海瀧山王龍寺は、黄檗宗(おうばく)のお寺です。
黄檗宗の開祖は中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師(1592年~1673年)」です。隠元隆琦は中国の福建省安渓県にある黄檗山の萬福寺の住職でした。当時 日本の禅宗は衰退をたどり、それを案じた逸然禅師などが3回も中国へ赴き隠元隆琦の来日を懇願。1654年隠元隆琦は、20人の弟子と共に仏師、絵師などの職人らを引き連れて来日しました。来日後、名声は日々高まり各地から何百人もの学徒が参集したため、興福寺では、外堂など建て増して彼らを住まわせた程と言われています。 彼が中国からもたらせたものは美術、医術、建築(卍くずしの勾欄 円窓)、木魚(室町時代の木魚は存在するが、隠元隆琦が本格的に使用し始めた)、煎茶(隠元隆琦は日本における煎茶道の開祖 抹茶のような粉ではないお茶)、篆刻(てんこく:書と彫刻が結合した工芸美術としての側面のある印鑑)、食卓(昔は食事をする時は一人用の膳でしたが食卓がもたらされ、皆で一緒に食事)などがあります。 また彼が伝えた普茶料理(ふちゃりょうり:席に上下はなく、テーブルに皆が座り普く大衆と茶を供にする料理)から名前にもなった隠元豆(いんげんまめ)以外にも西瓜(すいか)、蓮根(れんこん)、孟宗竹(たけのこ)、胡麻豆腐、胡麻あえ、けんちん汁などが伝わり寒天は名付け...
Read more古くは聖武帝の勅願所と言われる古刹だが、詳しい歴史ははっきりせず、現在の堂宇は、1689年、大和郡山城主・本多忠平が黄檗宗第二代・木庵の弟子・梅谷禅師を招いて再興した黄檗宗寺院で、山号は海瀧山、ご本尊は高さ4.5m、幅5.5mの岩に刻まれた十一面観音菩薩立像。再興当時の本堂には1336年の銘があるご本尊が刻まれた岩が祀られ、ご本尊の脇には1469年の銘がある不動明王立像が刻まれている。これらは"王龍寺摩崖仏"として奈良市指定文化財となっている。これらの像は、現在の王龍寺成立以前のものであり、このあたりは真言宗系の行場であったものと推定されている。本堂には十六羅漢像も安置され、厳かな雰囲気があった。 23/05/25、あらかじめ連絡を入れて、本堂内の石仏を拝ませていただいた。ろうそくひとつの薄暗いお堂の中で、静かに鎮座されているお姿は、まことに神々しく、深山の山寺を思わせる...
Read moreお盆期間に訪問。阪奈道路を大阪側から進み、カーナビの指示通りに行くと、飛鳥カントリークラブに入っていきます。「これ、入っていいんかいな?」と進んで行くと、クラブハウス?を通り過ぎ、さらにカーナビに従い進んで行きます。すると、左側に「王龍寺」と書いてある石碑があります。その奥が駐車場になっています。 車を止めて、歩き出すとすぐに、石仏のお堂が見えてきます。ほんとすぐです。お堂には入れず、石仏は視力がよくないとあまり見えないですが、お堂からはひんやりした空気が流れてきます。 石仏参拝後にさらに歩いていきましたが、墓地になっており、お墓参りに来られている人がちらほら。 後で思いましたが、北の方からきてれば、もう少し階段を上ったり、雰囲気を楽しめたのかもしれませんが、車を止めたところが石仏に近いところだったので、1時間も掛からず、少し拍子抜けでした。というこ...
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