香山寺は、源頼朝公が源氏再興の挙兵をした際に、最初の標的とされた山木兼隆が建立した寺です。境内に、山木兼隆供養塔があります。 山木兼隆が建立した折の開山和尚は不明ですが、その後、鎌倉の報国寺開山の天岸慧広が足利家時を開基として開き、その後、韮山城に居を構えた北条早雲が中興したと云われています。 また、香山寺の門は、韮山代官所であった江川邸に韮山県庁が置かれた時の門であったアーチ型の石造り門が残されています。昔も今もその昔も韮山を代表するお寺のようで、とても立派な本堂に驚きます。また、本堂からは、蛭ケ小島...
Read more香山寺は、治承4年(1180年)源頼朝挙兵時に、頼朝の監視役としてこの地を治めていた事から、真っ先に標的となり討ち取られた伊豆国目代・山木兼隆の館が在った場所と云われています。 その後、室町幕府初代将軍・足利尊氏の祖父足利家時や北条早雲、徳川家康の異母弟・内藤信成等の庇護の下、荒廃と再興を繰り返し現在に至っています。 香山寺境内には、『山木兼隆供養塔』や兼隆室の持念仏・薬師如来坐像が残されている他に、明治時代初期に韮山代官所であった江川邸に韮山県庁が置かれた時の門であったアーチ型の石...
Read more源頼朝の挙兵の際、最初に標的となった山木兼隆の館があった場所といわれる。兼隆開基の寺院。境内に山木兼隆供養塔や彼の持念仏であった薬師如来像が残っているらしい。小高い地にあるこの場所は蛭ヶ島を監視するにはもってこいの場所である。この地を訪れるとまず、山門が非常にモダンで目を引く。このアーチ形の山門は、明治の初め江川邸の韮山代官所に置かれた韮山県庁の門であり、廃止後移設されたものだとあった。なるほど、時代を先駆けた江川氏の門、明治の香...
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