28.石巻
【芭蕉自筆影印】 十二日 平和泉と 心指 あ年者の松 緒た衣の橋な登 聞伝えて 人跡 稀尓 雉兎(チト猟師) 蒭-蕘(スウジョウ柴刈)の徃可ふ道 そこ共わ可春 終尓 道婦み堂可へて 石の巻といふ湊尓出ス こ可年色咲登 よみて奉(タテマツ)り多流金花山 海上ニ見渡シ 数百の廻船 入江尓つとひ 人家 地をあらそひて 竃(カマド)の介ふり立つゝ氣多り おもひ可遣す かゝる處尓も 来禮る哉と 宿可らんと春禮と 更宿可春人那し 漸々 まと(貧)しき小屋尓一夜を明して 明連者 又志らぬ道まよひ行 袖の王多梨 尾婦ち(鮫)の牧 まのゝ可やハらなと よそめ尓見て 者る可な流堤を行 心本曽き長沼(北上川)尓そふて 戸伊摩(登米トヨマ)登云所尓一宿志て 平泉耳至る 其間 二十餘里程登覚ゆ (十二日、平和泉と、心指、あねはの松、緒だえの橋など、聞伝えて、人跡、稀に、雉兎(チト猟師)、蒭-蕘(スウジョウ柴刈)の往かふ道、そこ共わかず。終に、道ふみたがへて、石の巻といふ湊に出す。こがね花咲と、よみて奉(タテマツ)りたる金花山、海上に見渡し、数百の廻船、入江につどひ、人家、地をあらそひて、竃(カマド)のけぶり立つゞけたり。おもひがけず、かゝる処にも、来れる哉と、宿からんとすれど、更宿かす人なし。漸々、まど(貧)しき小家に一夜を明して、明れば、又しらぬ道まよひ行。袖のわたり、尾ぶち(鮫)の牧、まのゝかやはらなど、よそめにみて、はるかなる堤を行。心ぼそき長沼(北上川)にそふて、戸伊摩(登米トヨマ)と云所に一宿して、平泉に至る。其間、二十余里程と覚ゆ。)
【芭蕉像】 ①日和山公園

《施設・句碑拡大写真はgoogle...
Read more石巻市の「日和山公園」は、高台に位置する見晴らしの良い公園です。この日は天気も良く、港と海と空のコラボが織りなす景色はまさに絶景でした。
四阿からは、復興を遂げつつある港や町並みを一望でき、川州に建つ「石ノ森章太郎萬画館」も見渡せます。その景色は、今の石巻の力強さを感じさせてくれます。
公園の頂上には「鹿島御児神社」が鎮座しています。この神社は古くから土地の守護神として崇敬を集めてきたといわれ、災厄から町を守る神様としても親しまれてきました。境内は落ち着いた雰囲気で、参拝とともに静かな時間を過ごすことができます。
広い敷地には散策路が整備され、松尾芭蕉と曽良が「奥の細道」の旅で訪れたことでも知られています。園内には二人の像や顔ハメパネルもあり、歴史好きや写真好きには楽しいスポットです。
木陰が多く、風が心地よく吹き抜ける場所ですが、夏場はやはり暑さも厳しいので休憩しながら散策するのがおすすめです。
震災から復興を遂げた町並みを望む風景は、ただの観光だけではなく、歴史と現在が交わる深い意味を持つ景色。石巻を訪れるならぜひ立...
Read more春になると桜のきれいな場所です。北上川の清流を眺める事ができる所でもあります。最近日本各地で豪雨による川の氾濫が起きてますが、江戸時代初期までこの北上川も地元では暴れ川と呼ばれ、人々の生活を度々脅かしていました。 当時の東北の領主伊達政宗は北上川の氾濫を何とか食い止めようと、一人の技師川村孫兵衛を抜擢し北上川の改修に着工したのです。 最初はうまく行かず失敗続きの孫兵衛でしたが、政宗は孫兵衛を信頼し起用し続け、ついに現在まで続くこの北上川を造りあげました。 河口から北に向けて川の形がS字になっているのは、流れを緩やかにするための孫兵衛のアイデアだそうです。 それから400年たった今も豪雨や台風が来ても氾濫せず、人々の暮らしを守り続けています。 日和山にある川村孫兵衛の銅像の指差す向こうには、穏やかに流れる北上川を一望できます。私達が現在も安心して暮らせるのは、遠い昔の伊達政宗公や川村孫兵衛達の自然の猛威に挑んだ尽力のお陰ではないかと静かに...
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