うっそうと繁る木々、まわりにたまった水、南海電車から見ることができるスケールの大きな古墳です。
草木が繁っていて、外周に沿って歩くことはできませんでした。史跡西陵古墳と書かれた碑と説明が書かれた看板の所から古墳の方に歩くと、中に入る(古墳に上陸する)ことができました。
木の橋を渡り、小高い場所まで、さながらハイキングのようでした。道の手入れがされていて、また、ロープがはられているのですごく助かりました。登っても木が繁っているので景色は良くないです。
暖かい季節は虫除けが必要だと思います。
道に案内が出ていないので、なかなか古墳に近づけませんでした。紀州街道からは、エサ・つり具つり師と看板のあるお店の前の交差点を古墳の方に曲がると良いです。
道路工事のシャベルと盛り土が碑と看板を隠しているのでだいぶわかりにくくなっています。また、工事の道を横切らないと近づけないので、工事中は近づけないかもしれません。
*
2019年5月3日、淡輪駅で降りてみさき公園駅まで、歩いて岬町の淡輪古墳巡りをしてみました。
案内の看板がたっているのはまだましで、太陽光発電のソーラーパネルに変わっていたり、工事車両や資材置き場になっていたり、燦々たるありさまでした。全般的に手入れがほとんどされておらず、古墳が町に大切にされていないのがよくわかりました。
宇土墓古墳…○ 淡輪遺跡…畑 鴻ノ巣古墳…民家 西小山陵古墳…太陽光発電 西陵古墳…○ 真鍋山古...
Read more形状は前方後円墳。淡輪古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。名称は「西二山在古墳(にしにさんざいこふん)」とも。 淡輪古墳群では最大、全国では第28位の規模の古墳で、5世紀前半頃の築造とされる。
大阪府の最南端、大阪湾に面した台地上に位置する巨大前方後円墳である。800メートルほど東にある淡輪ニサンザイ古墳(五十瓊敷入彦命墓、墳丘長170メートル)、および淡輪ニサンザイ・西陵の中間にあった西小山古墳(円墳、非現存)などとともに淡輪古墳群を形成する。別称の「二山在(にさんざい)」は「ミササギ(陵)」の転訛。
丘陵末端を利用して築造された前方後円墳で、前方部を北東方に向ける。墳丘は3段築成で、墳丘長は約210メートルを測る。外部施設として、墳丘西側のくびれ部には方形の造出が設けられたほか、墳丘表面は葺石で覆われ、加えて円筒埴輪・朝顔形埴輪や、蓋形・盾形・短甲形・ 家形埴輪といった器材埴輪が並べられていた。墳丘周囲には幅15-35メートルの周濠が巡らされているが、周濠の元々の形は明らかでない。 また周濠外側には陪塚3基の存在が知られる(うち1基は消滅)。
古墳の西側は外周から繋がっており...
Read moreOff the beaten path for ancient keyhole tombstone. Have poisonous snakes on path so must wear boots when hiking this...
Read more