氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)。名古屋市緑区大高町字火上山。
式内社(小)、熱田神宮の境外摂社。
主祭神:宮簀媛命(みやすひめのみこと/みやずひめのみこと)
日本書紀』では「宮簀媛」の表記で尾張氏の女(むすめ)、『古事記』では「美夜受比売」の表記で尾張国造の祖、『尾張国風土記』逸文では「宮酢媛命」の表記で尾張連らの遠祖とする。『日本書紀』と『尾張国風土記』逸文には日本武尊(第12代景行天皇皇子)が娶るとある一方、『古事記』では許嫁とされながらも結婚までには至らずにいる。 『尾張国熱田太神宮縁記』は宮簀媛命を建稲種公(建稲種命(たけいなだねのみこと))の妹とする。同書(群書類従本)はこれをそのまま『先代旧事本紀』巻五『天孫本紀』の系譜に当てはめ、天火明命11世孫で尾張国造の乎止与命(おとよのみこと)を兄妹の父、尾張大印岐(おおいにき)の女の真敷刀俾命(ましきとべのみこと)を兄妹の母としている。 とあります。
資料によると、 「火上山」と称される丘陵上に鎮座し、熱田神宮の創祀以前に草薙剣(三種の神器の1つ)が奉斎された地といわれる。
社名の「氷上姉子」に関しては、『尾張国熱田太神宮縁記』(熱田宮縁記)においてヤマトタケルがミヤズヒメを想って詠んだとする歌が知られる(愛知潟 氷上姉子は 吾来むと 床避るらむや あはれ姉子を)。 『熱田宮縁記』の時点(鎌倉時代初期頃)では「氷上姉子」はミヤズヒメと同一人物とされており、現在においても氷上姉子神社では祭神をミヤズヒメとし、当地の氷上山がミヤズヒメの館跡であるとしている。しかし『新修名古屋市史』では、この歌は本来8世紀頃に尾張南部に伝わっていた民謡であるとし、ヤマトタケル伝説とは無関係であったと指摘している。この「氷上姉子」の原義は必ずしも詳らかでないが、『新修名古屋市史』では氷上の女性神官を指した語としたうえで、これが神格化されて祭神に転化し、さらに尾張氏の手のもとでミヤズヒメと習合してヤマトタケル伝説に組み込まれたと推測している。 なお、『延喜式』神名帳では社名が「火上姉子神社」と見えており、社伝ではもと当地の地名は「火高火上(ほだかひかみ)」であったが、火災を忌んで現在の「大高氷上」に改めたとする。しかし上代特殊仮名遣において「火」は乙類に属するのに対して、「氷」は甲類、「比加彌阿禰古」の「比」も甲類に属することから、実際には元から「氷」で平安時代以降に「氷」と「火」の表記が混ざったと見られている。特にこの「氷上」を本来「日上」であると見て、氷上姉子神社の原始祭祀を日神信仰とする説もある。
熱田神宮の縁起である『尾張国熱田太神宮縁記』(鎌倉時代初期頃の成立)の伝承によれば、日本武尊は東征の途中で尾張国愛智郡氷上邑にある建稲種公の館に寄り、建稲種公の妹の宮酢媛(宮簀媛)を知って契りを結んだ。建稲種公は日本武尊の東征に従い、日本武尊とは別の道を行ったが帰途で亡くなったため、それを知った日本武尊は宮酢媛のもとへ急いで向かい、そこにしばらく留まった。その後、日本武尊は神剣を宮酢媛のもとに置いて大和へと出発したが、伊吹山で病にかかり、ついに伊勢国能褒野で亡くなった。宮酢媛はその後も神剣を守っていたが、年老いたため祠に祀ることとし、占地して社地を定め熱田社と名付けたという(熱田神宮の創祀)。また宮酢媛が亡くなった時には祠が建てられたが、これが尾張国愛智郡氷上邑にある氷上姉子天神であるという。氷上姉子神社の社伝ではより具体的に、仲哀天皇4年に宮酢媛の館跡(現在の元宮の地)に宮簀媛命の神霊を祀ったのが氷上姉子神社の創祀になるとし、その後持統天皇4年(690年)に東方の現社地に遷座し...
Read more祭神は日本武尊と契りを結んだ宮簀媛命です。 日本武尊は東征の途中、尾張国愛智郡氷上邑の建稲種(たけいなだね)の館に寄り、その妹の宮簀媛と契りを結びました。
建稲種は日本武尊の東征に従い、日本武尊とは別の道を進みましたが、帰途で亡くなりました。日本武尊は宮酢媛のもとへ急いで向かい、そこにしばらく留まり、その後、日本武尊は神剣を宮簀媛のもとに置いて大和へと出発。伊吹山で病にかかり、伊勢国能褒野で亡くなりました。
宮簀媛はその後も神剣を守っていましたが、老いのため祠に神剣を祀ることとし、社地を定めて熱田社と名付けたといわれます。
また宮簀媛が亡くなった時には建てられた祠は尾張国愛智郡氷上邑にある氷上姉子天神であるとされ、第14代仲哀天皇4年に宮簀媛の館跡にその神霊を祀ったのが氷上姉子神社の創祀とされています。宮簀媛の館跡は元宮とされ、その後、第41代持統天皇4年(690)に東方の現社地に遷座しました。
二人の初めての出会いは尾張の「布曝女町(そぶくめまち)」と言われています。日本武尊が東征の際に当地を通りかかると、美しい女性が1人で川辺で布を晒していたといいます。この女性が宮簀媛です。
声を掛けられ、氷上の里への道を聞かれた宮簀媛でしたが、耳が聞こえない振りをして無視をしたといわれます。
「布曝女」は宮簀媛が裁縫をした場所、または宮簀媛が布をさらした場所というのが由来となっています。また、日本武尊の東征の最中、宮簀媛は門戸を閉じて、誰の声も聞かずに、日本武尊の帰りを祈願...
Read more氷上姉子(ひかみあねご)神社は名古屋市緑区にある神社。創建は西暦195年(仲哀天皇4年)と言われている古刹。熱田神宮の元宮と言われている神社で、現在は熱田神宮の境外摂社です。氷上姉子神社のすぐ近くには、この神社の元宮があります。氷上姉子神社の元宮は現在、熱田神宮の境外末社となっていますが、この元宮に三種の神器のうちの一つ、草薙の御劔(くさなぎのみつるぎ)をヤマトタケルが預けたと言われています。主祭神の宮簀媛命(みやずひめのみこと)はヤマトタケルの奥さんです。ここが熱田神宮の始まりの神社なんですね。もっともっと有名になっても良いと思うのですが、そこまで知られていない神社ですよね。名前に氷上が付くことから、スケート選手なんかが参拝に訪れるそうです。伊藤みどりさんや浅田真央さん等、地元出身の選手も参拝しているようです。愛知と三重を結ぶ大動脈である、交通量の多い国道23号線から一本入った閑静な場所にあります。参拝していても、そんな場所にあるとは思えない程静かです。この辺りには元宮を始めとして、複数の熱田神宮の境外摂社、境外末社がありますが、氷上姉子神社の駐車場に停めれば全部回れます。駐車...
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