岩手県から初めて総理大臣になった原敬の軌跡を訪ねる事が出来る施設です。原敬は勲章や爵位を薩長藩閥政府の単なるこけおどしと見下し、勲章も爵位も拒み総理大臣となったことから平民宰相と呼ばれました。明治維新は欧米列強の干渉をはね除け日本という国民国家を成立させたという意味で確かに意義あるものと思います。しかしその過程で徳川幕府への節義を通し義理に殉じた東北諸藩が維新政府に置き去りにされたこともまた歴史のひとつの真実と思います。原敬は南部藩の家老を務める家系に生まれ維新で朝敵の汚名を被った郷里 南部藩と東北の雪辱を晴らすために努めました。身長は約168センチ、堂々とした体躯と風貌はさすがに侍の裔(すえ)であることを伺わせます。皇太子時代の昭和天皇の欧州旅行を反対を押して実現し天皇の視野を広げるなど未来志向で開明的な判断をしていたことなども知ることが出来ました(昭和天皇はこの外遊でヨーロッパのデモクラシーを肌で感じ、第一次世界大戦の戦跡を見学して近代戦争の破壊力と悲惨さを学んだとされています)。その一方『白河以北...
Read more2023/12/1朝 原敬記念館 訪問
学生時代から気になっていた政治家、原敬。
対米戦争突入前に日本が最後の輝きを放った時代はテロリストによる暗殺で幕を閉じた。
再び総力戦の時代に、暗黒時代が到来するのではないか、ここ数年そんな焦りにも似た思いが去来する。
平和な時代にしか出来ない旅や学びがある。
盛岡藩士だった原家から明治初期に分立した際、平民となったこと、叙爵辞退も興味深い。今回初めて知ったのは、カトリックに受洗していたこと、菩提寺が黄檗宗であること。 副社長も務めた古河鉱業が45億円も寄付し北大、東北大、九大に大きな貢献があった(足尾鉱毒の贖罪ということもある)。北大の古河記念講堂はなるほど合点がいった。
江戸時代の原家の歴史も興味深い。
原敬忌は103回を数える。 達増岩手県知事によると、総理経験者の追悼会が毎年一回出身地で開かれているのは...
Read more今回は3回目で、企画展を見ることが出来ました。 歴史が得意とは言えないので、毎回学芸員さんに解説していただいています。 なので、とても理解しやすく、面白さがとても増しました。 原敬記念館を訪れたことで盛岡の魅力が倍増です。 意外に地元の人が訪れるのが少なそうで、おそらく小学生の時に社会科見学等で訪れたきりになっているのかも。もったいないです。 そして、今の政治家に見て欲しい、そんな気持ちになりました。 本当に素晴らしかった。 また企...
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