HTML SitemapExplore
logo
Find Things to DoFind The Best Restaurants

Tōkai-ji — Attraction in Kashiwa

Name
Tōkai-ji
Description
Tōkai-ji, formally called Kōryūzan Fuse Benten Tōkai-ji, is a Buddhist temple located in the city of Kashiwa in Chiba Prefecture, Japan.
Nearby attractions
Akebonoyama Park
Japan, 〒277-0825 Chiba, Kashiwa, Fuse, 字下沼 1940
Akebonoyama Japanese Garden
1940 Fuse, Kashiwa, Chiba 277-0825, Japan
Akebonoyama Agriculture Park
2005-2 Fuse, Kashiwa, Chiba 277-0825, Japan
Flower Field
Fuseshita, Kashiwa, Chiba 277-0822, Japan
Nearby restaurants
Nearby hotels
Related posts
Keywords
Tōkai-ji tourism.Tōkai-ji hotels.Tōkai-ji bed and breakfast. flights to Tōkai-ji.Tōkai-ji attractions.Tōkai-ji restaurants.Tōkai-ji travel.Tōkai-ji travel guide.Tōkai-ji travel blog.Tōkai-ji pictures.Tōkai-ji photos.Tōkai-ji travel tips.Tōkai-ji maps.Tōkai-ji things to do.
Tōkai-ji things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Tōkai-ji
JapanChiba PrefectureKashiwaTōkai-ji

Basic Info

Tōkai-ji

1738 Fuse, Kashiwa, Chiba 277-0825, Japan
4.2(513)
Open 24 hours
Save
spot

Ratings & Description

Info

Tōkai-ji, formally called Kōryūzan Fuse Benten Tōkai-ji, is a Buddhist temple located in the city of Kashiwa in Chiba Prefecture, Japan.

Cultural
Scenic
Outdoor
Family friendly
attractions: Akebonoyama Park, Akebonoyama Japanese Garden, Akebonoyama Agriculture Park, Flower Field, restaurants:
logoLearn more insights from Wanderboat AI.
Phone
+81 4-7131-7317
Website
fusebenten.com

Plan your stay

hotel
Pet-friendly Hotels in Kashiwa
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Affordable Hotels in Kashiwa
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Trending Stays Worth the Hype in Kashiwa
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Reviews

Nearby attractions of Tōkai-ji

Akebonoyama Park

Akebonoyama Japanese Garden

Akebonoyama Agriculture Park

Flower Field

Akebonoyama Park

Akebonoyama Park

4.2

(1.0K)

Open 24 hours
Click for details
Akebonoyama Japanese Garden

Akebonoyama Japanese Garden

3.9

(32)

Closed
Click for details
Akebonoyama Agriculture Park

Akebonoyama Agriculture Park

4.2

(1.2K)

Open 24 hours
Click for details
Flower Field

Flower Field

4.3

(35)

Open 24 hours
Click for details

Things to do nearby

Taste Tokyo’s Hidden Flavors of Akabane
Taste Tokyo’s Hidden Flavors of Akabane
Thu, Dec 11 • 6:00 PM
115-0045, Tokyo Prefecture, Kita City, Japan
View details
Kendo, a martial art that is part of traditional Japanese culture. Experience authentic kendo taught by a teacher with 40 years of kendo experience.
Kendo, a martial art that is part of traditional Japanese culture. Experience authentic kendo taught by a teacher with 40 years of kendo experience.
Thu, Dec 11 • 9:00 AM
332-0015, Saitama, Kawaguchi, Japan
View details
Asakusa Street Food Experience
Asakusa Street Food Experience
Sat, Dec 6 • 11:30 AM
111-0032, Tokyo Prefecture, Taito City, Japan
View details
Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
Wanderboat LogoWanderboat

Your everyday Al companion for getaway ideas

CompanyAbout Us
InformationAI Trip PlannerSitemap
SocialXInstagramTiktokLinkedin
LegalTerms of ServicePrivacy Policy

