「長島」と言うだけあり、長良川と木曽川に挟まれた細長い島状の三角州の中に位置し、織田信長による数万人の軍勢を二度も跳ね返したほど要害堅固な城でした。 また住人たちは独立の気概に富み本願寺の指導のもと一致結束して自治を施いていて、信長により岐阜城から追われた斎藤龍興が、ここを頼って亡命してきたほどです。
長島は信長にとっては生誕の地の勝幡城から至近の距離で尾張国の一部と見なされながら、思い通りにならない非常に頭の痛い地域だったのですよ。 木曽三川による水運で栄え、川の運んできた養分で土地は肥えて実り豊かな長島を放置する事など絶対あり得ません。
なんとか支配下に置こうと2回も大軍を送りますが、あえなく撃退され第一次は氏家ト全、第二次は林通政など重臣級を失う大損害を出してしまって、面目丸潰れの結果となりました。
正規軍VS一揆軍の、今で言う「非対称戦」のためゲリラ活動に悩まされ、さらに本流や支流が入り組んだ複雑な地形なので地元側が隠れ待ち伏せをするのに最適でした。また制海権は一揆側が握っていて食料や人員の補充が自由な状態では、やむを得ないでしょう。
しかし、信長は必ず「借り」は返す男です(怖) ...
Read moreJR長島駅から徒歩で訪問、15分ほどで到着。 元々は中洲で、堆積されて出来た土地だけあり、平坦な道のり。大都市近辺の遺構あるあるで現在は学校に住宅街。織田軍12万と一揆軍10万という関ヶ原をも上回る大戦の形跡は伺えません。 小中学生が校庭で遊んでいる辺りを、柵で囲み火を放ったのか…と、平和な世の中を実感してしまいます。 入口には長島一向一揆案内板、学校内には入りませんでしたが遠方から樹齢古いクロマツを眺め、布教拠点たる長島願證寺(移転後)までは徒歩20分ほどです。どこも石碑しかありませんが長島一向一揆を偲べるものはこれくらい...
Read more寛元3年藤原道家が築いた後、長島一向一揆の本城・長島藩の居城を経て現在は、長島中部小学校・長島中学校の敷地となり、遺構の大半は失われています。東側に石垣および堀が残るくらいです。 学校の敷地内に桑名市指定天然記念物の「大松」があります。これは本丸の西南隅にあったもので、樹齢300年以上の黒松です。 建造物としては大手門が蓮生寺(長島町又木)に移築され現存しています。 小学校の横に10台分位の駐車スペースがあります。近鉄長島駅...
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