中世の北信濃国衆、高梨氏の館趾。国指定史跡なので土塁や空堀、屋敷跡等はキレイに整備されており見応えがある。臨戦態勢ゴリゴリの戦国館趾かと思いきや、枯山水の(作られた当初は池泉式の)庭園跡があるのが非常に興味深い。戦乱に明け暮れる中でも雅の心を忘れない気構えがあったのか、心の余裕を保てる程の比較的平穏な地域だったのか、想像が膨らむ。史跡平面図をよく見ると、駐車場がある南側入口の土橋と復元されたらしい木橋は描かれておらず、史跡の整備時にでも作られたモノか。また敷地内の8棟の建物趾や庭園は東側半分の区域に全て集中しており、西側半分には何も無い。平面図上でも何も描かれておらず、案内板の類いも見当たらない。敷地の北西に管理棟と思しき古民家風の建物があるだけ。発掘調査をしていないのか(6年に及んだという調査で、ソレは考えにくいが)。調査では何も検出されなかったのか。もしかしたら馬場や武芸修練場の様な施設でもあったのか。もしかしたら管理棟に見えた古民家風の建物は個人の家屋で、西半分は個人所有の土地なのか。ナゾ。 ⇒後日、本屋の立ち読みで調べてみた。ナゾの西側半分にも数棟の不規則な配置の建物趾はあったらしいが、それよりも、南辺土塁と北辺土塁それぞれの真ん中あたりにある折れを結ぶ線を境に、東側と西側では築造年代が違うらしいことが判った(東側が後年代)。恐らく大手は二つの虎口を設ける西辺であり(詰めの城があった城山は東部後方)、築地塀が検出されたのも南辺土塁の折れの西側=旧年代側であることから、この施設の成立過程が何となく浮かんで来る。築造当初は築地塀で囲われた施設であったのが、後に敷地を倍に拡張、更に四方を空堀と土塁で囲み(西側の築地塀は埋め立て)、大手方面に折れを設けて防御性を向上させた...
Read more国指定史跡の高梨氏館跡がある公園。鎌倉時代から戦国時代にかけて活躍した高梨氏により築造されたと推測される中世の方形館跡で、東西約130メートル、南北約100メートルの規模をもつ北信最大級の館跡、だそうです。 桜が植わっており咲くと花見ができそうです。 また、公園内に二十六夜塔や寛政年...
Read more知る人ぞ知る城跡。
特に見所は無いのですが、中野市にもそれなりの規模の城?館?があったのかと思うとロマンを感じます。
この周辺は昔ながらの下町の風景が残ってますので、懐かしい風景に出会えます。
公園として整備されているので駐...
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