御祭神は楠木正成公で千早城趾に建っている神社。正成公の妻と息子も祀られています。創建は1332年で千早城を造った際に鎮守として八幡大菩薩を祀っていたのが始まり。後に正成公らを合祀し楠社と称していた。
千早城の落城後、神社は荒廃する。豊臣秀吉の命で再建されたがふたたび荒廃してしまう。1874年に荒廃していたものを再再建。5年後に祠を造り現在の社号と変わった。
御利益は開運厄除や交通安全の他に落ちない御利益があり受験や選挙、企業などの業績に良いと言われています。
道路沿いの入口から拝殿まで約700m、15〜20分。スタート直後から550段以上の石段を千早城趾までひたすら登り続ける。千早城趾に着くと平坦となる。最後に階段はあるが、ここまで登ってきた石段に比べればたいした事はないと思います。神社を経由し金剛山への登山ルートにもなっている。
社は1932年に建てられた物で拝殿は開放的な造り。内部は他の神社でもよく見られる細かい砂利が敷き詰められています。正面は重厚な門で閉ざされ全体的にシンプルな構成だが独特の雰囲気を醸し出しています。 本殿も近づいて見る事ができる。ただし裏側に立ち入るのは禁止。向かって右側に注意書きはあるが左側には無いのでうっかり入らないように気をつけてください。御朱印はモンベルの向かいにある豆腐屋さんで扱っている。
駐車場は有料となる。最も近い所で1日600円。トイ...
Read more千早城由緒 鎌倉時代末期のことです。 後醍醐天皇から反幕蜂起の命を受けた楠木正成は、 ここ千早城に十数万の幕府軍を迎え撃つことになります。 僅か千人足らずの小勢で、幕府の大軍を相手に百日間に及ぶ攻防戦が繰り広げられました。正成は、用意周到の上、奇策・知略で幕府軍を撃退し、一度たりとも落城する...
Read more金剛山への登山道の途中の千早城跡に鎮座するお社で、もとは千早城の八幡大菩薩を祀り鎮守として創建されたものでしたが、時代が移り楠木正成公、楠木正行公、久子刀自さまを合祀し、現在に至っています。後醍醐天皇の挙兵に呼応した大楠公が地形を巧みに活かした籠城戦を展開し、僅か千人にも満たない兵で十数万にも及ぶ幕府軍の猛攻を百日間も防いでみせた不落の名城にあやかり、受験、企業の業績、選挙など"落ちない"御利益で有名です。整備された登山道ですので麓の駐車場から片道約30分の登山をお楽しみ下さい。また、神社周囲の森林は伐採されていないので眺望は期待しないで下さい。千早城登城印と千早神社の御朱印は麓登山口の土産...
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