宿駅本陣の主屋(居室棟)は、明治の変革での解体を免れ、旧和田村役場や農協事務所などとして利用されるようになりました。1984年の村役場移転改築にともなって解体される計画でしたが、歴史的・文化財的な価値を認められて、1989年に現在の位置で本陣主屋として復元されました。 一方、参覲旅中の大名や公家などが宿泊した「お泊り処」ないし御殿と呼ばれた座敷棟は解体され、主要な結構を変えないという条件で、丸子(旧依田村)の龍顔寺に移築再建されました。 現存の本陣主屋は、1861年の大火の後に再建されたもので、それ以前の建築とは少し異なるようです。 そして本陣の敷地も江戸時代の半分ほどに小さくなっています。現在、本陣の南脇を通る県道178号を含めて15メートルほど南まで、本陣の敷地だったのです。そこに座敷棟(御殿)がありました。 したがって、その間口の広大な敷地に、街道と並行して南北に居住棟と座敷棟が並んでいたわけです。 主屋は本陣の家族と使用人が生活し、また貴人の宿泊・休憩のためのサーヴィスを準備するための建物です。 それでも宿場町の最高位の役職者が暮らし、町の行政運営を指揮する官舎でもあるので、重厚で手をか...
Read more中山道の和田宿は現役のころ、車道沿いをひっきりなしに、通っていました。しかし、忙しさに紛れて名前の記憶の場所でした。驚いたのは郷土の歴史資源をしつかり保存して活用なさっていることです。皇女篤姫の江戸のくだる様子も当時の朝廷と幕府の力関係を彷彿させます。その資源を中心に古代へ帰れば、黒曜石の資料館、その石を今に活かしたパラサイト工業まで、私にとっては良い場所に伺いました。そこで足を伸ばし長和町の資料館や国道沿いの稲荷神社へ。稲荷神社では立川、ニ代冨昌の素木造りの彫物など堪能させていただきました。相撲の高台の土俵など、初めてお目にかかりうれしかった。 お礼の代わりに、私が見つけた心霊スポットをご紹介しますね。大きな奇岩があり、いしの右端が亀の頭がのぞき、岩の前には衣装を纏った地蔵(菩薩ならより神秘的)か、みぎから斜め後方に白髪を漂わせた頭蓋骨が観え...
Read more全国でも残され公開されている本陣は、9軒に過ぎずそれだけでも大変貴重なのですが、さらに、ここの本陣には他にはない際立った面白い特徴があるのです。
本陣はもともと、高級武士・大名が泊まる専用の場所で、一般の旅客は対象とはしていません。その性格上、身分に合わせた上座が設けてあるのですが、困ったことにこの和田宿本陣に大名の身分のはるか上をいく、とんでもなく高貴な人が泊まることになってしまったのです。 はい、言わずと知れた幕末の悲劇のヒロイン皇女和宮ですね。もちろん今までの上座じゃ全然足りないので、そのために上座の上座を造りました(笑)。この本陣の最大の見所なので、是...
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