鎌倉の北東、湘南鎌倉医療大学やフラワーセンターのほど近くに、ひっそりと鎮座しているのが山崎の「天神社」です。場所としては住宅地や学校に囲まれているのに、実際に足を運んでみると山の中に迷い込んだかのような静けさが広がっており、ちょっとしたハイキング気分で参拝できる不思議な神社でした。
入口がやや分かりづらいのが特徴で、Googleマップを頼りに向かうと民家の方へ出てしまったり、山をぐるりと一周してしまったという声も多いのですが、北野神社の参拝者用駐車場から時計回りに歩けば7〜8分ほどで到着できます。最初の鳥居からは石段が続き、摩耗している箇所もあって少し注意が必要ですが、勾配のきついところには手すりが設けられており、途中にはベンチも置かれているので休みながら登ることもできます。息を切らせながら登りきると、山の頂に質素ながらも堂々とした本殿が現れ、その清々しい雰囲気に一気に疲れが和らぎました。
御祭神は学問の神様・菅原道真公。社伝によれば、暦応年間(1338〜1342)に夢窓国師が京都の北野天満宮から迎えたとされています。実際には史実との食い違いもあり伝承の色合いが強いようですが、それだけ長い歴史と人々の信仰を集めてきたことが伝わってきます。境内には宝篋印塔や石碑、記念碑、供養塔などが点在しており、さらに奥の方には小さな石祠が二基並んでいました。説明書きはないものの、境内社として古くから祀られてきたものでしょう。
訪れる人は多くなく、普段はとても静か。鳥の声や風の音が響く中で参拝していると、まるで自分だけがこの山に招かれたような感覚になります。鎌倉や江の島周辺の有名寺社の賑わいとは対照的に、ここでは人の気配が少ないからこそ、素直に神様と向き合えるのかもしれません。
また、この神社の魅力は参拝だけでなく「歩く楽しさ」にもあります。長い石段は確かに大変ですが、運動不足解消やちょっとした散策にはぴったり。近くの中央公園と組み合わせて歩けば、かなり本格的なウォーキングルートになります。山を登り切った達成感と共にお参りすることで、学業成就や合格祈願といったご利益もより強く感じられるように思えました。
ただし、裏手に回ってさらに天神山城跡へ向かおうとすると道が荒れており、藪漕ぎのサバイバル状態になることもあるので要注意。整備された参道以外は無理をせず、正規のルートで参拝するのが安心です。
まとめると、天神社は「隠れた鎌倉の山神社」といった存在です。入口を探すのに少し苦労しますが、それもまた小さな冒険。登った先には、長い歴史を背負った菅原道真公と静謐な空気が待っています。華やかな観光寺社とは異なる素朴な魅力があり、勾配のある石段や自然に囲まれた境内は訪れる人の心身を浄化してくれるようでした。鎌倉観光のついでに立ち寄るというより、むしろ「わざわざ訪れてみたい」そ...
Read more2025/5/30 拝殿まではかなりの段数が有るが、傾斜はきつくは無い。質素で静かな本殿周囲にはいくつかの石碑/石塔が見える。左奥の方には2基の石祠が有る。境内社だろうが説明書きは無い。 北野神社に関し事前に”新編相模風土記稿(風土記)”を参照した。風土記に山崎村は有るが”北野神社”は無い。北野神社は、もとは”宝積寺の鎮守”の説が有る。宝積寺の開山は夢窓疎石とも方外宏遠とも伝わる。南北朝期に創建して文亀元年(1501年)辺りまで存続していたようだ。宝積寺と北野天満宮共に暦応中に夢窓国師が創建というのも伝承だが、ここでもそれが見られる。円覚寺との関わりも強い。 風土記に天神社の記述が有るのでその概略を記すと、 *天神社 :字天神山に有り。暦応中、夢窓国師北野天神を模して勧請すと云う。 *宝積寺磧:村西に有り。暦応中夢窓国師山城国宝寺に擬して創建した禅刹と云う。鹿山畧記には僧”方外”当寺を開建すとあり。夢窓を開山とするのは誤った伝承か。 拝殿周りの石碑の文字からは、”夢窓”が主流のようだ。 ①天神山碑ー境内右端 「大舩車站西南十町~中略~明治四十四年四月 ~前圓覺寺管長 宮路宗海撰」ー1911年建立。
②菅公千年祭碑ー境内左 「謹按山崎天神之縁起 昔暦應中夢窓國師奉x住吾山之 曰肇造菅廟於西南之山〃曰天神山且建寶積寺以(鎭)聖廟之香火宮~中略 明治三十五年春三月二十五日 大教正 特住圓覺寺沙門 洪嶽宗演 謹撰并書」 ー1902年建立。宗演:”釈宗演”、円覚寺派管長職。
③山崎天満宮再造碑 (平頂方柱・文字4面)ー境内左 4面に文字がびっしり。超難解な銘は右面から始まり、正面→左面→背面と読む。ここに有る文言の一部が②の碑にも見える。 要所のみ書き出すと、 「山崎天満宮再造碑銘 寛政十一乙未歳九月祭日 村末翁撰 梅澤九左衛門尋庸建 形而位干上覆◯◯私之所謂天周徧ー(中略)ー既茲一千歳抑非天而何嗟盛哉 暦應中夢窓國師奉命住于圓覺之日肇造菅廟千西→(南)之山〃曰天神山邑曰洲嵜之邑後改名山嵜盡以擬山◯◯山嵜建一佛寺名寶積寺亦擬于寶寺以領聖廟之香火ーー」 ー...
Read more社伝では暦応年間(1338〜1342)夢想国師が京都の北野天満宮から迎えたとされる。 しかし、この頃、夢想国師は鎌倉を離れている事が判明しているので、伝説の類だろう。
その後、どう言った経緯か調べきれなかったが周辺が「円覚寺塔頭 黄梅院」の所領となる。 「新編相模風土記稿」に1362年に黄梅院主によって再建されたと記載されているが、この事が関係するものと思われる。 再建の経緯は不明だが、随分と創建から早い時期に廃れた様だ。
境内には「市指定有形文化財の宝篋印塔」や明治35年(1902)の「菅公千年祭碑」などが建つ。 「菅公千年祭」とは菅原道真生誕千年を記念して円覚寺の僧侶が行った祭典。 江戸時代の整備記念碑もあるが、墓石形の四面にビッシリと経緯が彫り込まれている為、非常に気味の悪い様相になっている。
また、一角にはニ基の祠が大切に祀られているが、特に明記はされて居なかった。 末社が神明との事なので、あるいは此れに当たるのか?
鳥居は珍しい「両部鳥居」だが後世のものなので...
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