登美山鼻高霊山寺といい霊山寺真言宗大本山になります。 別称で登美山(とみさん)・鼻高山(びこうさん)とも呼ばれます。 御本尊は薬師如来像で三尊形式の像(国の重要文化財に指定)で脇侍に日光菩薩像と月光菩薩像を従えます、治曆二年(1066年)の建立厨子入りで秘仏です。 伝承によれば小野妹子の子である小野富人が壬申の乱(672年)に加担したかどで右大臣の地位を辞し今の霊山寺境内あたる登美山に閑居したと伝わります。 天武天皇十二年(684年)に熊野本宮大社に参篭するとそこに出現した薬師如来(熊野速玉大社の本地仏)を感得し、そのお告げに従って登美山に薬師三尊を祀り病人を癒すために薬草を栽培し薬湯を設けたこうして小野富人は登美仙人あるいは鼻高仙人と称されるようになった。 天平六年(734年)聖武天皇は行基菩薩に命じて大堂を建立させた、天平八年(736年)にインドから渡来したバラモン僧の菩提僊那が故郷の山に似ていた事から名称を霊山寺と名付けた。 平安時代霊山寺に弘法大師空海が来て登美山に龍神を感得した、そして奥之院に龍神を大辯財天女尊として祀りました、これ以来法相宗の寺院であった霊山寺は法相宗と真言宗の二宗派兼学の寺院となっていった。 寺伝では聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたされているがこのことは正史には見えず開創の時期や事情、中世以前の歴史についてはあまり明らかではない。 現存する本堂や三重塔は鎌倉時代の本格的な建築であり御本尊薬師三尊像は平安時代後期に遡るもので古くから栄えた寺院であったとおもわれる。 霊山寺は戦国時代等に戦火に遭わなかったため堂宇・仏像などに古いものが数多く残っていて国の重要文化財に指定されています、鎌倉時代には僧坊は二十一ケ寺を数えた、江戸時代には朱院寺として一定の規模を維持していたが明治時代初期の廃仏毀釈以後は衰退してしまいましたが現在は多角的な経営をしているお寺になります。 ❰国宝❱霊山寺本堂 ❰重要文化財❱三重塔・三重塔内壁画・鐘楼・鎮守十六所神社・本尊木造薬師如来像及び両脇侍像(三尊像)と厨子・木造十二神将立像・木造大日如来坐像・木造持国天立像・木造多聞天立像・木造毘沙門天立像・木造阿弥陀如来坐像・木造地蔵菩薩立像・木造十一面観世音菩薩立像・せん仏三尊像・銅造薬師三尊懸仏・木造...
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Read moreI came here on Sunday afternoon. It was quite crowded and sunny. The rose garden was magnificent, and they smell good too! They have a special stamp for ¥1000 at the temple. If you want to visit during the day please bring a...
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