かつてこの地には、大山祗神の系統である石火族が住み、山そのものを神として崇めていました
当初は社殿を持たず、牛原山の嶺三本松が自然の祭場でしたが、時代とともに社が建立され、産業の守護神でもある彦火火出見尊を祀る「石火宮」として尊崇されるようになりました
また、この神社が「唐大明神」とも称される由来は、4世紀の新羅征伐にあります。この時、日本の人々が皇后の船を守り、長門の豊浦に留まった後、松崎へ移住し、神功皇后ゆかりの住吉三神を祀ったことに由来するとされています。
神社の創建時期は不詳ですが、鎌倉時代の建暦元年(1211年)には「松崎下宮鰹船免許状」が残っており、当時「下宮」と称されていました。また、記録には「仁科庄松崎」という名も登場し、仁科が西伊那を指すとの説もあります。
「いな」という名は、新羅から帰化した造船技術に優れた猪名部一族に由来すると考えられています。
彼らがこの地に移住し、造船に従事したことから、その集落を「猪名(いな)」と呼びました
後にこの名は「伊那」に変わり、港湾を「伊那湾」と称するようになり、その南にある当社が「伊那下神社」と呼ばれるようになりました
1760年の神号額に「伊那下神社」の名が初めて記され、1800年には秋山富南の『豆州志稿』により公称されました。その後、江川坦庵が「伊那下」の額を記したことも知られています。
【御祭神】 彦火火出見尊 ヒコホホデノミコト 住吉三柱大神 スミヨシミハシラノオオカミ 龍谷水神...
Read more伊那下神社(いなしもじんじゃ)。静岡県賀茂郡松崎町。
式内社(小)、旧郷社。
主祭神:彦火火出見尊...
Read moreなまこ壁通りを抜け、国道136号を渡った先に伊那下神社が鎮座する。 鳥居を抜けると敷地内には妖怪神仏を模った木造が至る所にあってどこか秘宝館的な趣があるばかりか、社務所には松崎の歴史遺物が収蔵され、かわいいフクロウまでいる。
社号の「伊那」とは新羅(朝鮮)の帰化人で造船技術をもった「猪名部」一族がこの松崎の地にて造船に従事したことが由来となって、「猪名」がのちに「伊那」となったとする説があるそうな。 松崎の港湾はかつては伊那湾と呼称していたそうだが、今は伊那の地名は社号に残るばかりとなっている・・・
・・・なのだが、不思議なことに遠く離れた信州の地に「伊那」という地名があるのだ。これは偶然の産物なのか? 否、実はこの猪名部一族が信州伊那に移住してきたという説があるのである。 なぜ伊豆から信州へ? 個人的な見解ながら、造船に不可欠な良質な木材を求めて信州の地に赴いたのではないか、と考える。
信州には安曇野という地域がある。その由来となった安曇族は北九州を本拠地とした海人族である。 また信州一之宮の諏訪大社といえば御柱が有名であり、その御柱の起源説のひとつに縄文から続く巨柱文化があって、北は青森の三内丸山遺跡、南は島根出雲の大社、北陸や新潟に広く分布していて、それらは日本海によって繋がれている。 海幸彦、山幸彦の伝承よろしく、古代から海と山は深い繋がりがあったのかもしれない。
この松崎からは富士の山、さらには日本アルプスの山々が眺望でき、それを見た猪名部族が造船に必用な木材を求めこの地から旅立った、そんな光景に...
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