Get the app

© 2025 Wanderboat. All rights reserved.
logo

Reviews of Tōkai-ji

4.2
(513)
avatar
4.0
1y

【当弁天】は、その存在が不可思議である。茨城県人としては未知の存在であったが、茨城県守谷市米ノ井の「龍禅寺」で平将門伝説から当寺を知ることとなった。紅龍にまつわるもので当寺の山号「紅龍山」に繋がっている。 当地と守谷市はかつて下総国相馬郡に属したが、徳川家康による利根川東遷事業により南北に分断されて、明治維新により茨城県と千葉県に分かれる。 しかしながら、利根川が東遷される前の古代においては「香取海」が太平洋から貫入していて潮の干満が眼前で見られたのであろう。時には荒れ狂い、これが龍の姿とも龍の動きとも見えたのではないかと思われる。 〖平将門伝説〗が龍禅寺にあり、これは、「将門の母親が龍禅寺に子宝祈願を行い何度も参拝を繰り返すと、龍禅寺の守護神と思われる紅龍が突然出現し、腰を抜かした母親がその場で将門を産んだ」とも、「元々紅龍の子供が将門で三仏堂前で舐めていた」とも云われている。 〖東海寺〗(トウカイジ)は、どんな謂れがあるのだろうか?。東の海と書く訳であるから基準点はもっと西にあると推量できる。これに相応しいのは、江戸、鎌倉及び京都の3都市である。この中でも京都が想定される。理由は、当地は古代においては下総国に属し、東海道に位置していたことである。同道の終点は常陸国であるが、大和朝廷の権威の象徴として寺院を設置するには常陸国では蝦夷からの攻撃にさらされやすいことから当地に東海道統治の宗教的拠点を建設したものと推察する。天皇家の家紋である菊花紋が各所に見られるのは、国家統一や国家鎮護を祈祷することを求められているからであろう。 【属性】は、伽藍の方角は「南向き」で、本堂や楼門等の立地条件が円形台地である。宗派は、「真言宗豊山派」である。 【所在地】は、千葉県柏市布施2005-2(〒277-0825)である。 〖布施の謂れ〗大同2(807)年7月7日、大雷雨とともに赤い龍が現れ手にもった土塊を捧げて島(山)を造り、その時から島の東の山麗から夜な夜な不思議な光が射しました。ある時「天女」が村人の夢に現れて、「我は、但馬の国朝来郡筒江の郷(兵庫県朝来郡和田山町)から参った、我を探し祭りなさい」と告げました。夢から覚めた村人が光をたどっていくとそこに三寸(約9cm)ほどの尊い御像があったので、藁葺きの小祠を建てて祭りしました。 のちに弘法大師空海が関東地域に巡錫のおり、この話を聞き当地に参り「この像は、私が但馬の国で願をかけ、彫刻し奉った弁財天である」と感嘆せられました。そこで大師は寺を造り、山を「紅龍山」と呼び、この村を天女の利益にあやかり「布施」と名付け、京に帰り親交の深い「嵯峨天皇」に事の次第を申し上げました。 【創建】は、大同2(807)年に弘法大師空海御作といわれる弁財天像を本尊(秘仏)として開山された祈願寺である。 弘仁14(823)年に入り、その話にいたく感動された「嵯峨天皇」(サガテンノウ)は田畑を寄付されるとともに、堂塔伽藍を建立され勅願所(天皇が天災地変や疫病流行などを祈願せしめられた寺社)に指定された。 【本尊】は、弘法大師空海御作といわれる秘仏「弁財天像」である。 【祭礼】は、「光明祭」が10月22日に開催される。 【寺紋】は、当弁天のホームページには「輪違い紋」と「?」の二つが掲示されている。前者は、二つの輪はそれぞれ大日如来と、その化身である衆生を意味し、二つが一体であることを表現している。もう一つがスマホで調べても出てこない。三つ鱗に水が波となり左右から盛り上がってはさむ形状。これは紅龍が水波との一体により弁天の河川神としての性格を表すものと推察する。 また、嵯峨天皇の祈願所となるために「菊花紋」が見られる。 【朱印】は、本堂の手前の左手にある「総案内」にて書置きの形式で提供される(御布施500円)。「大弁財天」と「薬師如来」の2種類があります。 【布施街道】が、当弁天の西側を縦貫している。これは、五街道の脇街道である「水戸街道」の更なる脇街道(バイパス)である。水戸街道の根戸(柏市)で西方向に分岐して中高津(土浦市)で合流する。この主な経過地は、根戸━布施(弁天)━七里ケ渡(常陸川(利根川))━守谷ー青木の渡(小貝川)━板橋(不動尊)━谷田部━中高津となる。 