消防署の裏で、カフェ「ランプ」の隣に石碑が建っています。夏は草ボーボーで石碑が隠れてしまったので、冬に撮り直しました。
長久手合戦 天正12年(1584年)4月9日午前9時半頃から徳川家康・織田信雄の両軍と羽柴(後の豊臣)秀吉方の池田勝入(恒興)・森長可の両軍により、現在の仏が根付近で3時間余りに繰り広げられた戦いである。 徳川軍に押すに押されて、池田・森軍は最終的に現在の長久手小学校付近の中島、溝添、中縄手まで敗走した。 池田・森軍が最後を迎えた場所である長久手小学校の裏手当たりの東西数百メートル余りの池に、合戦で戦死者を埋葬した小高い丘が作られた。 この塚が後に草塚となり、『尾張名所図会』には「百八塚」として、石作神社の南側に多くの塚が有ったと書かれている。 合戦にあたり、徳川家康が戦いに勝利した際には、敵側の片耳を削ぎ取り、持参させて、後日勲功の証とせよと指示した。その削ぎ取られた討死者の耳を埋めて供養した塚が耳塚であるとの言い伝え...
Read more2022年2月下旬に小牧・長久手の戦い関連史跡巡りで初めて行きました。
車道からでは見つかりません。
徳川家康が合戦に際して戦いに勝利した時には「敵方の首・片耳をそぎ取り持参して、後日勲功の証とせよ」と指令した、討死者は耳をそぎ落とされたと言われていますが、何時、誰が、どうして建立したかは全く不明で、長久手合戦にちなんだ史跡なのか、どうかも確証はありません。
古来よりこの耳塚に祈願すれば耳の悪い人は平癒すると言われているとのこと
首塚や古戦場公園の距離からすると言い伝...
Read more長久手の戦いに因む史跡といわれていますが詳細は不明(他方、はっきり長久手の戦いに因む史跡である「首塚」の方は国指定文化財とされています)。 昭和3年の地震で崩れてしまったようで、修復により岩同士がしっかりコンクリートで固められています。 手前の岩に盛られている花崗岩のような白い石は耳の山を示しているようで、少々不気味。
耳の悪い方が祈れば平癒するとの言い伝えもあるようです。 喫茶店らんぷの裏側にあります。喫茶店に立ち寄った際郷里の史跡に足を伸ばして...
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