シンプルなお寺さんです。 檀家さんがしっかりしているみたいで、しっかりしています。
雪蹊寺の歴史・由来
土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。 1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。
山門 2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。 3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。 雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧...
Read more四国八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 臨済宗妙心寺派のお寺で高福山高福院雪蹊寺といい、霊場第三十三番札所になります。 御本尊は薬師如来(三尊形式)になります。 鎌倉時代の仏師の像の名作を数多く有する寺で、土佐領主である長宗我部元親公ゆかりのお寺で長宗我部元親公が再興し臨済宗に改めたものです。 弘仁六年(815年)弘法大師空海によって開創されたお寺で当初は「高福寺」と称していて一時期廃寺となっていましたが、長宗我部元親公が信仰していた臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き中興の祖とし「慶運寺」と改めていました、元親公の死後に四男の盛親公が後を継いで長宗我部家の菩提寺と定めて元親公の法号から寺名を「雪蹊寺」と改めて今日に至っています。 お寺の御本尊などは運慶親子達がこの寺に滞在し薬師如来像と脇侍の日光菩薩像・月光菩薩像の三尊像は鎌倉時代の高名な大仏師の運慶作で、毘沙門天像と吉祥天女像つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像は子の湛慶作とされいて、全て国の重要文化財に指定され宝物館に安置されています。 一時期「運慶寺」と名乗っていたのもこうした由縁です、また弟子の道運・海覚作の十二神将像も国の重要文化財に指定されています。 明治時代初期に新政府の廃仏毀釈令で雪蹊寺は一時期廃寺となったが、明治十二年(1879年)に復興され現在に至っている。 本堂正面にかかる鰐口は金属製ではなく大...
Read more自転車遍路でお邪魔しました。 32番札所の禅師峰寺からは、浦戸湾を渡し船で雪渓寺ヘ向かうルートと浦戸大橋経由で雪渓寺ヘ向かうルートがあります。 私は渡し船を使いましたが、出航時間に注意が必要です。 日中は1時間に1本の運行でした。
雪蹊寺は、四国霊場の中では2つしかない、臨済宗妙心寺派の寺の一つです。 臨済宗の寺院は11番札所藤井寺と雪蹊寺だけです。 延暦年間(782~806年)、空海(弘法大師)の開山という古刹です。 創建当時は少林山高福寺と称する真言寺院だったそうです。
雪蹊寺のご本尊は木造薬師如来像で、薬壺を持ち病気を治す仏様として知られています。 薬師如来像は運慶が、土佐に滞在した際に制作されたものだそうです。 本堂には長男の湛慶が制作した毘沙門天像・吉祥天女像・善膩師童子像も安置されています。 本堂脇にある馬頭観音は旅の安全を守るとされています。
中世になると一時廃寺となりますが、長宗我部元親が臨済宗の寺として再興しました。 長宗我部元親が病没するとその菩提寺となりました。 「雪蹊寺」という寺号は長宗我部元親の戒名の一部からつけ...
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