沖津宮遥拝所は大島の北側、概ね波止場の反対側にある。天気が良いと沖の島を拝める。 沖津宮が坐す沖の島には基本的に渡れないので、ここから遙拝する訳だ。女性は島に入れないのを問題視する向きもあるらしいが、男性でも早々入れはしない。元来、神域とはそういうものだ。
宗像大社が、沖津宮・中津宮・辺津宮の三宮から成り、それぞれに宗像三女神を祀ることは天下周知。であるのに、記紀に於てすら分担ははっきりしない。
古事記: 多紀理毘賣命は、胸形の奧津宮に坐す。市寸嶋比賣命は、胸形の中津宮に坐す。田寸津比賣命は、胸形の邊津宮に坐す。此三柱神は、胸形君等の以ちいつく三前大神者也。
古事記にあっては「此神名以音」と註釈され、当て字に過ぎないことを強調している。更に後段で
…大國主神、胸形奧津宮に坐す神なる多紀理毘賣命を娶り生める子。阿遲(二字以音)鉏高日子根神、次に妹なる高比賣命、亦の名は下光比賣命。此の阿遲鉏高日子根神は、今に謂ふ迦毛大御神のこと也。
とダメ押しをしていて、これだとどう読んでも沖津宮祭神=多紀理毘賣命な上、日本書紀の一書では「汝三神、宜しく道中降り居し、天孫助け奉りて天孫祭る所と爲せ」と天照大神に命じられたにも関わらず、天孫を助けるのでなく出雲の親玉に寝盗られたか、大國主神が天孫だったのかという、中々有り得ない話になってしまう。まあ実際は朝廷に取っても、出雲との繋がりこそが重要だったに違いないのだが。
日本書紀本文:(順序のみ)田心姬→湍津姬→市杵嶋姬 日本書紀一書:(順序のみ)瀛津嶋姬→湍津姬→田心姬 日本書紀一書:市杵嶋姬命、是は遠瀛に居す者也。…田心姬命、是は中瀛に居す者也。…湍津姬命、是は海濱に居す者也。 日本書紀一書:瀛津嶋姬命/市杵嶋姬命→湍津姬命→田霧姬命
「瀛」=「海」なのだが、「沖」と読み替えてもおり、燈籠にも「瀛津宮」と彫ってある。一般的に田心姫の御座所とされる沖津宮には、古事記に拠れば多紀理毘賣命、異説では市杵嶋姬が坐したことになる。ひょっとしたら市杵島=壱岐島ということかも。 このことについては、貝原篤信(益軒)撰ぶ『筑前国続風土記』も「…今更何れを是とし、いずれを非とすべからず。然らば三神の鎮座、各いづれの時と決定しがたし」と放り出していて当てにならない。
もう一箇所、古事記には気になる記事がある。
其の菟、…痛苦が故に泣伏せるを、最後の來たりし大穴牟遲神、其の菟見そなはし言く「何が由に、汝は泣伏すや。」 菟の答して言く「僕は淤岐嶋に在し、此地に度(わた)らむを欲すと雖も、度る因無し。故、海のワニ欺き、『吾と汝が競ひ、族の多小を計らむと欲す。故に汝は、其の族在るをまにまに悉く率き來たり、此の嶋より氣多前に至るまで、皆列び伏し度れ。しからば吾は其の上蹈み、走り乍ら讀み度らむ。是に於て吾と族の孰れか多きを知らむ。』 此くの如く言はば、欺かれて列べ伏す之時、吾其の上蹈み、讀み度り來て、今將に地に下らむ時、吾云ふ『汝は我に欺かれたり。』言ひ竟るや、卽ち最端に伏せるワニ、我を捕らへ悉く我が衣服を剥ぎき。 因て此に泣き患へれば、先に行かせし八十神之命以て、誨へて告く『海鹽浴び、風に當たり伏せ。』故、教への如く爲さば、我身悉く傷つく。」
ご存知「稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)」であるが、この菟神が冒頭「僕は淤岐嶋(おきのしま)に在し」というのは、隠岐島でなく沖の島だったかも知れない。古事記に於ける隠岐島は「隱伎の三子嶋、亦の名は天の忍コロ別」と記され、区別されているから。 失われた筑前國風土記に、その辺の話があったかも知れないのに。逸文集『西海道風土記』に曰く。
「宗像の大神、天より降りまして、崎門山に居ましし時。青䋅(に)の玉を以ちて沖宮(おきつみや)の表に置き、八尺䋅の紫玉を以ちて中宮の表に置き、八咫の鏡を以ちて邊宮の表に置き、此の三つの表を以ちて、神體の形と成して、三つの宮に納め置きたまひて、卽て隱りましき。因りて身形の郡と曰ひき。 ○ 一は云く、天神の子四柱あり。兄三柱の神、弟大海命に教へて曰はく、汝命は、吾等三柱の御身の像として、此の地に居るべし、と。便ち一前(ひとはしら)は奥宮に居し、一前は海中に居し、一前は深田村の高尾山の邊に居す。故號て身像郡と曰う。云々 後の人、改めて宗像と曰う。其の大海命の子孫は、今の宗...
Read more20年ほど前、益田勝実「秘儀の島」を読んで驚いた。沖ノ島に千数百年前の古代祭祀の跡が「そのまま」今にのこされていた、というのだ。ずっと関心を持っていたが、沖ノ島に渡るには制約がある。やむをえず、宗像大島の遥拝所に行くことにした。しばらく前のことだ。神湊から船に乗る。外洋に出るにつれ、わくわくする。長年夢見た沖ノ島への海上の道を大島までとはいえ、古代人と同様たどっているのだ。
宗像大島は植生が佐渡などとはちがって、沖縄や奄美に近い感じがする。黒潮から対馬海流へと北上する暖流の影響だ。おれはどこにいるのかとめまいがするようだ。
船着場から歩く。意外に山が深い。峠をこえると道沿いに棚田がある。田を見るのはなんだかうれしい。イネは黒潮に乗ってやってきたのか朝鮮半島経由なのか議論はあるが、いずれにしてもイネ栽培によってわが日本人は「食」を充実させながら人口を増やしてきた。うきうきしながら下ると、すぐに海に出た。その片隅に立っているのが沖津宮遥拝所。ああ、この玄界灘の先に沖津宮があるのか、大和から遠く離れた沖ノ島島で大王(天皇)のために祭祀がおこなわれたのはいったいなぜなのか。しばし立ちすくんだ。
海は青く、広く、国と国をつなぐ。いったいわれわれはどこ...
Read more宗像大社と言うと陸地にある一番大きな大社の事だと思ってる方が多いと思いますが、三社合わせて宗像大社です。陸地に鎮座してるのは辺津宮で 三女の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)をお祀りしております。 ここから約70キロ玄界灘のほぼ中央に佇む沖ノ島の中に宗像大社沖津宮は鎮座しております。長女の田心姫神(たごりひめのかみ)をお祀りしております。 この沖ノ島すべてが御神体で隣接している海の海水も含めてとても神聖なものとされております。沖ノ島では3つの禁忌が存在します。 冬でも海に裸で浸かって「禊」をしてから上陸。 「一木一草一石」たりとも島外に持ち出してはならぬ。江戸時代に持ち出した者に祟りがありました。写真もアウトです! 昔から漁師さんの中でしたらイカンて言われることばしたら「不言様」(おいわずさま)の祟りとかバチが当たるて、子どもン時からよう言われよったろーが。島で見たり聞いたりした事を言ってはいけません。 遥拝所から冬の晴れて空気が綺麗な時は奇跡的に沖ノ島が見...
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