神社の由来・傳説は、他の方がおっしゃる通り。 しかし、こういう環境、相変わらず思うのは 「どーしてここ?」
神さまは何を基準で、(って人間が考えるな、ですよね(笑)) 日光へ抜ける街道は、もう一本、北に上がった方にある。 どこかへ抜ける道があるわけでもないのに、こちらにご在所。 お寺さんもそうなんですが、そういう環境にご在所、なんですよね。 わたくしなど、佇んでみたところで、森羅万象が伝えてくださるものは、ひとつとして無し。 しかし、小さい集落の神社さんでありながら、お神楽殿をお持ちになっていらっしゃる。 神社さんのお社だって、特別大きいわけでもなく。 どーして? という疑問ばかり。 しかし、よく考えれば、わたくしのような衆生がご神仏のお計らいなどわかるわけなし。想像することすら、恐れ多いこと。 しかし、いにしえよりこの地にヒトが生活を営み、その営みは絶えることなし。 なぜなら こちらの神社さんがあるから、そうとしか言えませんよね。 ご神仏が、一般衆生の平和で、ごくごく普通の生活を護ってくださっている、だから地域の生活の営みが続いている、ってわけですよね。
お社・境内は小さいです。しかし、じっくり、自分の足でじっくり回っていただきたい。 針塚がある、ということは、たぶん近郷近在から女性がお参りされたという証左。
それと お参りされる方、ご神体の一部が、お社の外にあることに注意していただきたい。 こんな大きなご神体のひとつがあること、参拝者の方で気が付いていない方もおりましたので、ひとこと申し添えます。 わたくしは、軽~く、触らせていただきました(^▽^)/
トイレは、鳥居手前で左に曲がったところにある、広い駐車場にあります。
あと、こちらに、タクシーをチャーターされてお参りに来られた方がおりました。 老女の方、でしたね。ナンバーを見ると、な、何と「練馬ナンバー」 近くの、モミジ寺でなく、こちらを目的地として指定された、 なぜ...
Read moreその昔、川内の男が京都の公卿のもとへ出仕していました。 ある時、男が庭を通りかかると、とても美しい娘を見かけました。それは公卿の娘であった白滝姫でした。 男は...
Read more❶【参考 赤城 大正5年(1916年)】
白瀧神社(械神神社(はたがみ神社))
[社傳によりと]
「むかし弘文帝の頃(672年)、山田男という者が賦役(ぶえき)のため京都に奉仕した。数年の間、忠勤に勤めたので、宮女を賜り、一緒に郷に帰った。という。 女は白瀧と云った。蚕絲機織(さんしはたおり)の道に通じていて、郷だけでなく隣里の者へも導き助けて、その技術を伝えた。」 これが、山田絹織物、仁田山絹織物の始まりといわれている。
白瀧が没すると、里人がその功績を思い1祠を仁田山郷にたてた。白瀧を祀ったので、白瀧神社、または機神神社(はたがみ神社)といわれたという。
[大正の頃のこの神社について]
社頭(社殿の前、社域)に古生層の岩石が露出している。 伝えられている事は「むかしは岩中より杼(スサ※1)の音がしていた」という。 (※1)杼の音は機織りの横糸を通す音と思われる。機織りの音は トンカラリ・・トントン・・トンカラリとすると、トンカラリの部分であると考える。 境内に老樫(ふるかし)の木あって、木の周囲は3m(1丈)あまり。
[鎮座地] 川内村大字山田村字岩本 [祭神] 天八千々姫神(あめのやちひめかみ・機織りの神) 白瀧姫(しらた...
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