前回は春の桜を楽しませていただいたが、今回は紅葉を見たいと訪れました。 西行法師は藤原鎌足という裕福な武士の家系に生まれ、容姿端麗だったらしい。
彼の父は早くに亡くなり、その後を17歳で継いで兵衛尉(皇室の警護兵)となり、御所を警護する北面武士(一般の武士と違って官位があった)に選ばれた。流鏑馬の達人で、蹴鞠の名手でもあったという。
文武両道でイケメン!!華やかな未来は約束されていたのに西行はキャリアの道を捨て、22歳の若さで出家。
その理由は仏に救済を求める心が大きくなったとか、友が急死し、人生の無常を悟ったとか、皇位継承をめぐる政争への失望、自身の性格の弱さ、さらに高貴な女性との失恋と色々伝えられている。
最後の話は、彼が歌会などで仲良くなった待賢門院(崇徳天皇の母)と一夜の契りを交わしちゃった。ところが二人の仲がバレるのを恐れた彼女から別離を告げられ、失意の末、妻子と別れて仏道に入ったという話も!
個人的には最後のエピソードが面白いと思う。
駐車場は、4か所に分かれていずれも無料だが、奥に行くほど桜などの花が楽しめる。
境内は落ち着いた雰囲気がいっぱい。歴史を感じられる建物が静かに佇んでいる。
奥に進むと山の上に行く道がある。石段を歩く。西行堂と書かれた建物があった。
さらに山道を進むと、やがて小さな広場に出た。そこには西行法師の墓があった。
さらに山に続く道があって登ってみると向かい側の山も、自分が登ってる山にも桜が美しい。これらの桜は西行法師のために植えられた1000本の桜。しかし、その登り道はどんどん狭くなり、ふと気が付くと足元の道は人一人が歩くのにやっとの幅。手すりも何もなく、一歩間違えたら谷底まで真っ逆さま!
下を見たら思わずクラクラ。これはアカン。危ない。高齢者が一人で楽しむ場所ではない。足元を確か...
Read more西行法師終焉の地。春は桜、夏の青葉、秋は紅葉それぞれの季節に彩りを感じる事ができる。 「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」西行の辞世の句がピッタリはまります。 西行庵への道筋は趣があり、秋の夕陽の時間に訪れるのも良い。数千本に及ぶ山の桜は西行を慕う似雲が西行の遺言通り丁寧に植えたとか。また、西行の墳墓は似雲が発見し今に至り、似雲もその傍にひっそりと眠っています。西行の思いと西行を思う似雲の思いが山を包み込んでいるようです。
須磨明石まで見て過ごしたと言う似雲の歌にもあるように天気の良い日には明石の海まで見る事ができる。
駐車場もあり、お山と西行記念館と合わ...
Read more河内国の龍池山弘川寺は、天智天皇四年(665年)、役行者によって修験道の霊峰葛城山の麓に開かれた寺院である。
保延六年(1140年)、鳥羽上皇の北面武士佐藤義清は23歳で妻子を捨てて出家し円位を名のり、後に西行とも称し、諸国を巡る漂泊の旅に出て、千載集に18首、新古今和歌集に94首入撰される等、約2300首の和歌を残した。
その西行は晩年、当山に庵居し、文治6年2月16日(1190年3月31日)釈尊涅槃の日に此の地で没した。享年73歳。
十数年前に詠んだ「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」の...
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