昭和27年完成の小和沢橋。2020年時点で橋齢68年目を迎える。眼下は目も眩む様な高さだが、昔は八百津から対岸の御嵩町・小和沢地区や大久後地区へ行くには、この小和沢橋を渡って曲路の峠か、左岸ダム湖沿いの崖道(大久後隧道はこの道のバイパス)を通るルートしかなかった時代は結構な人の往来があったのではないかと勝手に想像します。
各地で古い吊り橋は撤去が進み、この小和沢橋、上流部にある深沢峡・五月橋、旧旅足橋も、水没(丸山ダム堰堤嵩上げ工事のため)や撤去の運命にあります。これらは昭和27~29年完成なので、美濃市の旧美濃橋(大正五年)に比較すれば橋齢は新しいのですが、構造物の運命は人間の都合で決まるもの。○○遺産とかに指定されない限り、老朽化などで役目を終えるのは「自明の理」なわけです。
今から5~6年前ですが、八百津町潮南地区(昔は潮南村)から対岸の瑞浪市日吉町へ嫁いだ、御年86歳のオバちゃんの話に拠れば、丸山ダムが無い頃は、潮南地区から徒歩で山道を降りて、昔の「初代・旅足橋」を渡り八百津の街まで買い物に出たそうです(約8km~10km)当時、初代・旅足橋の傍には「八百津発電所の水路橋」が平行して通っていたそうです。
また、瑞浪市日吉町に嫁いでからは、実家の潮南に帰る際、五月橋を渡ったそうです。当時は小和沢橋と共に完成直後のピカピカ。今では想像もつきませんがね。
この話は丸山ダムが完成する昭和31年より以前の話。オバちゃんの証言から昭和20年代までの世界が見えて来ます。
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