◆『新井城跡』は、「小網代(こあじろ)湾」と「油壺湾」に挟まれた「網代崎(あじろさき)」だけでなく、小網代地区の内陸をも網羅する広大な敷地を『新井城址』としています。「小網代城」と呼ばれることもあり、新井城の遺構は、東大実験所の敷地にあります。
兄【三浦道寸義同(どうすんよしあつ)】 弟【三浦道香義教(どうこうよしのり)】 道寸の子【三浦荒次郎義意(よしおき)】
●1512年、北条早雲の攻撃により、相模中部の「岡崎城」と道香が居城とする逗子小坪の「住吉城」が落城。道香は逗子地名発祥の地「延命寺」にて自刃。道寸は「新井城」に逃れる。 ●1516年、北条軍に敗れ、道寸義同・義意父子討ち死に。相模三浦氏は滅亡。 ※辺りの海は、三浦一族の血で、壺の中の油のように真っ黒に染まったといいます。
①道寸義同の墓、義意の墓、新井城碑は、「胴網海岸」の近くに、道香の墓は、逗子駅の近く延命寺にあります。 ②「住吉城跡」は私有地のため入れず、住吉城の鎮守である「住吉神社」には行くことができます。「小坪飯島公園プール」の北側に設置されている“正覚寺の案内看板”横の階段を上がり、突き当りの本堂の右手を通り、さらに階段を上がると住吉神社があります。 ③「新井城址」と「油壺湾」の解説板は、「荒井浜海岸」へと繋がる遊歩道の途中にあります。 ④「引橋(ひきばし)」の解説板は、県道26号〈引橋バス停〉と〈松輪入口バス停〉の間にあります。※白秋文学コース・ひきはし。 ⑤「三崎城跡」の解説板と「三崎城碑」は、三浦市役所の東、三浦市図書...
Read moreI came to visit this historic site of the Miura‘s family,because of the drama “the 13 lords of Kamakura shongonate”. But it was sealed up!?The beach and sea are...
Read more室町時代後期の関東の覇者、扇谷上杉家の家臣、三浦氏の城です。三浦市は相模や三浦半島に勢力をはった大名で、主要な城は、岡崎城(伊勢原市)、住吉城(鎌倉市)、などの城があります。新井城もその一つです。戦国時代初期、足利氏(室町幕府)家臣で、今川氏の客将・北条早雲(伊勢宗瑞・初名、盛時または長氏)に攻められ、岡崎城、住吉城を落とされ、三浦氏当主・三浦道寸(義同)、義意父子はここ・新井城に立て籠もりました。しかし敗北。道寸、義意は討たれてしまい、三浦氏は滅亡しました。その時に血が油のように流れたことから油壺という地名ができたとか…なんとも生々しい…………… 現在は一部が東大の研究所になってるので少ししか見ることができませんが空掘や土塁が残っています。また、地形的に見ると、新井城は海に突き出た小さい半島に位置し、絶壁に囲まれているので難攻不落の城といえます。また、油壺マリンパークの横に...
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