石田堤史跡公園にやってきました。 こちらを訪問するにあたり、友人からアドバイスをもらい、映画『のぼうの城』を再視聴してきました。なるほど、映画を見たことでイメージの湧き具合に差が出ると思います。
石田堤松並木北側の駐車場に車を停め、石田堤を右手に見ながら石田堤史跡公園まで徒歩数分で到着します。
1590年に石田三成が忍城を水攻めした際に築いた堤跡を中心とした史跡公園です。高架下にあるシンボルモニュメントの中では、堤の構築の様子を音声で説明する仕掛けがあったり、当時の書状をパネルにしてあったり、堤の断面が見れたりと、なかなか楽しめる施設もあります。
案内板内容
県指定史跡 石田堤 昭和34年3月20日指定 この堤は、天正18年(1590年)6月、忍城水攻めのために石田三成によって築かれたことから、石田堤と呼ばれています。 天正18年3月に始まる、豊臣秀吉の関東平定に伴い、北条氏に味方する成田氏の居城である忍城は、同年6月、石田三成、大谷吉隆、長束正家らによって包囲されてしまいます。 石田三成らは、地形を見て忍城を水攻めすることにし、全長28kmに及ぶ堤をわずか一週間で作り上げたと言われています。実際には自然堤防や微高地 を巧みにつなぎ合わせたものと思われ、現在残っているこの堤も、自然堤防上に1~2m程盛土をしたものです。 こうして堤が完成し、利根川や荒川の水を引き入れたのですが、地形的に、忍城や城下町よりも下忍・堤根方面に水が溜まってしまい、遂には堤が決壊...
Read more2021/7/6 1590年豊臣秀吉の命を受けた石田三成が忍城を水攻めする為に5日間で完成させた約28キロにわたる堤の跡地です。秀吉が攻めていた小田原北条氏が先に落ちた為忍城は健闘虚しく開城しております。三成のこの水攻めは水量の不足やこの公園の北端にある現在の堀切橋地点での堤決壊もあり失敗であったと言われています。この物語は小説及び映画「のぼうの城」に描かれています。尚さきたま古墳群の中の丸墓山古墳はその時三成が陣をはった場所でそこにも一部石田堤は残存しております。さて、新幹線の南側約200mの地点に無料駐車場がありトイレもあります。そこから残存する石田堤が始まり、新幹線高架下では堤がどのように積まれたのかがわかる堤の断面が見れ、また、音声による説明が聞けます。新幹線の北側100mほどには堀切橋、更に100mほどの所に堤の成立ちを説明した看板、妙心寺さん...
Read more鴻巣市域の石田堤は、昭和50年代まで、忍川の縁から西側の変電所のあるあたりまでの数百メートルの区間が、ほぼ原形のまま残存していました。 その後上越新幹線工事でその中間部分を切り通し、その後忍川側に残っていた堤防そのものを取り崩して開設したのが現在の史跡公園です。 あのあたりに住んでいた者としては、かつての石田堤と似ても似つかない状態に開発された印象は否めず、歴史的意義に着目するにしても、もう少し堤本体を残す形で整備することができなかったのかと思います。 むしろ、クチコミ的に評価の低い行田市側の遺構の方が保存状態がよいと思います。令和の現在も昭和40〜50年代の風景とそれほど変化した感じがありません。補強を繰り返しつつも残存する堀切橋とあわせて、ちょっぴり残る昭和レトロな雰囲気に着目して行田市域の石田堤を散策してみる、という...
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