Don't miss Anyo-ji Temple in Matsumoto for cherry blossoms! A local recommendation led me to this incredible spot, and I was in awe. Enjoying matcha and dango for ¥300 in the main hall while surrounded by the stunning sakura was pure bliss. The cherry blossoms here are a breathtaking pale pink carpet. The ancient temple's peacefulness enhances the vibrant spring blooms, and the falling petals feel like cherry blossom snow. The Somei Yoshino along the approach are magnificent, and the weeping cherry trees are so graceful. It's a tranquil and rejuvenating experience. The unique blend of the old temple and the beautiful sakura creates a truly special atmosphere. Highly recommend!
【My rating criteria】 ★★★★★ I definitely want to visit again. ★★★★ I want to visit again. ★★★ Average ★★ I don't really want to visit again. ★ I never want to...
Read more安養寺由緒 浄土真宗本願寺派諏訪山梓川院安養寺の歴史は古く 寺伝に依れば 梓寺と言われ 聖徳太子御自作十六歳の御尊像を安置し 当初真言の精舎であった 建暦元年(西暦1211年) 御開山親鸞聖人が信濃国御通行の砌 当寺に止宿され 且つまた弟子の西念坊道祐を遣わして有縁の教化に当られたことから 松本平に於ける浄土真宗の有力な道場として発足した 源平の戦いに敗れ 当国仁科の城主となっていた小松内大臣重盛の長男惟盛の孫盛政は 永仁二年(西暦1294年) 祖師聖人の御跡を慕って巡錫の途上 当寺に立ち寄られた本願寺第三世覚如上人に謁し 本願念仏の教えに帰依し 城主を弟に譲り 出家して 釈了政の法名を賜った この時 覚如上人より拝領の 帰命尽十方無碍光如来 南無不可思議光如来の名号が寺宝として現存している 六代了珍は 蓮如上人の高弟として 自行化他に勤め 郡村の道俗に専修の一路を以って念仏弘通に精進した 元亀三年(西暦1573年)当寺は武田信玄から軍役免除が与えられた 九代了忍は 本願寺を敵視した織田信長との前後十一年間に亘る大阪石山の合戦に 兵糧三十四俵を献上し 門徒を率いて本山護持に努め 数々の功績を挙げた その功に依り 本願寺第十一世顕如上人から 正信偈中の四句を二幅の軸物として拝領した 江戸時代初期 安養寺一山は 正覚寺 円明寺 即現寺 了泉寺 憶念寺の五ケ寺の寺中を擁し 梓川右岸北村より中上手に至る一帯に及んでいたが 梓川の氾濫により 宝暦三年(西暦1753年)現在地に移転した 現存の山門は元禄十年(西曆1697年) 建立の鐘楼門が移築されたものである 又明治初年の廃仏毀釈に際し 松本平に於ても八十数ケ寺が焼き打ちや取り壊しの難を受けたが 当寺了照住職は松本正行寺 極楽寺 宝栄寺等の住職と共に 松本藩の廃寺政策に激しく抵抗し 松本へ駕籠で日参し 遂に松本平の真宗寺院は総てこの難から逃れることができた 前御堂は宝暦十一年(西暦1761年)楚璞珪教の代に再建された 十二間四面の堂々たる御堂は 大正十四年に銅板による屋根の葺替えが行われ 急峻にして優美な入母屋の曲面は 安養寺勾配と通称され 境内の三本杉 枝垂桜 高野槙 千代の松等と共にその威容を広く県下に誇示して来たが 昭和四十四年九月不慮の火災に因り 惜しくも烏有に帰した 爾来 忍従の星霜を経た 昭和四十八年十一月照道住職継承を機に 一流の京仏師に依る御本尊阿弥陀如来像の造顕を発願し 昭和五十一年四月には入仏慶讃法要を厳修した これが機縁となり御堂再建の機運俄に熟し 昭和五十二年三月門信徒の総意が結集され 再建に向けて一歩を踏み出した かくて仏祖の御加護と門信徒並びに有縁の人々の篤い想念に依り 募財日に日に積り 一方建設工事も着工以来一年八ケ月有余 何ら支障なく進捗をみせ 昭和五十五年七月新御堂の輪奐悉く成り 同年九月御内陣の御荘厳も整い 御遷仏法要を執行し 翌五十六年四月西本願寺前門主勝如上人の御親修のもと落成慶讚法要を厳修し今日に至る 茲に御堂が復興し 正法興隆念仏弘通の鐘の音が再び力強く十方に響き亘ることになった 今後幾久しく門信徒崇敬の聞法の道場として その使命を全うする事を念願し この碑を建立する
世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ (親鸞聖人御消息集より)...
Read more2023年は、あっという間に満開。今年は特に散り際の花舟が綺麗でした。
往古は梓寺と呼ばれて安曇の大野川にあり、真言の精舎であったとも言われる。 しかし、親鸞聖人が信濃の国をめぐった折にこの寺に止宿され、また弟子の西念坊道祐を遣わして教化に当たられてから、松本盆地における有力な浄土真宗の道場として発足したという。 1753年(宝暦3年)から1761年にかけて、河岸段丘の下の段から現在地に移転され、当時の境内面積は1町6反6畝7坪であった。江戸時代初期には5か寺の寺中(地中)を持っていたが、この移転を契機に、それまで散在していた寺中の5か寺も境内に集められた。 1969年(昭和44年)8月、12間四方の堂々たる本堂を火災のために焼失し、現在の本堂はその後に再建したものである。 かつて旧道に面していた山門は移...
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