岩宿遺跡を発見した相沢忠洋(あいざわ...
Read more改めて3.5万年前と途方もない気の遠くなる程の昔の遺跡を前に博物館内にてシャッターをバチバチ撮っていました、岩宿時代の発見者である相沢忠洋氏には感謝したいです😆🎵🎵 素人ならではの発見だったんだろな~その努力と根性に脱帽です。 拝観は9時30分~17時 拝観料は310円 画像あり 駐車場有り トイレ有り
みどり市HPより抜粋 遺跡の発見、発掘 岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内の琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置しています。 1946年、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋は、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から、石器を発見しました。相沢はその後も、何度となくその崖を調査し、赤土の中から次々に石器を見つけましたが、土器が伴うことはありませんでした。当時は、1.5万年以上前の火山灰でできた関東ローム層の時代には、ヒトが住めなかったといわれていましたが、自分が確かめた事実を信じ、1949年の夏、ついに誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を発見しました。 この発見は、いち早く東京の学者に知らされ、相沢さんと明治大学が岩宿遺跡を発掘調査をすることになりました。1949年9月11日、岩宿の丘に立った発掘調査隊は、それまで未知の地層であった関東ローム層に挑み、ついにその地層の中から石器が出土することを確認しました。その後、その年の10月、翌1950年4月にも発掘調査が行われましたが、こうした一連の岩宿遺跡の調査によって以下のことが明らかとなりました。...
Read more人類が約16000前に土器を発明する以前から、既に石器のみを使用する人々が日本で生活していた事を初めて証明し「考古学・人類学」の画期となった岩宿遺跡に建つ博物館です。それまで学会では、土器を有する新石器時代(縄文時代)になってから、日本人は列島に入ってきたと信じられていたのです。
しかし、正直言ってワタシのような石器マニア・鉱石マニア以外は「先土器」「旧石器」時代の遺跡や遺物の見学は微妙かもしれませんね...
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