この特徴は、街道名にもなっている関東三弁天の一つ「布施弁天」と、関東三大不動尊の一つ「板橋不動尊」という寺院である。 布施街道は、さらに「筑波街道」を分岐させるが、どこから分岐させるのかが不明であるが、板橋不動尊の前後からが予想される。筑波街道は、筑波山の中腹に建立されている「中禅寺」に参拝するのを主要目的とするものである。布施弁天、板橋不動尊及び中禅寺は、全て真言宗豊山派(新義真言宗)に属するので、同派が江戸幕府の後援の下で各寺への参拝者を呼ぶことになったのだろうか?。 布施街道は人気が出たせいで、水戸街道が通行者が少なくなったために水戸藩から布施街道を使用しないようにとのお達しが出されたようだ。 【本多家】(ホンダケ、別称三弥家)〖〗は、元禄11(1698)年に下総国舟戸藩主となる本多正永の領地となり、元禄16年に上野国沼田藩に転封し、続いて享保15(1730)年には本多正矩が駿河国田中藩に転封となるが、布施を含む下総領の42村1万石を明治期まで所領として善政を施して領民から慕われた。かねてから本尊を篤信していた領主である本多豊前守は正徳年間諸大名から寄進をもとめ、享保2(1717)年に現在の本堂が完成しました。 本多家は、徳川家の有力家臣として大名となった領地の布施を大切にした。この姿勢は、居所が上野国沼田や駿河国田中になっても布川等を飛び地として支配し続けたこと、本堂内陣の天井に本堂再建に寄進を求めてこれに応じた全国の大名98名の家紋が描かれていること、かつ、名主の後藤家等の布施弁天を振興することに表れている。 【鳥居】(靖国鳥居)が、参道上で楼門の前に立つ。これは神仏習合の遺物なのだろうか!。歴史的には弁天信仰から東海寺がこれに吸収されたのが大筋であるが、これに神道の流れがあったのかも?。 鳥居の南にあけぼの山農業公園の展望塔があるのは、創建当初には当弁天は香取海に浮かぶ島で展望塔が立つ場所が遥拝していたのかもしれないと想像してしまった。この傍証としては、楼門前の参道付近を眺めれば、二段に石柱の柵の並びが見られる。当初時には下段の柵辺りまで水が押し寄せていたとも考えられる。 【諸仏】が、布施弁天の西側道向かいで布施弁天通りの北側に「安産不動明王」、「大日如来」、「弘法大師」及び「薬師如来」が祀られている。これらの諸仏は、「東海寺」が当弁天に統合される前に祀られていたものであろうか。この薬師如来については総案内にて御朱印を取得できるが、他の明王等が対象外であるのは如何なる理由があるのだろうか?。別格の処遇は、天武天皇9(680)年11月12日条(日本書紀)には、天武天皇が後の持統天皇である「鵜野讃良(ウノノサララ)皇后」の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、この後に薬師如来を本尊とする寺院建立が全国に広まる。薬師如来を祀る寺院は天皇家の菊花紋を寺紋とするものが結構あります。 また、本堂の南東方向の道向かいに「妙見大菩薩」が祀られている。夜空に煌めく北斗七星を含む「北極星」の神様仏様のありがたい化身です。古代、灯りの無い漆黒の夜の移動において、北極星は唯一の方位を知る手段でした。方位を知ることにより、安全な方向、最短距離が初めて解り、時空間の観念の大元になりました。これが妙見信仰の始まりと言われている。見ること、見られること、目の病等に図り知れない守護があると伝えられています。 【古木】は、未確認である。楼門前の鳥居等に見られる神仏混淆の状態から判断すれば、御神木として祀られるものはあると想像される。境内を歩くと、本堂を右から回り込み、弘法大師(大師堂)の先が立ち入り禁止 【接道】は、県道我孫子関宿(7号)線と県道守谷流山(47号)線との「布施入口」信号機から県道守谷流山線に入り、直ぐの信号を右方向に進み布施弁天通りに入り道なりに進む。布施弁天の立つ台地の石垣に突き当たるので、これを右折し進むと左手に布施弁天の特徴的な楼門が見える。 【駐車場】は、布施弁天の楼門への参道石段の前に専用駐車場がアスファルト舗装白線引きで自動車相当数分が整備されている。また隣にはあけぼの山農業公園の駐車場も続いている。 【トイレ】は、駐車場付近では上記のあけぼの山農業公園の駐車場に、楼門の東側にスロープの参道始点の右手に、そして本堂付近では宝物殿の裏にそれぞれ整備されている。(訪問日:令...

