東海道の日永の追分から伊勢神宮に繋がる伊勢参宮街道と奈良から来る奈良街道が交わる追分。
江戸時代は「お伊勢参り」が大ブームとなり、伊勢神宮は一生に一度は行ってみたいと憧れたそうです。多い時には500万人の人が訪れたそうで、当時は東海道に次ぐ交通量があり、この月本追分には数件の旅籠があり賑やかだったようです。また参勤交代もこの街道を利用されたそうなので、月本には本陣もあったそうです。
常夜灯は、寄付によって天保13年に建てられ、その後明治3年に再建されたものです。現在この地で宿を営むお店はありませんが、この大きな常夜灯が江戸時代の賑わいを...
Read more大きな石灯籠と大きな石碑。この場所は伊勢街道と奈良街道が合流する場所です。追分という言葉自体が「合流地点」を指す昔の言葉ですね。石碑には四面に「月本おいわけ、右いがご江なら道、右さんぐう道」と刻まれています。裏面の一つは、「左やまと七在所順道でしょうか。やまと七在所は今でははっきりしませんが、昔の人にはこれで通じたのでしょう。多分、江戸時代の今で言う「るるぶの伊勢神宮と一緒に回ろう」的な観光コースか何か。
月本追分から奈良街道の方向を見ると長旅を実感できます。奈良の手前、京都最南端の木津川市からだと、ここま...
Read more月本にある街道の追分は奈良街道(大和街道)と伊勢街道との分岐点です。弘化二年(1845)に喜多見(現在の世田谷区喜多見付近)の国三郎(田中国三郎)さんらの、お伊勢参りや讃岐の金比羅詣で3ヶ月に及ぶ長旅の記録(弘化二年 伊勢参宮覚 喜多見国三郎)にも、「月本 角屋清兵衛 ひるめし...
Read more