禅宗の一つである黄檗宗のお寺です。 群馬県では、少林山達魔寺が黄檗宗で、こちらの住職もお手伝いに行っていたとのお話でした。
寺門に特徴があり、摩伽羅(まから)と呼ばれる怪魚が乗っています。これは、シャチホコの原型なのではと言われているようです。
【マカラ】摩竭魚とも書く。魔除けとして黄檗山総門の屋根に乗せられた想像上の動物。 鯱に似ているが鰭(ひれ)の代わりに足が生えており、インド辺りにその原型が求められ、るという。女神の乗り物として喩えられた、ガンジス川に棲息するワニだと言われている。
墓地にはここの地域のカリスマ的存在であった岡上次郎兵衛景能のお墓があります。
【岡上次郎兵衛能】(おかのぼりじろうべえかげよし)(1629?-1687)は、江戸時代前期にこの地域を治めていた代官です。岡上家は、徳川幕府開設以来の18代官の1家として、代々代官職を務める家柄でした。足尾代官を勤めた景能は、足尾銅山の銅生産の向上と輸送の効率化を図りました。 銅輸送の効率化では、大間々-平塚河岸間に最短ルートとなる、笠懸野の原野を縦断するルートを新たに設け、現在の太田市大原町に本町宿をつくりました。景能は、本町宿に水を引くため、渡良瀬川から水を引く「笠掛野御用水」の開削も行いました。この笠掛野御用水は、宿用水としてでなく、笠懸野の原野に新田を開発することも目的とされ、笠懸野には、本町村のほか久々宇村・桃頭村(笠懸町久宮)などの新田村がたくさん生まれることになりました。 このように数々の業績を上げた景能でしたが、幕府から罪を問われ切腹を命じられました。景能の墓は、国瑞寺に置かれ、景能は現在も笠懸野の住民の尊敬を集めています。 明治にいたり、景能の開削した笠懸野御用水は流路を変えて「岡登用水」とされている。
御朱...
Read moreこちらには、岡上次郎兵衛景能の墓があります。 彼は幕府代官として、原野であった笠懸野に水を引く難工事を成し遂げ、美しい水田へと姿を変えさせました。その水路は、いまでも岡上用水と呼ばれ、地元の人々のために役立っています。 ただ、新しく水を引くことは、複雑な利害関係をめぐる争いに巻き込まれることでもありました。 彼は一部の農民達に訴えられ、江戸に召喚される途中、駕籠のなかで腹を切ったと伝え...
Read more静かなお寺サンです。 この日は雪だったのですが~…境内にうさぎウサギ(?)と思われる足跡が(´ω`)♪ 書置のみの御朱印は全面に朱印が押されている、手書きのものです。 通常の他、時季による限定もあるそうです。 住職様も穏やかな優しい方でした。 本堂左手の像も一...
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