   Read more
avatar
4.0
3y

It’s a beautiful and peaceful place.

This mountain, which is known as "Fuse Benten-sama," is called Koryuzan Fuse Benten Tokaiji Temple, and was opened in the 2nd year of Daido (807 AD) with the statue of Benji Ten, which is said to be the work of Kobo Daishi Kukai, as the principal image (hibutsu). It is a prayer temple. In 2006, the main hall, tower gate, and bell tower were designated as Chiba Prefecture Important...

   Read more
avatar
5.0
1y

This old temple is far from the city. But u can take the bus directly to the front of the temple. It's not big at all, however, the place is full of traditional Japanese temple buildings! A good place for sightseeing. Cos not many people visit there on weekdays...hence, also a good place for worshipping...

   Read more
Page 1 of 7
Previous
Next

Posts

久住一美久住一美
【当弁天】は、その存在が不可思議である。茨城県人としては未知の存在であったが、茨城県守谷市米ノ井の「龍禅寺」で平将門伝説から当寺を知ることとなった。紅龍にまつわるもので当寺の山号「紅龍山」に繋がっている。 当地と守谷市はかつて下総国相馬郡に属したが、徳川家康による利根川東遷事業により南北に分断されて、明治維新により茨城県と千葉県に分かれる。 しかしながら、利根川が東遷される前の古代においては「香取海」が太平洋から貫入していて潮の干満が眼前で見られたのであろう。時には荒れ狂い、これが龍の姿とも龍の動きとも見えたのではないかと思われる。 〖平将門伝説〗が龍禅寺にあり、これは、「将門の母親が龍禅寺に子宝祈願を行い何度も参拝を繰り返すと、龍禅寺の守護神と思われる紅龍が突然出現し、腰を抜かした母親がその場で将門を産んだ」とも、「元々紅龍の子供が将門で三仏堂前で舐めていた」とも云われている。 〖東海寺〗(トウカイジ)は、どんな謂れがあるのだろうか?。東の海と書く訳であるから基準点はもっと西にあると推量できる。これに相応しいのは、江戸、鎌倉及び京都の3都市である。この中でも京都が想定される。理由は、当地は古代においては下総国に属し、東海道に位置していたことである。同道の終点は常陸国であるが、大和朝廷の権威の象徴として寺院を設置するには常陸国では蝦夷からの攻撃にさらされやすいことから当地に東海道統治の宗教的拠点を建設したものと推察する。天皇家の家紋である菊花紋が各所に見られるのは、国家統一や国家鎮護を祈祷することを求められているからであろう。 【属性】は、伽藍の方角は「南向き」で、本堂や楼門等の立地条件が円形台地である。宗派は、「真言宗豊山派」である。 【所在地】は、千葉県柏市布施2005-2(〒277-0825)である。 〖布施の謂れ〗大同2(807)年7月7日、大雷雨とともに赤い龍が現れ手にもった土塊を捧げて島(山)を造り、その時から島の東の山麗から夜な夜な不思議な光が射しました。ある時「天女」が村人の夢に現れて、「我は、但馬の国朝来郡筒江の郷(兵庫県朝来郡和田山町)から参った、我を探し祭りなさい」と告げました。夢から覚めた村人が光をたどっていくとそこに三寸(約9cm)ほどの尊い御像があったので、藁葺きの小祠を建てて祭りしました。 のちに弘法大師空海が関東地域に巡錫のおり、この話を聞き当地に参り「この像は、私が但馬の国で願をかけ、彫刻し奉った弁財天である」と感嘆せられました。そこで大師は寺を造り、山を「紅龍山」と呼び、この村を天女の利益にあやかり「布施」と名付け、京に帰り親交の深い「嵯峨天皇」に事の次第を申し上げました。 【創建】は、大同2(807)年に弘法大師空海御作といわれる弁財天像を本尊(秘仏)として開山された祈願寺である。 弘仁14(823)年に入り、その話にいたく感動された「嵯峨天皇」(サガテンノウ)は田畑を寄付されるとともに、堂塔伽藍を建立され勅願所(天皇が天災地変や疫病流行などを祈願せしめられた寺社)に指定された。 【本尊】は、弘法大師空海御作といわれる秘仏「弁財天像」である。 【祭礼】は、「光明祭」が10月22日に開催される。 【寺紋】は、当弁天のホームページには「輪違い紋」と「?」の二つが掲示されている。前者は、二つの輪はそれぞれ大日如来と、その化身である衆生を意味し、二つが一体であることを表現している。もう一つがスマホで調べても出てこない。三つ鱗に水が波となり左右から盛り上がってはさむ形状。これは紅龍が水波との一体により弁天の河川神としての性格を表すものと推察する。 また、嵯峨天皇の祈願所となるために「菊花紋」が見られる。 【朱印】は、本堂の手前の左手にある「総案内」にて書置きの形式で提供される(御布施500円)。「大弁財天」と「薬師如来」の2種類があります。 【布施街道】が、当弁天の西側を縦貫している。これは、五街道の脇街道である「水戸街道」の更なる脇街道(バイパス)である。水戸街道の根戸(柏市)で西方向に分岐して中高津(土浦市)で合流する。この主な経過地は、根戸━布施(弁天)━七里ケ渡(常陸川(利根川))━守谷ー青木の渡(小貝川)━板橋(不動尊)━谷田部━中高津となる。 この特徴は、街道名にもなっている関東三弁天の一つ「布施弁天」と、関東三大不動尊の一つ「板橋不動尊」という寺院である。 布施街道は、さらに「筑波街道」を分岐させるが、どこから分岐させるのかが不明であるが、板橋不動尊の前後からが予想される。筑波街道は、筑波山の中腹に建立されている「中禅寺」に参拝するのを主要目的とするものである。布施弁天、板橋不動尊及び中禅寺は、全て真言宗豊山派(新義真言宗)に属するので、同派が江戸幕府の後援の下で各寺への参拝者を呼ぶことになったのだろうか?。 布施街道は人気が出たせいで、水戸街道が通行者が少なくなったために水戸藩から布施街道を使用しないようにとのお達しが出されたようだ。 