左側に、立派な手水舎。狛犬阿吽像。右側阿形像は、籠彫りの玉を左脚で押さえ、爪も刻まれ、力こぶ、巻き毛、すじ毛が明確に刻まれ、雄大である。左側吽形像は、小狛犬を左脚で押さえて、小狛犬が右脚を上げている。口を開けている。巻き毛、力こぶ、すじ毛、尾もハッキリに刻まれている。紀元二千六百年(1940)石工渡邉末吉(大田原神社で見た名である)とあるが、狛犬は、野田平業である。42歳作。右側の台座には、皇威宣揚。左側の台座には、武運長久、と陽刻されており、当時の空気を感じる。立派な太い石鳥居。その先の新しい石鳥居をくぐると、左側に、細石(さざれいし)の巌。乃木大将の石像。右側に、昭和四年(1929)、刻の石碑。昭和五年(1930)、刻の石碑。愛馬殿号の御神馬舎。乃木大将の漢詩の石碑。本殿がある。本殿の前に、狛犬阿吽像。右側阿形像は、右脚で玉を押さえ、獰猛な顔で、睨んでいる。顔横の巻き毛がうず高い。左側吽形像は、同じく、獰猛な感じで、尾の表現が独特である。脇に、天保五年(1834)二月吉祥日、刻の、八雲神社。祖霊社。生駒神社。石工 大田原倉田榮吉 と刻んである。境内が広大なので、その中にもが石の祠があったり、野鳥の観察小屋があったりする。 乃木希典は、長州藩の支藩である長府藩藩士乃木希次(150石)と壽子との三男に生まれるが、長兄、次兄は既に夭折していたため、世継となる。幼名は無人(なきと)。夭折することなく、壮健に成長して欲しいという願いが込められている。 幼少時は、虚弱体質で、臆病であったため、友人によく泣かされ、無人にかけて「泣き人(なきと)」とあだ名された。 友人らと盟約状を交わし、長府藩報国隊を組織し、第二次長州征討に従軍した。 明治四年1月23日(1872年1月3日)、黒田清隆の推挙を受けて、大日本帝国陸軍の少佐に大抜擢され、東京鎮台第2分営に属した。 熊本鎮台第14連隊長として、秋月の乱を鎮圧。西南戦争にも従軍し、薩軍と死闘を演じ、負傷入院するが、脱走して戦地に赴こうとしたため、「脱走将校」の異名を付けられ、この時の負傷のため、左足がやや不自由になる。 明治11年(1878)10月27日に、旧薩摩藩藩医の娘お七(結婚後、静子と改名した)と結婚する。 明治17年(1885)5月21日、最年少で少将に昇進。ドイツ帝国に留学する。 帰国後、第11旅団(熊本)、近衛歩兵第2旅団長(東京)、歩兵第5旅団長(名古屋)と歴任したあど、病気を理由に休職に入り、栃木県那須野で農業に勤しんだ(「農人乃木」と言われる)。 歩兵第1旅団長(東京)に復職し、日清戦争が始まると、大山巌の第2軍の下で出征し、旅順要塞をわずか1日で陥落させる。日清戦争終結間際の4月5日、中将に昇進し、第2師団(仙台)師団長になる。 台湾征討へ参加。台湾総督になる。辞任した後休職。近衛師団長として復職、第3軍司令官に任命され、日露戦争の旅順攻囲戦に参加、長男勝則、次男保典を日露戦争で亡くす。旅順要塞を陥落させる。 帰国後、宮中に参内し、明治天皇の御前で自筆の復命書を奉読し、自責の念のために涙声で、自刃して明治天皇の将兵に多数の死傷者を生じた罪を償いたいと奏上すると、明治天皇は、「乃木の苦しい心境は理解したが、今は死すべき時ではない。どうしても死ぬというのであれば、朕が世を去った後にせよ」という趣旨のことを述べたとされる。 明治40年(1907)1月31日、軍事参議官の乃木は、学習院長を兼任することとなる。 明治45年(1912)7月、明治天皇が崩御し、9月13日、大喪の礼が行われた日の20時頃、乃木希典は妻静子とともに自刃する。 大正元年9月18日、郷社大田原神社社掌手塚元気を斎主として、遥拝式を執行、乃木神社建立の議を提出して、賛同を得、創立事務総長に陸軍大将男爵鮫島重雄氏、創立委員長に旧大田原藩主子爵大田原一清氏を推挙して、社...
Read more2025.5 日清戦争後に乃木将軍が閑居した別邸の敷地内にある神社。 東京の乃木神社は何度か参拝していますがこちらは初めてです。 残念ながら乃木将軍が暮らしていた別邸は2度の不審火で焼失しています。現在建っているのは復元されたものです。 絵や写真、像など色々な形で乃木将軍があります。 乃木将軍は軍人としては風貌が優しげであり、実際にも敵にも武士の情をかけるような優しいイメージ。ただ戦争は下手でご自身の指揮のもと実子のお二人も日露戦争で亡くされています。 また学習院の学長も務められた文武とも秀でた方でした。 神社裏手に別宅がありますが、不審火などによる焼失で現在は復元された建物となります。 【御祭神】 乃木希典命、乃木静子命 【由緒】 明治45年7月30日明治天皇が崩御され、そのご大葬が行われた9月13日夜、ご夫妻は殉死を以て明治天皇のご聖恩に報いられました。 青山葬儀場で行われた将軍ご夫妻の葬儀当日、ご遺徳を偲ぶ地元の住民は別邸において遙拝式を斎行しました。その場で後に乃木神社初代宮司となる大田原神社の手塚元氣宮司は、将軍の神霊を土徳の神として祀る神社の創立を提議し、参列者の絶大な賛同を得て神社創立が決定しました。 大正3年8月28日 神社創立の議を提出 大正4年6月16日 内務大臣より許可「社格ハ県社ト心得ヘシ」 大正5年3月6日 本殿、拝殿が竣功 大正5年4月12日 ご神霊が本邸より列車でご動座、夜8時にご鎮座 4月...
Read more栃木県那須塩原市石林に境内を構える乃木神社、2024.7に参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、主祭神は乃木希典将軍、乃木静子夫人、社格等は旧県社、創建は大正5年(1916年)例祭は9月13日、乃木神社は、乃木将軍として今でも親しまれる乃木希典命ご夫妻を祀ります。神社の北東には別邸があり、将軍ご夫妻は数度の休職期間を別邸に滞在し、「農は国の大本なり」と仰せられ自ら田畑を耕され勧農の範を示され、地元石林の住民とも親しく交流、晴耕雨読の日々を過ごされました。 明治45年7月30日明治天皇が崩御され、そのご大葬が行われた9月13日夜、ご夫妻は殉死を以て明治天皇のご聖恩に報いられました。 青山葬儀場で行われた将軍ご夫妻の葬儀当日、ご遺徳を偲ぶ地元の住民は別邸において遙拝式を斎行しました。その場で後に乃木神社初代宮司となる大田原神社の手塚元氣宮司は、将軍の神霊を土徳の神として祀る神社の創立を提議し、参列者の絶大な賛同を得て神社創立が決定しました。乃木神社の創立にあたっては地元のみならず県内外から多くの浄財がよせられました。 以来ご命日にあたる9月13日を例祭日として祭礼を執り行い、崇敬者をはじめて世界の平和安寧をお祈り申し上げています。歴史的建造物、仏閣、仏像、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、紅葉、日本庭園、癒し処、涼み処、散策、御朱印集め等好...
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