十九世紀末に生まれ二十世紀末まで九十八年間の生涯をかけて小説家・随筆家、雑誌編集者、着物デザイナー、実業家として精力的に活動した宇野千代の生家。 有名な江戸時代の木造橋「錦帯橋」の近くにあり、それは裕福な日本酒の醸造業を営む「宇野家」の家族の住居として建てられた家である。 宇野千代はその娘として生まれ地元の高等女学校を卒業後、教員として働いた後、岩国を出るまでそこで暮らした。 宇野千代は昭和四十九年(1974)に朽ちかけていた生家の保存を決め修復(宇野千代没後はNPO法人が管理し有料で一般公開している)、その際に庭園も改修した。保存を決めた切っ掛けは、京都の奥嵯峨にひっそりと佇む紅葉の名所で藤原定家の山荘跡「厭離庵(えんりあん)」に感銘を受けたことによる。 宇野は先祖から受け継いだ明治時代の池庭を埋め、厭離庵に倣って庭全体にモミジを植栽し地面を苔で覆った。苔の種類は「杉苔」、乾燥しやすい夏も大変美しく管理され感心させられる。 宇野は庭の中心のなだらかな築山の上に骨董商で買い入れたお気に入りの仏頭(石)を庭のシンボルとして据えた(そのとき骨董商はその仏頭を売り渋ったという)、石の仏頭は宇野自身交友があった骨董家・青山二郎の弟子であり同じく女流文筆家の白洲正子が好んだような鄙びた野仏の類ではなく、宇野が選んだのは大変スタイリッシュで天平仏を思わせる華やかで女性的な尊顔の仏である。 宇野はその仏頭に自分自身の姿を投影していたのだろう、不思議なことにかなり大きいにもかかわらず仏頭は庭に溶け込み浮いた感じはしない。 またそれ以外にも鄙びた二体の小さな石の野仏、一つは幼子のような、もう一つは男性的な不動明王、が苔の中にさりげなく置かれ、紅葉だけの庭に小さなアクセントをもたらし、景物として宗教石造物を据えるのは文化人らしい好みと言える。 庭には宇野千代が保存運活動に携わった岐阜県本巣市(旧本巣郡根尾村)にある樹齢1500年以上の彼岸桜の古木「淡墨桜」の苗木二本が植えられ現在では大木に育ち春には花を咲かせる。秋には宇野千代の誕生日十一月二十八日前後に色づいたモミジが庭全体を真紅に染めあげる。春から秋にかけては「青モミジ」の緑陰が庭全体を清々しく包み込み、苔の上に木漏れ日が揺れる。 *宇野 千代(うの ちよ、明治三十年(1897)十一月二十八日 〜...
Read more明治 大正 昭和 平成を自己の美意識と感性を武器に生き抜いた、岩国出身の作家、着物デザイナーの宇野千代さんの生家です。
宇野さんご自身の手で昭和49年に修復されたということなので、変な改作が入る事が無く往時のままを留めています。
豊富な資料、遺品、掲示、とても充実しております。 スタッフの女性の方々もとても丁寧な解説をして下さいます。
なにより、宇野さんがご自身で手掛けた庭が美しい。 宇野さんが保存、再生活動に奔走された「淡墨の桜」から根分けされた木も二本あるそうです。 紅葉と桜の時季が見事らしいですが新緑も中々のものです。
雨の日の、庭が泥濘むような日に参りましたが、雨にしっとりと濡れ、雫が輝くモミジと苔の緑が鮮やかで美しく、これはこれで良い日に来た。と思いました。
生家から川西のバス停に出る旧街道沿いに森神社、教蓮寺、数棟の古い民家があり、作中の面影僅かにあります。
◯交通 錦帯橋西詰の地区から約2.3キロ徒歩20から30分。
駐車場は生家に隣接して15台程
錦帯橋バスセンター②乗り場から いわくにバス32号線反時計回り 梅ヶ丘、岩国高校方面 10分...
Read more宇野 千代(うの...
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