延長5年(927)に完成した『延喜式神名帳』に記載されてる神社です。 天正2年(1574)に上杉謙信の庇護を受けて鮫ケ尾城の鬼門鎮守として現在地にやってきたといわれてます。 天正7年(1579)3月24日、謙信死後の上杉家後継者争いの紛争である『御館の乱』で上杉三郎景虎(謙信の養子で北条氏康の6男)が景勝(謙信の養子で甥)に敗れて鮫ケ尾城で自害したときに同城も落城しました。この神社も兵火にかかり焼け落ちました。その後も明暦2年(1656)と明治33年(1900)に火災にあってます。 祭神は大国主命・事代主命・建御名方命です。 この周辺には鮫ケ尾城跡の他、観音平古墳群、天神堂古墳群等があり古代の豪族たちがこの神社を奉...
Read more職場が近いので安全と健康祈願に年に数回くる。 この地域の神社はここしか知らなかったのでその話を社務所でした所、ここはここら一帯の長?のような神社なのでここでお参りすれば大丈夫とのこと。以来いつもここで祈願している。
御朱印を書かれる方はとてもお元気だがかなりのご高齢。足もお悪い。少し気持ちの余裕を持って訪ねるのがいいと思う。神社は杉っ葉が多く道に落ちているが管理の方がご高齢というのを参拝者は念頭に置いていただければと思う。
道路や通路は苔があり石畳なので雨の日は滑らないよう...
Read more大国主命 積羽八重事代主命 建御名方命 延喜式内 比定社 ...
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