おなじ倉敷でも、新幹線が停車する新倉敷駅からタクシーでものの10分もあれば到着する神社ですが、場所がたいへんなところにあります。 海に近くて見晴らしはいいものの、仮に不謹慎な大波が押し寄せて来ても、この神社だけは助かるほどの高台の上にあります。この"高台"とゆうのがクセ者で、本殿へたどり着くには、実感傾斜40‰近い急勾配の参道を登っていく必要があります。クルマ用は直線で一気に上がれる道と、くねくねと回廊直下のトンネルをくぐって登る道の二つあります。 タクシーに言えばクルマごと登って行ってくれますが、直線勾配を上がっていきなり社殿の横っ腹が目の前にありますので、左へ参道横切って、奥の駐車場へ出ないといけません。歩いて登るときも、直線参道の両脇の階段を使います。電動チャリでもさすがにここはムリ。バイクでもムリだな(〒バイクは、根性で上がっていきますが、帰りの下りは戦慄で、ブレーキ誤ると向かいの店に突っ込みます)。授与所は本殿向かって右後方にありまして、直線勾配で入って左曲がった正面にあります。この境内駐車場の下がテナントビルになってまして、飲食店とか要塞入居していますから、門前町なのだと観念して参拝の際にお茶やお土産など求めるのがいいと思います。羽黒さまなので、天狗キャラでございまして、この神社のマスコット「はぐろん」のお守りを売っています。授与所は手慣れていて、並んでるもの言えば、パッパッと売ってくれます。帰りは対向車の有無が分からないトンネルのあるほうの参道を降りるとよいでしょう。新倉敷駅と倉敷駅は、同じ市内にありながら高梁川(羽黒神社のところの水路は、汽水の塩水で、海の船舶水道です)を挟んで全く別の文化圏を形成していて、新倉敷駅も新幹線の駅ながら、こだまタイプしか停車しないので、思っているほど利便が良いわけではありません。ですから、羽黒さまを訪ねるときは、倉敷駅からだと距離がありすぎるので、山陽線で新倉敷に異動するか、水島臨海鉄道の水島駅あたりから高梁川を渡...
Read more❶【参考 羽黒神社 玉島要覧 昭和12年】
羽黒神社 郷社
萬治元年(1658年)備中松山城主 水谷勝隆(みずのやかつたか)が当地方の開拓をするとき、旧領地常陸国下館(現・茨城県筑西市)に、出羽三山の一なる羽黒山の出羽神社を勧請して「出羽宮」と称していたのを、さらに此の地に移祀した。
寛文5年(1665年)12月勝隆の世継ぎの勝宗が社殿を改築して「羽黒大権現」と称した。 新しく一寺を建立して「清瀧寺」(せいりゅうじ)と命名し、毎年社寺料を寄進し神社の別当とした。
水谷家除封後も明治維新に至るまで、領主の祈願所となっていた。
明治3年(1870年)神仏習合が禁止により「羽黒神社」と改める。 明治5年(1872年)郷社に列する。 明治40年(1912年)神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)の指定
[鎮座地] 玉島村大字玉島羽黒山上 [祭神] タマヨリヒメのミコト(海の神の娘・商売繁盛守護の神) スサノウのミコト(防疫の神・暴風の神) オオクニヌシのミコト(出雲大社の神・国津神の首魁)胤 [例祭日] 10月14日、15日 [社寶] 羽黒神社本縁1巻(穂積重胤作・ほづみ...
Read moreA good local shrine, where a former Tamashima samurai lord is interred. There also offer the Shichigosan services for children. Be sure to pet the...
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