狭くてカーブの多い山道です。 対向車には特に気をつけて運転してください。
【大日寺の歴史・由来】 境内は四季折々の花が咲き、巡拝者の目を楽しませてくれる。早春にはサンシュユの花、3月彼岸ごろにはしだれ桜、本坊前のコブシの花、10月中旬から十月桜や万両が咲き誇る。 縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。 以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596〜1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。しかし、明治新政府の神仏分離令によって一時は廃寺となったが、本尊は「大日堂」と改称した本堂に安置していたので救われ、明治17年に再興されて現在にいたっている。
行基菩薩作とされる金剛界大日如来坐像は、高さが約146cmの寄せ木造りで、四国では最大級。また、脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ、これも高さ約172cmと大きく、ともに国の重要文化財に指定されている。また、大師が楠の立木に爪で彫られたという霊木は「爪彫り薬師」と呼ばれ、奥の院とされている。その楠は明治初めの大風で倒れたが、跡地に一堂を建て、霊木として安置している。この霊木は、頭、眼、鼻、耳、顔など首から上の病に霊験があらたかとされている。薬師堂の脇には、土佐名水40選にも選ばれた大師御加持...
Read more四国遍路28番札所「大日寺」は、高知県香南市野市町に建っているお寺です。 阿波の4番札所と13番札所と同名の寺で、超難所の27番札所をクリアして長距離移動したのち、そこそこ坂道を上ると、28番札所「大日寺」にたどり着く。🚶🚗 四国八十八ヶ所霊場の第28番札所である大日寺は、山号を法界山、 院号を高照院といいます。 天平年間に行基菩薩が開基したと伝えられており、その後、 弘仁6年(815)に四国を巡錫した弘法大師・空海によって 中興されました。 明治時代には、廃仏毀釈の法難を受けて一時廃寺となりましたが、 檀信徒の努力によって間もなく復興され、今日まで1200年に 亙って法灯を守り続けています。 真言密教において最も重要な仏である大日如来を本尊としています。 大日如来は、インドの言葉では マハーヴァイローチャナ(「偉大な光り輝く者」の意)といい、 摩訶毘盧遮那如来、遍照如来などとも呼ばれます。 大宇宙を身体とし、あらゆる如来、菩薩、明王、神々を生み出す 根本仏と考えられています。 大日如来には、金剛界大日如来と胎蔵大日如来の二つの姿が ありますが、大日寺の本尊は金剛界大日如来です。 「オン バザラダド...
Read more四国八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗智山派のお寺で法界山高照院大日寺といい、霊場第二十八番札所になります。 大日寺の御本尊は金剛界大日如来坐像です。 聖武天皇の勅願により行基菩薩が彫造しこれを堂宇に安置して開創されたと伝えられる、像高は約一・五メートルで檜の寄木造りで四国最大のおおきさで国の重要文化財に指定されています、脇侍の聖観世音菩薩立像は天台宗寺門派の開祖智証大師の作と伝えられ像高約一・七メートルと大きく、こちらも国の重要文化財に指定されています。 その後寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡錫された弘仁六年(815年)末世の人々の安泰を祈り楠の大木に爪で薬師如来像を彫られこれを祀って復興されたという、現在は奥之院に祀られている。 以後大日寺は隆盛を誇り七堂伽藍のほか末寺や脇坊も備わり、江戸時代の慶長年間(1596年~1615年)からは土佐藩の祈願寺となり堂宇も整備された、明治新政府の神仏分離令によって一時は廃寺となったが御本尊は「大日堂」と改称した御本堂に安置していたので救われた、再興するのは明治十七年になってからで現在に至っている。 平成九年(1997年)に再建された御本堂は釘を使わず、松と檜の木組みだけで造り屋根を反らせて平安建築...
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