【本多家】(ホンダケ、別称三弥家)〖〗は、元禄11(1698)年に下総国舟戸藩主となる本多正永の領地となり、元禄16年に上野国沼田藩に転封し、続いて享保15(1730)年には本多正矩が駿河国田中藩に転封となるが、布施を含む下総領の42村1万石を明治期まで所領として善政を施して領民から慕われた。かねてから本尊を篤信していた領主である本多豊前守は正徳年間諸大名から寄進をもとめ、享保2(1717)年に現在の本堂が完成しました。 本多家は、徳川家の有力家臣として大名となった領地の布施を大切にした。この姿勢は、居所が上野国沼田や駿河国田中になっても布川等を飛び地として支配し続けたこと、本堂内陣の天井に本堂再建に寄進を求めてこれに応じた全国の大名98名の家紋が描かれていること、かつ、名主の後藤家等の布施弁天を振興することに表れている。 【鳥居】(靖国鳥居)が、参道上で楼門の前に立つ。これは神仏習合の遺物なのだろうか!。歴史的には弁天信仰から東海寺がこれに吸収されたのが大筋であるが、これに神道の流れがあったのかも?。 鳥居の南にあけぼの山農業公園の展望塔があるのは、創建当初には当弁天は香取海に浮かぶ島で展望塔が立つ場所が遥拝していたのかもしれないと想像してしまった。この傍証としては、楼門前の参道付近を眺めれば、二段に石柱の柵の並びが見られる。当初時には下段の柵辺りまで水が押し寄せていたとも考えられる。 【諸仏】が、布施弁天の西側道向かいで布施弁天通りの北側に「安産不動明王」、「大日如来」、「弘法大師」及び「薬師如来」が祀られている。これらの諸仏は、「東海寺」が当弁天に統合される前に祀られていたものであろうか。この薬師如来については総案内にて御朱印を取得できるが、他の明王等が対象外であるのは如何なる理由があるのだろうか?。別格の処遇は、天武天皇9(680)年11月12日条(日本書紀)には、天武天皇が後の持統天皇である「鵜野讃良(ウノノサララ)皇后」の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、この後に薬師如来を本尊とする寺院建立が全国に広まる。薬師如来を祀る寺院は天皇家の菊花紋を寺紋とするものが結構あります。 また、本堂の南東方向の道向かいに「妙見大菩薩」が祀られている。夜空に煌めく北斗七星を含む「北極星」の神様仏様のありがたい化身です。古代、灯りの無い漆黒の夜の移動において、北極星は唯一の方位を知る手段でした。方位を知ることにより、安全な方向、最短距離が初めて解り、時空間の観念の大元になりました。これが妙見信仰の始まりと言われている。見ること、見られること、目の病等に図り知れない守護があると伝えられています。 【古木】は、未確認である。楼門前の鳥居等に見られる神仏混淆の状態から判断すれば、御神木として祀られるものはあると想像される。境内を歩くと、本堂を右から回り込み、弘法大師(大師堂)の先が立ち入り禁止 【接道】は、県道我孫子関宿(7号)線と県道守谷流山(47号)線との「布施入口」信号機から県道守谷流山線に入り、直ぐの信号を右方向に進み布施弁天通りに入り道なりに進む。布施弁天の立つ台地の石垣に突き当たるので、これを右折し進むと左手に布施弁天の特徴的な楼門が見える。 【駐車場】は、布施弁天の楼門への参道石段の前に専用駐車場がアスファルト舗装白線引きで自動車相当数分が整備されている。また隣にはあけぼの山農業公園の駐車場も続いている。 【トイレ】は、駐車場付近では上記のあけぼの山農業公園の駐車場に、楼門の東側にスロープの参道始点の右手に、そして本堂付近では宝物殿の裏にそれぞれ整備されている。(訪問日:令和6年2月18日(日))
KIICHIRO KOBORIKIICHIRO KOBORI
It’s a beautiful and peaceful place. This mountain, which is known as "Fuse Benten-sama," is called Koryuzan Fuse Benten Tokaiji Temple, and was opened in the 2nd year of Daido (807 AD) with the statue of Benji Ten, which is said to be the work of Kobo Daishi Kukai, as the principal image (hibutsu). It is a prayer temple. In 2006, the main hall, tower gate, and bell tower were designated as Chiba Prefecture Important Cultural Properties.
イナッシー174イナッシー174
R2 11/1 本日は一年に数回しか無い大変縁起の良い日『天赦日』願掛けの為におよそ35年振りに参拝しました🛐弁天様に熱い眼差しを向け参拝した後は恒例のおみくじタイム✨受付の方に¥200払い自分の生年月日を告げて授かったおみくじは何と“大凶”😅天赦日に大凶を引くとはある意味奇跡✨きっと俺ぐらいなんだろうなぁ~( ̄▽ ̄;)チーン🔔 気を取り直して大凶🎫片手に本堂向かいの喫煙所ベンチで一服😃🚬そしたら隣に座った栗原類風の洒落たお兄さんが話掛けて来て『大凶引いたんですか?これから上がるだけですよ😊』と見ず知らずの自分に優しく語ってくれました✨嬉しい事にこれも縁なのか?神様の力を超越した超速ご利益がございました✌️ R3 7/21一粒万倍日+大安吉日の本日、願掛けとおみくじリベンジを行う為に再度参拝しました😊俺は弁天様に嫌われているのかなぁ😅?今回は前回よりワンランクアップの『凶』( ̄▽ ̄;)昨年の天赦日には大凶、本日の大安吉日+一粒万倍日には凶(^o^;)まあ大吉ばかり入っているおみくじより、ここで引くおみくじの方が、より真実味が有って良いなぁ~(´- `*)因みに本日は社務所のお姉さまから『おみくじは良い悪いでは無く、内容を良く読んで行動すべし』みたいなアドバイスを授かりました。結果は惨敗だったけど木々の緑や蝉の鳴き声で癒され良い参拝になりました\(^-^)/ R5 3/22天赦日翌日、春彼岸墓参りの帰り道にお袋が桜🌸を見たいと久し振りに参拝。今回三度目の正直おみくじリベンジ。写メアップはしませんでしたが吉でした。徐々にランクアップしてます😀 お袋は半吉。半吉なんて見たのが初めてだったのでうけた🤣3/24早速吉報が。 通勤中にショルダーバッグを拾った✨駅員に届けましたけど😅オカルトかもしれませんが金運アップしているかも😁良いことありますよ~に🛐✝️
See more posts
See more posts
hotel
Find your stay

