[勝負運の神様が宿ります。]
2021.7.11参拝 坂下神社は木曾義仲にゆかり がある由緒ある神社です。
木曾義仲が幼少期、 木曾次郎と何っていた頃 養父:中原兼遠に連れられ 度々参拝していたという 伝承が残ります。
この神社には 誉田別命(応神天皇)が祀られ 武運(源氏)の神として 鎮座していました。
創建当初は社殿南面に方位して 現社殿を主部とし三百米を 越す参道があり 両側に十二の社殿が 点在する近隣に比のない 立派な社でした。
義仲は、木曽町より遥か都へ 向かう途中都度、坂下神社に 参拝に立ち寄りっていました。 義仲公の元服を機に 八幡宮が下組法力屋より 遷座合祀されました。
その後も、義仲は出陣の時には 必ず妻籠の領首樋口氏によって 木曽川を渡舟して 坂下神社に代参させ 武運長久を祈願したといいます。
しかし、 平家追討の時、 あいにく木曽川が氾濫しており 渡舟できませんでした。 そこで、献策を用いて嚆矢を射て 対岸にいた下組庄屋によって 代参させました。
寿永三年(1184年) ついに木曽義仲は 帝より征東大将軍の官位を 賜ることとなります。 この知らせが坂下に伝わると 三郷(下組、合郷組、町組)の人々は 歓喜し、誉として、これを祝い、 幣をつけた矢を下組の馬の鞍に立て 村中の代官、庄屋、組頭をはじめ 村人が総出で行列をつくり 音曲を奏でて神社を参拝し 義仲公の戦勝を祝いました。
これが「花馬祭り」の始まりと 伝えられます。 秋季例祭は「花馬祭り」と称され 平成二十年八月 岐阜県重要無形民俗文化財に 指定されました。
「花馬祭り」は、 当初は戦勝祝いでしたが、 いつの頃からか農民の五穀豊穣を 願う祭りに発展し、 馬の鞍につける幣も花串に なりました。 現在でも地域を挙げての 歴史ある伝統を次世代に 継承され地域の...
Read more近くにある道の駅きりら坂下で「花馬祭り」の案内板があり、こちらの神社が舞台だとか。花馬祭りも含めて、この地域の紛れもない英雄傑物たる木曽義仲公の所縁の神社です。隣接の出雲福徳神社が宝くじ等々の金運アップの御利益で有名らしく、参拝者で賑わっていますが、こちらの坂下神社は静かで落ち着く場所になっております。この地は坂下神社、中山稲荷、出雲福徳神...
Read more坂下神社は、八幡神社でした。更に昔木曽義仲が祈願した神社であること初めてしりました。金弊社なってますので位が高い神社だろうと考えます。坂下神社、福徳神社、中山稲荷、三つ参拝させて頂きました。これで運気...
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