉を中心とする文化圏のものとわかります。(伊勢原市教育委員会掲示より)...
Read more高部屋神社(たかべやじんじゃ)。神奈川県伊勢原市下糟屋。
式内社(小)、旧村社。 別名:八幡神社(糟屋八幡)
主祭神:三箇男命(住吉大神)、誉田別命、大鷦鷯命、息気長足姫命、磐姫之命
資料によると、 かつてはこの神社と同名の大住郡高部屋村の村社であり、またこの地区を含む糟屋庄の総鎮守としても崇敬された。
創建年代は不詳なるも、紀元前655年とも言われている。糟屋住吉の大神として、又の名を「大住大明神」と呼ばれ、武門・武士を始め万民の崇敬せられたる古社である。江戸中期頃までは、別名「糟屋八幡宮」と呼ばれ名社の名を謳われた。 『延喜式神名帳』に相模国13座の内の1社と記載されており、大住郡127ヶ村の惣鎮守であった。ただし、伊勢原市高森にある高森神社も、式内社「高部屋神社」の論社の一つとされており、この神社が明治の神仏分離令以前は「高部屋神社」という呼び名であったと伝えられていることに加え、棟木や鳥居脇の石碑(裏側)に「高部屋神社」という銘文が残されていることもその理由として挙...
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