Pet-friendly Hotels in Kashiwa

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

【当弁天】は、その存在が不可思議である。茨城県人としては未知の存在であったが、茨城県守谷市米ノ井の「龍禅寺」で平将門伝説から当寺を知ることとなった。紅龍にまつわるもので当寺の山号「紅龍山」に繋がっている。 当地と守谷市はかつて下総国相馬郡に属したが、徳川家康による利根川東遷事業により南北に分断されて、明治維新により茨城県と千葉県に分かれる。 しかしながら、利根川が東遷される前の古代においては「香取海」が太平洋から貫入していて潮の干満が眼前で見られたのであろう。時には荒れ狂い、これが龍の姿とも龍の動きとも見えたのではないかと思われる。 〖平将門伝説〗が龍禅寺にあり、これは、「将門の母親が龍禅寺に子宝祈願を行い何度も参拝を繰り返すと、龍禅寺の守護神と思われる紅龍が突然出現し、腰を抜かした母親がその場で将門を産んだ」とも、「元々紅龍の子供が将門で三仏堂前で舐めていた」とも云われている。 〖東海寺〗(トウカイジ)は、どんな謂れがあるのだろうか?。東の海と書く訳であるから基準点はもっと西にあると推量できる。これに相応しいのは、江戸、鎌倉及び京都の3都市である。この中でも京都が想定される。理由は、当地は古代においては下総国に属し、東海道に位置していたことである。同道の終点は常陸国であるが、大和朝廷の権威の象徴として寺院を設置するには常陸国では蝦夷からの攻撃にさらされやすいことから当地に東海道統治の宗教的拠点を建設したものと推察する。天皇家の家紋である菊花紋が各所に見られるのは、国家統一や国家鎮護を祈祷することを求められているからであろう。 【属性】は、伽藍の方角は「南向き」で、本堂や楼門等の立地条件が円形台地である。宗派は、「真言宗豊山派」である。 【所在地】は、千葉県柏市布施2005-2(〒277-0825)である。 〖布施の謂れ〗大同2(807)年7月7日、大雷雨とともに赤い龍が現れ手にもった土塊を捧げて島(山)を造り、その時から島の東の山麗から夜な夜な不思議な光が射しました。ある時「天女」が村人の夢に現れて、「我は、但馬の国朝来郡筒江の郷(兵庫県朝来郡和田山町)から参った、我を探し祭りなさい」と告げました。夢から覚めた村人が光をたどっていくとそこに三寸(約9cm)ほどの尊い御像があったので、藁葺きの小祠を建てて祭りしました。 のちに弘法大師空海が関東地域に巡錫のおり、この話を聞き当地に参り「この像は、私が但馬の国で願をかけ、彫刻し奉った弁財天である」と感嘆せられました。そこで大師は寺を造り、山を「紅龍山」と呼び、この村を天女の利益にあやかり「布施」と名付け、京に帰り親交の深い「嵯峨天皇」に事の次第を申し上げました。 【創建】は、大同2(807)年に弘法大師空海御作といわれる弁財天像を本尊(秘仏)として開山された祈願寺である。 弘仁14(823)年に入り、その話にいたく感動された「嵯峨天皇」(サガテンノウ)は田畑を寄付されるとともに、堂塔伽藍を建立され勅願所(天皇が天災地変や疫病流行などを祈願せしめられた寺社)に指定された。 【本尊】は、弘法大師空海御作といわれる秘仏「弁財天像」である。 【祭礼】は、「光明祭」が10月22日に開催される。 【寺紋】は、当弁天のホームページには「輪違い紋」と「?」の二つが掲示されている。前者は、二つの輪はそれぞれ大日如来と、その化身である衆生を意味し、二つが一体であることを表現している。もう一つがスマホで調べても出てこない。三つ鱗に水が波となり左右から盛り上がってはさむ形状。これは紅龍が水波との一体により弁天の河川神としての性格を表すものと推察する。 また、嵯峨天皇の祈願所となるために「菊花紋」が見られる。 【朱印】は、本堂の手前の左手にある「総案内」にて書置きの形式で提供される(御布施500円)。「大弁財天」と「薬師如来」の2種類があります。 【布施街道】が、当弁天の西側を縦貫している。これは、五街道の脇街道である「水戸街道」の更なる脇街道(バイパス)である。水戸街道の根戸(柏市)で西方向に分岐して中高津(土浦市)で合流する。この主な経過地は、根戸━布施(弁天)━七里ケ渡(常陸川(利根川))━守谷ー青木の渡(小貝川)━板橋(不動尊)━谷田部━中高津となる。 