「小村寿太郎像」小村寿太郎は幕末の飫肥城下、飫肥藩士の長男。藩校振徳堂で学び貢進生として大学南校に進む。明治8(1875)年に文部省第1回留学生に選ばれてハーバード大学に入学。帰国後、司法省に出仕し、大審院判事を経て21年外務省翻訳局長となる。日清戦争では政務局長。その後、外務次官、駐米、駐露、駐清公使を歴任。34年には第1次桂内閣の外相となり、日英同盟に調印。 明治37(1904)年に日露戦争がはじまり、日本が苦戦をしながらも、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの仲介により、アメリカのポーツマス市で講話のための話し合いにはいることになった。我国の財政はこの戦争のために逼迫しており、また、ロシアでは国内で革命運動が起こるなど両国ともこれ以上、戦争を続けることはむずかしい状況だった。日本の全権大使が小村、ロシアの全権大使がウイッテ、明治38(1905)年8月5日の第1回の会談から、9月5日の日露講話条約の調印まで、ねばり強く交渉にあたった。日本の国民が戦争に勝利したとして、戦勝国としての見返りを期待していたのに対し、ロシアには敗戦国としての認識はなく、小村寿太郎は戦争終結のため、あらゆる外交努力を重ねて、困難を克服し、条...
Read moreSo peaceful.
A peaceful park with large lawns and large trees. If you visit the Prefectural Art Museum, I recommend stopping by and taking a walk in...
Read more「宮崎市:宮崎県総合文化公園」 2017年の出張時に立ち寄りました。広い敷地と豊かな緑があって快適でした。総合文化公園は、宮崎大学農学部跡地に県民文化の拠点づくりを目指して2つの広場と3つの文化施設とを一体的に整備した緑豊かな文化の香り高い公園として作られたそうです。
東西450メートル、南北370メートルの長方形の敷地を二つに分け、東側に図書館・美術館・芸術劇場の3つの文化施設と文化広場を、西側に県民広場を配置しています。
文化広場は石畳を中心に構成され、彫刻や噴水を配置し、各施設の建築美が調和した落ち着いた雰囲気となっています。
県民広場はどこからも人の出入りが自由にでき、芝生を中心とした広い空間に緑陰となる樹木を配置し、レクリエーションを楽しむ場など、多様なニーズに応じた広場...
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