7世紀初頭に築造された直径約17メートル高さ3.5メートルの円墳。名古屋市内で貴重な完全に石組が残っている横穴式石室。2014年10月16日国指定史跡(志段味古墳群:東谷山から龍泉寺にかけての周辺・尾張旭市・瀬戸市を含めた庄内川両岸の河岸段丘4〜7世紀にかけての築造と考えられており、名古屋市内の6割が守山区にあるといわれている。)石室の長さ9.8メートル最大幅1.6メートルの平面徳利形の両袖式横穴石室。玄室天井石は、幅約1.5メートルの石が4枚組み合わされ側壁は5段の石組でできている。
因みに、かつては熱田神宮に次ぐ大社があったと伝えられる東谷山山頂に鎮座する尾張戸神社(尾張戸神社古墳)は、熱田神宮の奥宮と言われ第13代成務天皇5年に宮簀媛命(日本武尊妃)の勧請によって創建されたという。祭神は、尾張氏の遠祖とされる神々であり天火明命・天香語山命(熊野高倉下命)・建稲種命(天火明命十二世孫・宮簀媛兄)のうち天香語山命(高倉下命という名前は、天降り以後の名であり高い倉の主の意)は、庄内川対岸の高蔵寺山に降り立ち後に東谷山に移ったといい、この際に白鹿に乗って川を渡ったと言いその地に架かる「鹿乗橋」に伝承の名残りを残している。
また、尾張氏の大和での本拠地は、高尾張とされ現在の奈良県西部葛城市の高台。(葛城山麓:江戸時代初め頃迄、高天原であると考えられていた地。)
神名語源辞典では、尾張の尾は丘、張は墾(はる・コン)で開墾した所。
天香語山命(熊野高倉下=高蔵寺)は、天孫降臨に供奉して下りのち紀伊国熊野に住み神武天皇の大和入国に功績をたてのち天皇の勅を受け越後国三島郡野積浜に上陸して弥彦山東麓に来り当地方を開拓、やがて東海地方に移り尾張国の基礎を造るとされる。
また、奈良県天理市にある同時期の古墳白鳥塚古墳・崇神天皇陵(242メートル)と白鳥塚古墳(115メートル)は大きさは違うが形はほぼ同じことで有名。古墳被葬者は、大和政権と密接な関...
Read moreA smallish tumulus along the side of the road, close to the road that leads up to several of the oldest tumuli in the region. A nice walk that takes you out the a city environment and a snapshot of ancient Japan. Well worth an...
Read more高蔵寺方面から瀬戸市に向かう途中国道155号線を自転車で走っているとなんかあったのでよってみました。この辺りは古墳群がどうので古墳がいっぱいあるのは知っていました。いくつか立ち寄ったこともありますが土が少し盛り上がっているだけのようなものもあるので期待してませんでした。 しかしこの古墳はその中でも結構見ごたえがあると思います。
スロープ状の入り口から入りました。 土地の規模は大きくはない小さな公園程度のものですがこんもり土が盛ってありいかにも何かありますといった様子。 高さは3mはあると思います。なんとなく反対にまわってみると鉄の柵で扉のようなものがこしらえてあり異様な感じ。 中を覗いてみるとライトアップされ石室がしっかりとした状態で残っているのがみられます。扉の横にあるスイッチを押すと古墳の説明ナレーションが流れます。石をつんで部屋が作られておりまさに日本の小さなピラミッドだ!と思いしばらく覗いて見ていました
通りすがりに見ただけで詳しく確認してはいませんが駐車場はすぐ近くには無かったと思います。近所にある小さな公園といった大きさです。
見られる物はこの一点で期待して見に行くと大したことないものかもしれませんが、通りがかりに見つけたのですごくスゴイ物に出くわした感覚でした。 すご...
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