この特徴は、街道名にもなっている関東三弁天の一つ「布施弁天」と、関東三大不動尊の一つ「板橋不動尊」という寺院である。 布施街道は、さらに「筑波街道」を分岐させるが、どこから分岐させるのかが不明であるが、板橋不動尊の前後からが予想される。筑波街道は、筑波山の中腹に建立されている「中禅寺」に参拝するのを主要目的とするものである。布施弁天、板橋不動尊及び中禅寺は、全て真言宗豊山派(新義真言宗)に属するので、同派が江戸幕府の後援の下で各寺への参拝者を呼ぶことになったのだろうか?。 布施街道は人気が出たせいで、水戸街道が通行者が少なくなったために水戸藩から布施街道を使用しないようにとのお達しが出されたようだ。 【本多家】(ホンダケ、別称三弥家)〖〗は、元禄11(1698)年に下総国舟戸藩主となる本多正永の領地となり、元禄16年に上野国沼田藩に転封し、続いて享保15(1730)年には本多正矩が駿河国田中藩に転封となるが、布施を含む下総領の42村1万石を明治期まで所領として善政を施して領民から慕われた。かねてから本尊を篤信していた領主である本多豊前守は正徳年間諸大名から寄進をもとめ、享保2(1717)年に現在の本堂が完成しました。 本多家は、徳川家の有力家臣として大名となった領地の布施を大切にした。この姿勢は、居所が上野国沼田や駿河国田中になっても布川等を飛び地として支配し続けたこと、本堂内陣の天井に本堂再建に寄進を求めてこれに応じた全国の大名98名の家紋が描かれていること、かつ、名主の後藤家等の布施弁天を振興することに表れている。 【鳥居】(靖国鳥居)が、参道上で楼門の前に立つ。これは神仏習合の遺物なのだろうか!。歴史的には弁天信仰から東海寺がこれに吸収されたのが大筋であるが、これに神道の流れがあったのかも?。 鳥居の南にあけぼの山農業公園の展望塔があるのは、創建当初には当弁天は香取海に浮かぶ島で展望塔が立つ場所が遥拝していたのかもしれないと想像してしまった。この傍証としては、楼門前の参道付近を眺めれば、二段に石柱の柵の並びが見られる。当初時には下段の柵辺りまで水が押し寄せていたとも考えられる。 【諸仏】が、布施弁天の西側道向かいで布施弁天通りの北側に「安産不動明王」、「大日如来」、「弘法大師」及び「薬師如来」が祀られている。これらの諸仏は、「東海寺」が当弁天に統合される前に祀られていたものであろうか。この薬師如来については総案内にて御朱印を取得できるが、他の明王等が対象外であるのは如何なる理由があるのだろうか?。別格の処遇は、天武天皇9(680)年11月12日条(日本書紀)には、天武天皇が後の持統天皇である「鵜野讃良(ウノノサララ)皇后」の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、この後に薬師如来を本尊とする寺院建立が全国に広まる。薬師如来を祀る寺院は天皇家の菊花紋を寺紋とするものが結構あります。 また、本堂の南東方向の道向かいに「妙見大菩薩」が祀られている。夜空に煌めく北斗七星を含む「北極星」の神様仏様のありがたい化身です。古代、灯りの無い漆黒の夜の移動において、北極星は唯一の方位を知る手段でした。方位を知ることにより、安全な方向、最短距離が初めて解り、時空間の観念の大元になりました。これが妙見信仰の始まりと言われている。見ること、見られること、目の病等に図り知れない守護があると伝えられています。 【古木】は、未確認である。楼門前の鳥居等に見られる神仏混淆の状態から判断すれば、御神木として祀られるものはあると想像される。境内を歩くと、本堂を右から回り込み、弘法大師(大師堂)の先が立ち入り禁止 【接道】は、県道我孫子関宿(7号)線と県道守谷流山(47号)線との「布施入口」信号機から県道守谷流山線に入り、直ぐの信号を右方向に進み布施弁天通りに入り道なりに進む。布施弁天の立つ台地の石垣に突き当たるので、これを右折し進むと左手に布施弁天の特徴的な楼門が見える。 【駐車場】は、布施弁天の楼門への参道石段の前に専用駐車場がアスファルト舗装白線引きで自動車相当数分が整備されている。また隣にはあけぼの山農業公園の駐車場も続いている。 【トイレ】は、駐車場付近では上記のあけぼの山農業公園の駐車場に、楼門の東側にスロープの参道始点の右手に、そして本堂付近では宝物殿の裏にそれぞれ整備されている。(訪問日:令和6年2月18日(日))
久住一美

久住一美

hotel
Find your stay

Affordable Hotels in Kashiwa

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
It’s a beautiful and peaceful place. This mountain, which is known as "Fuse Benten-sama," is called Koryuzan Fuse Benten Tokaiji Temple, and was opened in the 2nd year of Daido (807 AD) with the statue of Benji Ten, which is said to be the work of Kobo Daishi Kukai, as the principal image (hibutsu). It is a prayer temple. In 2006, the main hall, tower gate, and bell tower were designated as Chiba Prefecture Important Cultural Properties.
KIICHIRO KOBORI

KIICHIRO KOBORI

hotel
Find your stay

The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

hotel
Find your stay

Trending Stays Worth the Hype in Kashiwa

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

R2 11/1 本日は一年に数回しか無い大変縁起の良い日『天赦日』願掛けの為におよそ35年振りに参拝しました🛐弁天様に熱い眼差しを向け参拝した後は恒例のおみくじタイム✨受付の方に¥200払い自分の生年月日を告げて授かったおみくじは何と“大凶”😅天赦日に大凶を引くとはある意味奇跡✨きっと俺ぐらいなんだろうなぁ~( ̄▽ ̄;)チーン🔔 気を取り直して大凶🎫片手に本堂向かいの喫煙所ベンチで一服😃🚬そしたら隣に座った栗原類風の洒落たお兄さんが話掛けて来て『大凶引いたんですか?これから上がるだけですよ😊』と見ず知らずの自分に優しく語ってくれました✨嬉しい事にこれも縁なのか?神様の力を超越した超速ご利益がございました✌️ R3 7/21一粒万倍日+大安吉日の本日、願掛けとおみくじリベンジを行う為に再度参拝しました😊俺は弁天様に嫌われているのかなぁ😅?今回は前回よりワンランクアップの『凶』( ̄▽ ̄;)昨年の天赦日には大凶、本日の大安吉日+一粒万倍日には凶(^o^;)まあ大吉ばかり入っているおみくじより、ここで引くおみくじの方が、より真実味が有って良いなぁ~(´- `*)因みに本日は社務所のお姉さまから『おみくじは良い悪いでは無く、内容を良く読んで行動すべし』みたいなアドバイスを授かりました。結果は惨敗だったけど木々の緑や蝉の鳴き声で癒され良い参拝になりました\(^-^)/ R5 3/22天赦日翌日、春彼岸墓参りの帰り道にお袋が桜🌸を見たいと久し振りに参拝。今回三度目の正直おみくじリベンジ。写メアップはしませんでしたが吉でした。徐々にランクアップしてます😀 お袋は半吉。半吉なんて見たのが初めてだったのでうけた🤣3/24早速吉報が。 通勤中にショルダーバッグを拾った✨駅員に届けましたけど😅オカルトかもしれませんが金運アップしているかも😁良いことありますよ~に🛐✝️
イナッシー174

イナッシー174

See more posts
See more posts